もう4時か、
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三島由紀夫

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 00:02:37 ID:dCdlPuGa
三島由紀夫の作家としての実績や割腹自決の動機などについて語りましょう。

2 :( ´ ▲ ` ) ◆Paiman/3cQ :2007/02/14(水) 00:12:12 ID:HOmNUSMC
美輪さんとのウホっな関係は真実なのか知りたい

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 08:53:18 ID:IGw5sOKS
憂国は三島の最高傑作

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 14:38:07 ID:+yQusAhG
三島は両刀使い 嫁さんも三島の男色趣味に愛想がつきて離婚まで考えてたそうだ。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/14(水) 15:16:47 ID:1rnjv9Zn
彼を両刀使いと定義するならば、世界中にゲイは存在しなくなるゼッ1


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 21:12:23 ID:1g1NAi92
男時々女、か。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 09:13:51 ID:tXcBK/By
三島由紀夫
http://bubble5.2ch.net/test/read.cgi/cafe40/1171378813/


8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 09:32:04 ID:2NcVmoQm
両刀以前に、超ナルシスト

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/17(土) 12:02:43 ID:bmUJAH7T
蛙筋肉

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/18(日) 14:28:43 ID:kMLKmbB5
以前、彼を知る俊民という人なら知ってるよ。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 02:34:55 ID:sX9d8u9Y
雑誌『フライデー』の創刊号に掲載された自決した三島の首と胴体の写真。(グロ注意)

三島由紀夫の生首:
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/imgs0410/mishima_head.jpg
三島由紀夫の胴体:
http://hugo-sb.way-nifty.com/hugo_sb/imgs0410/mishima_body.jpg

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 02:40:37 ID:sX9d8u9Y
きみもまたおぼえておけ、2001年、国のために戦うことは軍需利権に奉仕する犯罪者となることだ。

、、、私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男が汗まみれで抱き合う昭和武士道のメルクマール。
http://zenkyoto68.hp.infoseek.co.jp/misima00.htm
情交の後、三島は福島次郎に問いかける、
「私にもしいざということがあったら、駆けつけてくれるか」
 「はい、行きます!その時には、電話か電報を下さい」、三島は強く頷く。
 福島はだが、間をおいてこう言った。
 「行くのは、行きます。しかし……その、いざということが、どういう内容のいざなのか、はっきりわかってから行きます」
三島はそのとき、
「風船がはじけたように、急にしぼんでしまったよう」な感じになり、「日本刀を袋に納い、
鉢巻をはずし、そこらをごそごそ」「片付けている様子だったが、いつの間にか、バスルームへ姿を消した。」 『剣と寒紅』福島次郎著
http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/isihara.htm
しかしあと三十分、最後の三十分待たう。
 共に起つて義のために共に死ぬのだ。
 日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。檄文・三島由紀夫
http://sintarou.e-city.tv/hokanshoko/m07.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik2/2003-10-31/03_01.html
・亀頭にたばこを押しつける皇軍憲兵大尉は終戦後、昭和12年から16年までの期間に
犯した罪状で米軍から戦犯として指名され謹慎していましたが、
しばらくして戦犯指名から解除され、その後、防衛大学の教師として採用されました。
年齢は50歳近くになっていたと思います。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 03:28:04 ID:bgwbX8nH
>>11
ただの首じゃん

ヤシンのミサイル爆殺のはなかなかグロかった

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 08:30:19 ID:P8T8YcGH
三島は日本の最後の武士だったな

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 18:18:55 ID:TiEDDaIz
粋がりのモーホー

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 14:04:34 ID:/nfqyUoD
三島が割腹自殺して果てた時に、青島幸夫が
「すごく知的なオカマのヒステリーだ」と評していたのを
記憶して居る。そんなヤツが東京都知事になったんだから
喫驚物だな。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 15:50:37 ID:M7uy1yzI
高校の休み時間に近所の店のテレビで知ったよ

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 17:25:13 ID:LKHwq4Sl
三島がゲイであるのは周知の事実だが、SMプレイでM男だったという噂まである。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/05(月) 18:27:03 ID:rumRW2lC
もーほーのM男の発狂自殺

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 17:57:49 ID:yr7OGVXL
ホモっぷりやMっぷりを語るのもいいですが、文学についても語ってあげて下さい。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/06(火) 18:42:03 ID:WRU3sYzF
巧言美文少ないかな仁

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 06:21:41 ID:20K6I9s0
三島はチンポをぶち込む側?それとも肛門に挿入される側?

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 16:43:52 ID:PHyc9U/t
>>16
言葉は悪いがすごく正確な感じがするのが泣ける。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 12:21:35 ID:cwpnuQEi
青島が死んでも惜しまれないのはイヤミな奴だったからだね

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 19:40:54 ID:j7ANYaUs
三島由紀夫
http://www.youtube.com/watch?v=gvUNK8mt8TM

三島 vs 東大全共闘
http://www.youtube.com/watch?v=3dKnQ63iUSc&mode=related&search=

news movie "the death of Mishima Yukio" 1970
http://www.youtube.com/watch?v=o2IVg9D8LMQ


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 17:18:38 ID:smL5YwKv
俺は坊城さん知ってるよ

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 05:12:51 ID:2nZAi2DG
三島を殺したのは三島自身
武士や天皇へ対する間違った認識
三島に同調した人も同じ

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:38:26 ID:gYGH4/7w
>>26
以前、坊城さんの著書が読みたくて
探したけど見つからなかった


29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 14:53:42 ID:TpG823Ab
>>27
朝鮮人発見

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 11:41:41 ID:xRt1Gdrq
頭のいい奴は 案外 男色の傾向があるらしいね。

彼の 南方熊楠御大もそんな気があったとかなかったとか。

31 :ぱとりおっと ◆DlyW/s8ibQ :2007/07/15(日) 12:13:35 ID:3kgwAduC
 青島なんていつ死んだかしらんが、三島は永久に残る。偉大だとおもう。
 カリスマですね、今日の状況を正確に予告している。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 17:11:41 ID:XP7hctlE
↑ ?

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 18:55:48 ID:xqztMbgW
三島由紀夫がホモだとは森田必勝が一緒に死んだのでそう思っていたが
実際にそうだったか。三島の美の源泉は彼の才能に在ったが外国を意識しだしてから
日本人の象徴としての天皇に求めたのか。彼には拠り所が掴めなっかたのか。
人類と言う拠り所が。狭いな。


34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/15(日) 21:53:19 ID:eio5CyRZ
狭くない


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 08:08:25 ID:QZWX8Zvt
>>11
懐かしいな生首写真
漏れは34歳だが、フライデー創刊時(当時小学5か6)の時
小学校のホームルームで先生が見せてくれたっけ。
今だったら問題になってたかも

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 08:29:40 ID:z8XrVwhR
↑ 34歳の お若い方ゎ 他所で カキコしてくらはい。  ココゎ50歳代ですよ。

37 :35:2007/07/16(月) 09:01:31 ID:QZWX8Zvt
う、懐かしニュース板と間違いますた。
スマソ

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 14:28:21 ID:i5tfQ0zO
>>33
天皇が日本の象徴と決めつけたのはアメリカ
日本の歴史や古事記を読めよ
君の三島に対する見識のが狭いな

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 11:25:49 ID:GWQO35Is
三島は今 政令都市を目指して あがいているよ。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 23:04:17 ID:KegWJlZH
三島は今 新幹線 のぞみだって 止まるよ!

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 05:58:49 ID:PoWrDSg3
三島じゃなくて 四島だよ。  北方領土ゎ。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 16:23:05 ID:7UAuHA6R
〜 民 主 党 2 0 0 7 年 政 策 危 険 項 目 リ ス ト 〜

■民主党マニュフェスト  
 http://www.dpj.or.jp/special/manifesto2007/pdf/manifesto_2007.pdf

1:永住外国人の地方選挙権(3ページ)
 民主党は結党時の「基本政策」に「定住外国人の地方参政権などを早期に実現する」と掲げており、これに基づいて永
 住外国人に地方選挙権を付与する法案を国会に提出しました。

2:戦後処理問題(10ページ)
 アジア等の女性に対する旧日本軍による「慰安婦問題」の解決を図るための「戦時性的強制被害者問題の解決の促進
 に対する法律案」〜

3:靖国問題・国立追悼施設の建立(10ページ)
 A級戦犯が合祀されている靖国神社に、総理が参拝することは好ましいことではありません・・・ 

4:沖縄政策(11ページ)
 「民主党沖縄ビジョン」では、従来型の補助金や優遇政策に依存する活性化ではなく、沖縄本来の魅力や特性を最大
 限活用することを基本的な方向性として、地域主権のパイロットケースとしての「一国二制度」の推進・・・

5:人権侵害救済機関の創設(29ページ)
  各都道府県に地方人権委員会を設置し、人権侵害に係る調停・仲裁等の手続きを定めるとともに、特別救済手続につ
 いては報道機関等を対象としないことを内容としており、引き続きその成立をめざします。 

年金問題や増税問題などが隠れ蓑になり、これらの政策はほとんど報道もされず目立たないようになっています。
比例枠への投票は民主に行うという人が自民党を上回っているとの報道もありますが、民主党へ投票することで上記の
ような政策が実現されてしまったら日本はどうなるでしょうか。せっかく事なかれ主義、弱腰外交から脱却を始めた日本
が逆戻りするどころか、逆に中国や韓国の反日政策と迎合し、数年前より酷い状況になるのは目に見えています。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 23:16:09 ID:HBDe5Z4Q
「聖セバスチャン殉教図」(→「薔薇刑」)
これが切腹より前、コアな部分にあると思うんだよな。
じゃ、なんで「薔薇刑」じゃなく切腹で死んだんだってことだが、現代日本であれで死ねるシチュエーションは作り出せないってことに尽きる。
これで死んだら、単なる変態になってしまう。
切腹なら日本人だし、まだなんとか格好つけられるという選択だったと思う。
磔になっていっぱい弓矢を突き刺されのと腹切るのとは、自力と他力の違いはあるが、自虐的で非業に倒れるという図式は同一。
が、結局無理があったがね。
しかし、その為に10年以上前から、肉体改造から運動オンチかつ好きでもない(むしろ嫌い)武道を習い、天皇だの憲法だの一所懸命理屈こねた努力は特異だと思う。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 03:17:58 ID:HEga869a
三島由紀夫
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=550838

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 01:34:27 ID:EO2VRe+Y
>>43
つまらん

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:39:11 ID:s2ucmzJr
411:名無しさん@お腹いっぱい。sage2007/08/18(土) 16:53:07 ID:???
よく三島由紀夫の死体から森田必勝の精子がうんぬんと、まことしやかな噂話が流布されたが、その場にいた当事者の証言からほぼ死因が特定されているこの事件の場合、肛門内まで調べる訳ないし、
決起前夜、楯の会のメンバーと三島の5人は、パレスホテルで総監拘束の演習や、辞世の句などを書いた後、午後4時チェックアウトし、
新橋駅の烏森口近くの料亭末げんで生死決別の宴を張り、静かに食事をしてそこを去った後、各々自宅へ戻っている。


47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 14:40:29 ID:s2ucmzJr
412:名無しさん@お腹いっぱい。sage2007/08/18(土) 16:55:20 ID:???
つづき

森田必勝は新宿の下宿、小林荘に帰り、新宿西口公園近くのお茶漬け屋で夜食をとった後、
新宿の深夜バーでレジをしていた女友達を電話で呼び出し会い、下宿には午前1時半に戻っている。

三島由紀夫も、自宅へ帰り、午後10時には同じ敷地内の両親に、最後の別れのために会いに行っている。
朝は8時に起き、コップ一杯の水を飲み干した。そして、新潮社の小島さんに手渡すはずだった原稿(豊饒の海)をお手伝いさんに託し、市ヶ谷に向かうため出かけている。
これらは、店の人、友人、三島由紀夫の家族、お手伝いさん、時間に遅れた小島さんの証言により、ほぼ確定していることである。


48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 00:08:34 ID:b8IAN+o2
三島は徴兵検査には合格し、その次の入営検査で、軍医が「この中に肺の既往症がある者は手を挙げろ」といったときに手を挙げ、(三島が級友三谷に語った)
さらにその時、軍医の診察により、当日、高熱と咳とめまいがひどかった三島は結核と誤診されたのだ。
びっくりして帰京してから、別の医者に診て誤診とわかり、徴兵は来年、つまりその翌年に延ばされただけである。
戦争が長引けば、三島も徴兵されていた。
それと、元々三島(平岡少年)は特別甲種幹部候補生、或いは海軍予備学生になることができて、
これなら軍関係の学校に入って学生を続けられたし、エリートコースなので危険な戦場に赴くことも無かっただろう。級友の三谷信もこの士官学校の学生だった。


49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 16:01:15 ID:rzgXAxHm
>>28
彼が描いてくれた絵ならある

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 16:07:55 ID:rzgXAxHm
すぐに鉛筆でささっと描く人で
別れる時はシャポーを胸に当てて「ごきげんよう」と上品に去る人だった
自分の名前を紹介する時は発音を棒状温度計のぼーじょーですと良く言っていたよ
源氏物語についてや色々小説を書いていたようだったけれどもらった一冊がどこかに
すいません

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 14:10:22 ID:qpAGml2u
坊城さんはご存命ですか?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 15:08:08 ID:j7R8JwlR
彼(三島)の心は傷つきやすく、(学習院時代、稚児さん、あおじろと呼ばれからかわれていた)その傷の痛みを知っているがゆえに、祖母、母、父という大人たちの中でじっと静かに考える青年に育っていった。
大きくなっても、言葉の上でのちょっとした意地悪でも、深く傷つき、悲しんだ。
そんな彼が、昭和二年生まれの妹、美津ちゃん(筆者の妹と同級)を、とても可愛がっていた。自分と違い、思ったことをハキハキいえ、きかん坊でイタズラっ子で、平岡家の太陽だった。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)


53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 15:09:12 ID:j7R8JwlR
そんな美津ちゃんが、勤労動員中に飲んだなま水に、多分体調をくずしていたのであろう一人だけ腸チフスになり、3、4日で呆気なく、しかし意識だけは最後まではっきりしていて、オロオロつきそう三島由紀夫に、
はっきりと、力をこめて、「お兄ちゃま!有難う」と別れを告げて、17歳ちょっとで避病院で息をひきとった。三島由紀夫は、生まれて初めて号泣した。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)


54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 15:13:38 ID:j7R8JwlR
父梓も、ただ一人の女の子として、溺愛していたため、最期を看取ることさえ出来ぬほどのショックだったそうだ。
この美津ちゃんの最期を語る彼を、私は何度となく見たが、その度に、今の目の前の現実のように、三島由紀夫の目からは涙がハラハラとこぼれ落ちた。
母倭文重も彼と同じように何十年たっても、語る前、名前を口にしただけで、涙声にかわったのを見て、私は、美津ちゃんがこの平岡家で、とかく気持がバラつく一族をうまくかしこく結ぶ貴い糸の存在だったのが分かった。
そして、三島由紀夫は、妹を女(異性)として第一番に感じ、それは肉親愛ともちょっと違う初めての「愛」だったのだと思える。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)


55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 15:25:14 ID:j7R8JwlR
これから書く彼の女性との愛は、すべて結婚一年前までのものである。
(中略)
そのうち本人が並はずれて女性に無免疫だったので、余り上手くない字を、ペン習字で猛練習し、すぐに臣三島由紀夫拝、などと書いたラブレターを自分の目にとまると、相手かまわずせっせと書きつづけていた。
(中略)
文士として大成して来た三島由紀夫に私はミスM・Kへのあこがれに似た子供っぽい愛も、ミスH・Kのとてもハーフというだけで失格とする固い平岡家の家風のためにも、
彼に自覚をうながし、「美徳のよろめき」のモデルの夫人との火遊びにもケチをつけたりして、何となく彼の身辺を整理した。彼には内緒だったが彼の父母にたのまれてやったことである。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)


56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 15:27:28 ID:j7R8JwlR
彼が真剣に愛した女性は、M・KでもH・Kでもない華やいだ絹張りの令嬢だった。
(中略)
しかし離れてゆく彼女の心に逆行して彼は結婚を真剣に考えていたのだ。それが理解出来なかった彼女は、昭和32年5月、新派「金閣寺」観劇を最後に離れていった。
私は彼女と三島由紀夫との4年間を、二人の影としてずっと過ごして来て、今も彼女との交流は続いている。
(中略)
いくら女友達と割り切っていても、もしかしたら私の中の女の部分が、心の奥底で彼(三島)を愛していたのかも知れない。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)


57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 15:34:39 ID:j7R8JwlR
「絶対これは内緒なんだからな。喋っちゃ駄目だよ。そのかわり彼女のことを全部君だけに教えるよ」といっていた。
(中略)
実物の彼女はとても美人で、お人形のような顔立ちで、不思議に亡妹美津ちゃんに似ていた。そして身につけているものは、すべてリッチでだった。
しかし、彼女を紹介されたほんの瞬間だが、私の心は女として不快だったのは事実である。三島由紀夫自身もそれを十分計算に入れていたと思う。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)


58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 15:41:40 ID:j7R8JwlR
余りにも深く愛してしまった彼女のかわりは、楽しんだ私のサロンも、母倭文重のいつくしみも役に立たなかった。ただあるのは、物書きのきびしい宿命だけだった。
(中略)
ただ一度の愛にしか青春のよろこびを見いだせずにいたなど、あの得意の空笑いと外見の明るさから誰一人気づいた者などいなかったろう。
私は出来る限り無理をして、彼によりそうようにして約一年を過ごしたが、負けず嫌いの三島由紀夫の口からは、一度も彼女の名を耳にしたことはなく、空虚さの片鱗だに見せはしなかった。きっかり一年後、彼は結婚した。

(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)


59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 00:22:31 ID:rSrgakYl
三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、
三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時やくざ物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。
三島は、戦後やくざ映画の「型」の頂点を究め、そのことによって逆に型を越えた人間の裸の感情を露出させたといえる脚本家の笠原和夫の感性をいち早く見抜いた訳です。
笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。
三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。


60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 19:48:21 ID:6bgojW2X
鶴田浩二のファンだったな

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 14:55:16 ID:hPXZKc9I

鶴田は三島からもらったサイン入りの『文化防衛論』を三島の死後に何度も
読み返していたよ。たまたまカバンに入れていたのを取り出して見せてくれた
ことがあったが、新聞紙でカバーしてそれもけっこうよれよれになってて、
こういう無造作なバンカラ風のカバーが好きだとも言ってた。本の扉には
三島の献辞も書き添えてあり、三島独特のペン習字の手本のような綺麗な
文字がきっちり並んでいたっけ。その時、互いに内容に関する話をしたが、
鶴田の死後、あの本がどうなったかは知らない。


62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 01:15:19 ID:vT3RCbSd
作家というのは、作品の原因でなくて、作品の結果ですからね。
自己に不可避性を課したり、必然性を課したりするのは、なかば、作品の結果です。
ですけれども、そういう結果は、ぼくはむしろ、自分の運命として甘受したほうがいいと思います。
(中略)
ぼくの生き方がいかに無為にみえようと、ばかばかしくみえようと、気違いじみてみえようと、それはけっきょく、自分の作品が累積されたことからくる必然的な結果でしょう。
ところがそれは、太宰治のような意味とは、違うわけです。ぼくは芸術と生活の法則を、完全に分けて、出発したんだ。しかし、その芸術の結果が、生活にある必然を命ずれば、それは実は芸術の結果ではなくて運命なのだ。

三島由紀夫
三好行雄氏との対談から


63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 01:16:34 ID:vT3RCbSd
彼(三島)はたしかに、古い夢の、神々の、死の自覚の上に立って、つねに仕事をしてきた作家であるといえるだろう。
彼は神々を、錬金術師のように、合成することを夢みる。そこに彼の批評精神があり、光栄があり、そしてまた苦しみがあるばずだ。

道徳を信じない道徳家、
愛を拒否する愛の詩人、
詠嘆的であることを恐怖する、しかしロマンティックな嘆美家、
――作品の背後にある作者(三島)の姿を、一口にいえば、そういうことになるのではないか、とぼくは思っている。

村松剛


64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 15:01:05 ID:vT3RCbSd
実はノーベル賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の楯の会の政治的活動を問題視する声があがり、川端へ移行しただけ。
審査員が川端へ打診したところ、川端は三島を擁護せずにそれを承諾し、三島へも、今回は私がいただかせてもらいます、と言った。
後年、川端は、あれは三島君がもらうべきだったと知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。


65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 22:51:14 ID:24Alas0q
http://imepita.jp/20071026/797920

http://imepita.jp/20071125/081620


66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 08:01:00 ID:v/FZVMYx
三島由紀夫と同世代のゲイの人々って今は
どうして居るのでしょうか?

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/29(木) 13:03:57 ID:twGmeeYL
三島が惚れ込んだ女性は「ペルソナ」に出てくるマダムXね
今でもご存命ですよ
華やかな社交界にいて
誰も三島との関係を知らない
たぶん70歳をとうに過ぎていると思うが
上流社会のお年寄りは美しい
いつか回顧録でも出してほしい

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 23:26:37 ID:HSlFw9r4
三島由紀夫のふんどし姿はいかにも日本男児って感じがしたなあ。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 06:49:17 ID:ZUFdWlXT
>>68
同意。
チビなのに顔は異常に長い日本人体型、そして異常な毛深さ。
たぶん巨根だろうなあ。
真の日本男児だ。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 04:56:22 ID:Y1wpeaVl
>>43
そう、たしかにつまらん。
だからみんな三島自決に何か政治的な意図や哲学的な解釈をたれるのに必死になるんだよな。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 11:24:41 ID:6TeHqcQX
仮面の告白に毒されすぎ

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 10:23:38 ID:FJRDrrSF
三島はハードゲイのM男www

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 12:32:37 ID:TVBMIxYV
氏がかまえた人工迷路の一つが、ホモセクシャルだったと思われる。それもまた三島氏の無理の一つだったろう。
氏のホモセクシャルについていろいろいう人はいても所詮どれも仮説でしかあり得まい。当人がそうだといっても同じような気がする。
あれもまた氏のプレゼンスの一つであり、深沢七郎流にいえば、無理の一つだったに違いない。

石原慎太郎


74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 12:33:20 ID:TVBMIxYV
知己となってから私が「禁色」はいかにも面白かったといったら、
「ああ、あれはただの外連、外連。あんなものはもう卒業したの」
「でも外連の方が、この頃の観念だけの小説より面白いな」私がいったら、
「君ももうそろそろ趣味を考えなくちゃ」と例の哄笑だった。

石原慎太郎


75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 12:34:07 ID:TVBMIxYV
三島由紀夫を担当していた新潮社の菅原氏が、三島に献言した言葉

「あなたは作品だけを書いて下さい。自分でわからなくても天才なんです。大事な人です。とにかくご自分で作り上げた主人公になりきる習性があるから注意して下さいよ」

「禁色」の時は男色の老作家に、「美しい星」の時は半ば宇宙人になっていた三島由紀夫を菅原氏は本気で懸念していたという。


76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/20(木) 12:36:39 ID:TVBMIxYV
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。

ドナルド・キーン

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 16:44:26 ID:O20oIx7C
「薔薇刑」の基本的テーマは「生と死」「エロスとタナトス」であり、それは三島由紀夫を被写体とするところの私の主観的ドキュメンタリー作品である。
そこで理解してもらいことは、三島氏は自分を「被写体」と呼び、最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれた。

だからハリウッドの映画監督がつくった映画「MISHIMA」の中で私らしい写真家が登場するが、
そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。

細江英公


78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 17:05:27 ID:O20oIx7C
三島さんは文字通り「誠実の人」であった。その点だけは、身近に彼を知り、そして生き残った自分の責任として、きちんと後世に伝えておかなければならない。
その三島さんが、あえて選んだ死に様であるのなら、それは真摯に考え抜いた結果であったはずであり、そこには止むに止まれぬ理由が存在したに違いないのである。
であるから、私がまず強調しておきたいのは、事件直後から多くのメディアによって宣伝されてきたような「スキャンダル」として三島さんの死を扱うようなことは、実にもって愚劣なことであるということである。

細江英公


79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 17:40:06 ID:1WXSOcn5
三島の自殺によって文学の終焉を実感、作家志望を断念した猪瀬直樹は三島の「仮面の告白」をマーケティングリサーチによる成功例として、彼独特の三島文学評論を展開しています。
太宰の命と引き換えにベストセラーとなった「人間失格」が懺悔録であった事から、自分にもまた懺悔に値する内面的問題があるはずだと、三島が倒錯的同性愛の世界を捏造したという事を、
三島の独身時代の異性遍歴や同性愛文献の研究、某心理学者を訪問しての自己分析、等の経緯を取材し追求しています。
また終戦後の焼け跡では進駐軍の解放ムードから性的通俗本が氾濫していたという時代背景もあって、
私小説を逆手に取った性的倒錯者のスキャンダラスな手記ということであればベストセラー間違いなしと、三島は睨んだという考察もしています。


80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 23:16:48 ID:q09Bq7S9
(三島は)物差しやハタキのような長いものを持ってこれを振り回すのがとても好きでした。……やがて危ないというので、母(三島の祖母、夏子)に没収されてしまいました。
公威はこんなときでも、決して反抗はいたさず、だまって素直に従ってくれて、かえって可哀想になりました。

平岡倭文重
(三島由紀夫の母)


81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 17:38:10 ID:rjEOETLC
映画「憂国」を見た人、いや、それよりも、見ない人が、一様に抱く疑問は、なぜ作者自身が主演したのか、ということであるらしい。
これが最大の謎のように思っている人もあるらしい。そこで考えられるのは、作者のナルシシズムだとか、マゾヒズムだとか、ぼろぼろに使い古された精神分析用語を持ち出して、もののみごとに謎を解明したつもりになることである。
しかしこれでは何も謎は解明されない。精神分析学の発明以来、精神分析学を手段として利用しない芸術ジャンルは、ほとんどないと云っても過言ではないのであるから、上のような言い方は、単なる芸術の同義反復にすぎない。

三島由紀夫
憂国の謎


82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 20:44:01 ID:zQY8gCha
三島由紀夫の遺体が自宅へ戻ってきたのは、死んだ翌日の午後4時過ぎで予定を大幅に遅れたために、火葬場へ向かうまで20分しかないあわただしい密葬だったという。
福島次郎は一週間後に弔問に行ったとき二階に棺があったかのように本で語ってるが、福島がいかに創作や嘘を混ぜて脚色して三島本を執筆したのか、あらためてめてよく分かった。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 10:59:41 ID:1+kJeOfD
仮面の告白の園子(邦子さん)と三島は邦子さんが他の男と結婚後に何度か会ってる記述が、三島の私的なノートにある。
「僕は彼女を真夏の薄着で、いささか厚化粧で抱きえなかったことを後悔した。彼女は今宵は頗る美しくみえた。
彼女の白いレエスに包まれた胸のあたりに花房のように揺れるものを今日ほど烈しく僕は欲したことがなかった。」


84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 20:50:05 ID:eFMP+tPj
良スレ保守

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 23:44:52 ID:XXuszF/e
>>67
まだご存命とは素晴らしい
実名では本を出せないでしょうねえ…

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 17:58:06 ID:mPlozOjS
三島由紀夫が三谷邦子(仮面の告白の園子)のことを記述した私的ノートから


僕は婚約した彼女を一度誘い出して話したいという計画を抱いていた。
ところが突然別の僕がそれを気狂い沙汰だと叫び出す。向こうの家の父は吃驚して怒り出すだろう。かりにも婚約した以上、ひとのものをと!


87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 20:19:53 ID:mPlozOjS
三島由紀夫が三谷邦子(仮面の告白の園子)のことを記述した私的ノートから

「彼女はレインコートさえ脱ぎたがらなかった。まるでそれが下着ででもあるかのように。だから僕の彼女の抱心地はゴワゴワした感触しか残らない。
それのみか彼女は、唇を吸うにまかせて自ら吸おうとしなかった。」


88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 20:47:44 ID:Y3AgX55J
村松英子って女優いたけどアレと三島の関係ってどうなの?
知ってる人いたら教えて。

下世話の話で申し訳ない。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 14:52:45 ID:vcq6ycwi
>>88
もし付き合っていたとしても肉体関係はなかったんじゃないかな
今でも村松英子と、三島の息子たちは交流しているらしいから
三島由紀夫は文学座の分裂騒動のとき、村松英子に「英子、僕はきみが欲しい、僕のそばにいなさい」と女優として思うように育てたかったみたいですよ
そして「英子はヌードにしない」と脱ぐ役はやらせなかったそうです
お互い好きな気持ちは少しはあったと思います

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 15:00:36 ID:k9ArhEjG
三島由紀夫が天才?
川端康成が途中でゴミだと気づいて捨てたものを必死で吸収したあいつが?
笑わせるな

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 15:05:51 ID:k9ArhEjG
二流以下の川端、二流以下の谷崎、二流以下の諸外国作家、その他諸々。
同じく二流以下の修辞学、二流以下の精神医学、二流以下の宗教学。
二流以下の剣道、二流以下のボクシング。
それらの総体が一流の三島由紀夫に俺には感じられる。
これのどこが天才なのか教えて欲しい。

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 15:28:22 ID:k9ArhEjG
こいつの書いた太陽と鉄などは腹が立った。
いつの間にか肉体の世界を究めた気でいやがる。
ボディビルだって中途半端じゃねぇか。
なんでもかんでも中途半端。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 16:43:10 ID:vcq6ycwi
>>90-92
何を一人で誰に向かってむきになってんの?ばかみたい
頭冷やしたら?

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 11:38:35 ID:vRwNk8NG
三島由紀夫はザイン(存在)を超越して、ゾルレン(当為、あるべきもの)に至る努力をした。

西尾幹二

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 12:13:38 ID:fXv3dYTF
あの人(三島)は、ほんとうに純粋で赤ちゃんみたいにきれいな魂の持ち主だったんですよ

美輪明宏

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/31(月) 12:14:29 ID:fXv3dYTF
(三島は)「日本少年」とか「少年倶楽部」で育った時代なんですよね。
少年というのは凛々しくて、潔く清くて、正しくて、優しくて、思いやりがあって、親孝行だという「少年倶楽部」の世界そのまま律儀に全部、細胞の中までにしみこませて、そのまま死んじゃった人なのね。
普通、中年になったら、世俗的な手垢がついてきて、小ずるくなったり、いろいろするじゃないですか。
それに全然染まらなかった不思議な人でしたよ。

美輪明宏

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 15:32:20 ID:hgCs1Ww3
瀬戸内聴寂
「三島さんのことを書いた福島次郎という人がいるじゃないですか。私は、ああいうの嫌いなの。」

美輪明宏
「前にも、一人出たんですよ。『週刊読売』で私、対決したことがある。
…その男の話は根っからの嘘だったの。でも、まあ世間という魔界には根も葉もないことを言うのがいますからね。」

瀬戸内
「…ひどいんですよ。ほんとうにけしからんと思うのね。
三島さんのお母さんやお父さんにご飯を御馳走になったり、とっても世話になってるでしょ。
あの男の小説は卑しい。もう呆れる。」


98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 16:31:44 ID:TWOPqz/q
ある日公威は威一郎を連れてデパートに参りましたが、何か玩具のことで親子喧嘩したと見え、そのとき
「お父様なんか死んでしまえ」と言われたようです。真顔で悲しそうに私に訴えに参りました。
そのときの公威の心境が今日になってよく判ります。

平岡倭文重


99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 15:39:08 ID:GaMftIK2
彼(三島)の感性は非凡なだけでなく時に大変ユニークで、常人の追随しかねる点があったけれども、人間としての器量は大きかった。
思えば、不良少年の親分を夢みるだけのことはあった。

三谷信

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 15:40:09 ID:GaMftIK2
…初等科六年の時のことである。元気一杯で悪戯ばかりしている仲間が、三島に「おいアオジロ―彼の綽名―お前の睾丸もやっぱりアオジロだろうな」と揶揄った。
三島はサッとズボンの前ボタンをあけて一物を取り出し、
「おい、見ろ見ろ」とその悪戯坊主に迫った。それは、揶揄った側がたじろく程の迫力であった。
また濃紺の制服のズボンをバックにした一物は、その頃の彼の貧弱な体に比べて意外と大きかった。

三谷信


101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 12:04:02 ID:M5hjFiem


102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/23(水) 11:24:39 ID:NOLK8sps
http://ytrytryrty.boldlygoingnowhere.org/
これ最高!!

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 11:02:27 ID:XjqqyZgg
僕の母、白い手、黒い髪、白い大きな目、いつも天のどこかで僕を見守り、愛撫してくれる。お母さん、僕、今日学校で寝た。かんにんだよ。
でもどこかでお母さんの声が、必勝、あと十分だからがんばりなさい、と聞こえてきたよ。
そうか、お母さんのいる天国へ僕も行こうか。お父さんも待っていてくれると思うけど、きっと仲が良いんでしょうね。

森田必勝

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 11:03:05 ID:XjqqyZgg
ぼくは、国のために死にたいと思います。

先生のためには、いつでも自分は命を捨てます。

森田必勝


どんな美辞麗句をならべた礼状よりも、あのひとことには参った。

三島由紀夫


105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 11:04:00 ID:XjqqyZgg
僕は絶対に三島先生を逃しません。

ここまで来て三島が何もやらなかったら、オレが三島を殺る。

森田必勝


106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 11:04:54 ID:XjqqyZgg
彼(三島)は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。

三谷信


107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 03:47:25 ID:m84iO11+
悪いが、防衛庁市ヶ谷駐屯地(だったっけ)での割腹自死(森田必勝の介錯で熟死)
は品の悪い自己満足だったと考えている。
その時、現場に居たが、バルコニー前に集められた自衛隊員
およそ500-600名か が口々にした言葉は、単なる罵しりの
「いーかげんにしろ!」「バカかお前は!」だったね。

ピエロ風を演じながら、国防と国家護持の本質を説くつもりだったんだろうが
売国国家日本の「警察呼びたい」出自の自衛隊員には無関係だったんだろう。
彼の書いた檄文を森田が撒いたんで掴んで即刻読んで観たが稚拙だったね。
その直後、バルコニーで 下に居る500-600人には聴こえない声で演説して
即刻、予定調和で自死したんだから、語るに落ちる。
因みに、バルコニー演説は12時02分位かな。
自死は12時17分位だろう。(嘘だと思うなら調べてみ)
どこにも記録は無いが現場に居た俺の耳にはしっかり聞こえたからな。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 11:12:22 ID:Xx5EaJuW
三島由紀夫は、自分は風流夢譚を推薦していないと声明を発表して、
深沢七郎のような既成の作家の作品について雑誌掲載の可否を決定する権限は、当の雑誌編集部以外にはない、と力説しています
外部の人間が、編集に口をはさむことが許されるものでなく、
編集権を侵害しないというモラルは、ぼく自身いつも守ってきた、と三島由紀夫は言ってます
あと、その風流夢譚を載せた雑誌じゃない、中央公論社の別の雑誌の担当者の井出氏は、
むしろ三島由紀夫は、風流夢譚の発表が巻き起こす、社会的反響を心配していたという主旨の内容を言ってます


109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 11:13:22 ID:Xx5EaJuW
聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対したにもかかわらず、あたかもぼくが圧力をかけて掲載させたように伝わっているらしいんです。
これはとんでもない誤解で、推薦した事実はない。
しかし、それにもかかわらずぼくの名が使われたとすれば、それは一部の者が苦しまぎれの逃げ口上に使ったのではないか。
そう思えば使った者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのはこちらだからね。
ともかくふりかかった火の粉ははらい落としたいというのが本音だ。

三島由紀夫


110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 11:20:59 ID:Xx5EaJuW
>>107
マスコミのヘリの爆音に、演説の声がかき消されたからでしょうね
拡声器は使わず、肉声がポリシーだったようです
檄も肉筆だったそうですね


111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 17:57:11 ID:m84iO11+
>マスコミのヘリの爆音に、演説の声がかき消されたからでしょうね

そんな事は無い。静謐だった。
ざわついている隊員たちに、再三『静聴せい!』を続発した事に
彼の最期の孤独を感じた。
「ミシマ」なんて知らないよ、てな相手になにを檄しているんだろうと。

森田が撒いた檄文は直筆コピーだった記憶。(どこで取ったんだろう? 早稲田か)

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 12:29:02 ID:ZVkwwl8U
>>107>>111
当時の資料を見ましたが、かなりマスコミのヘリで三島由紀夫の声がかき消されたとありますよ
それと、あなた言ってることは矛盾してますよ
内容が聞こえたか、聞こえなかったかどっちなんでしょうか?

> その直後、バルコニーで 下に居る500-600人には聴こえない声で演説して
> どこにも記録は無いが現場に居た俺の耳にはしっかり聞こえたからな。
> そんな事は無い。静謐だった。


それから三島由紀夫は自衛隊で体験入隊してますから、自衛隊員が三島を知らないことはないと思います
その現場にいた自衛隊員は、留守番兵や雑用係だったらしいから、三島を知らなかったのかもしれませんが…
ちなみに、実践部隊の自衛隊員は、訓練中でいなかったそうですよ
森田必勝たちがそこまで調べなかったので、ひどいヤジは誤算だったでしょうね

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 03:47:22 ID:MtD/rdit
>当時の資料を見ましたが、かなりマスコミのヘリで三島由紀夫の声がかき消されたとありますよ

うーん、静謐は言い過ぎだったろう。謝る。時折の妨害はあった筈だ。
何機位のヘリが正午の三島の檄演説時 上空に居て 演説を妨害したか迄は
詳しく覚えていないが、数機だった記憶。週間読売のグラビアには 空撮写真があるので
読売ヘリはまず間違いないが…。

バルコニーと広場との距離はその写真等を観れば判るかも知れないが
「真下」で発言者の言葉に集中していれば、なんとか聞き取れる距離だと思う。
更に、檄文を参照しながら、意図を察知して耳を傾ければ十分聞き取れただろう。
しかし侵入(闖入)者が誰とも判らず、緊急集合掛けられて整隊したばかりの隊員達に
静聴を求めるのは、ヘリ飛行音の妨害以前に論外だろう。

一方、楯の会の制服で着刀し演説する姿を観て 三島と確認した上で
檄内容を確聴した上で、野次を飛ばした隊員も当然中には居たんだろう。











114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 11:49:46 ID:wNadUPwx
徳岡孝夫氏は市ヶ谷の現場に呼ばれて
バルコニー下から演説を直接聴いていたわけですが、
著書『五衰の人』では、ヘリ等の騒音で聴こえなかったというのは誤りで、
聴く心さえあれば真摯に耳を傾けることができたと明言しています。
現に徳岡氏の取材メモは演説内容をほぼ網羅していました。

演説の録音を今聴くと、「去年の10.21に何が起こったか!」という
自衛隊員への三島の質問に対し「銀ブラだぁ!銀ブラ!」(と、私には聞こえた)
と大声で答えて周囲の笑いを誘っている場面もあります。

確か『行動学入門』だったと思いますが、その「あとがき」で、
ある電車の中の週刊誌の吊り広告に三島が
ノーベル文学賞候補に挙がっている事を報じる記事を見ていた複数の学生が、
「三島がノーベル賞を獲ったら、今度は何を『する』だろうか?」といって議論を交わしているのを見て、
「何を『書く』だろうか?」という疑問が真っ先に起こらないところに三島のスター性がある、
といったことを奥野健男氏が書いていたように記憶しますが、
市ヶ谷台での自衛隊員の反応も、この学生の反応と大して違わなかったはずですし、
おそらく「また三島が変なことをやっている」という程度の認識しかなかったに違いありません。



115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 12:33:44 ID:Vv5WxXGa
山内(元自衛隊員、普通科教導連隊元助教)は、あの日、市ヶ谷のバルコニーで
「諸君は武士だろう!」と絶叫の響きをにじませながら訴える三島の声をかき消すように、嘲笑や罵声を浴びせた隊員たちにむしろ
「腹が立ち」、「平岡先生を悪者にしてはいけないということしか頭に浮かばなかった」という。
三島への尊敬の念が強まることはあれ薄まることはなかったのである。

そんな山内も、終生先生との思い出を忘れない、と書きとめたノートのなかで、
〈私は先生に会う以前、三島由紀夫とはつまらぬ小説家であろうと思っていた〉と明かしている。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 12:34:14 ID:Vv5WxXGa
それが「尊敬」へと180度変わったのは、生身の三島に触れて、たとえ弱さがあっても、そんな自分から決して逃げることはせず、
むしろ真正面から立ち向かって、より強くなろうとする三島の真摯な姿を間近でみつめてからだった。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 12:35:09 ID:Vv5WxXGa
ひたむきな三島に心動かされたのは山内ひとりではなかった。体験入隊してきた三島を、時には「平岡ッ」と本名で呼び捨てにしながら、手加減せず厳しく指導してきた教官や助教も、
あるいはともに汗を流し、隣り合わせのベッドで眠った訓練仲間の学生も、少なくとも私が話を聞いたすべての元兵士たちが口を揃えて、
鍛え上げられた上半身に比べて足腰の弱さが際立つ、三島の中のアンバランスを指摘しながら同時に、三島の愚直なまでの一途さにすがすがしいものを覚えていた。
要するに彼ら全員が、兵士になろうとして、世界のミシマとは別人のように弱さも含めてすべてをさらけ出した人間三島に惚れこんだのである。

杉山隆男
「兵士になれなかった三島由紀夫」より

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 13:06:34 ID:YC1XoWpT
猪瀬直樹「三島由紀夫は、七十年に自衛隊のバルコニーに立って演説するわけです。
あの演説のとき、自衛隊員に罵倒されたでしょう。あれ、吉本さん、どうご覧になってました?」

吉本隆明「なんてやろうだ!と思ってました。死ぬ気でいる人間の言葉を、自衛隊に入隊して一緒に訓練した人間の言うことを、黙って聞いてやることぐらいしたらいいじゃないか。
これじゃ、三島さんが気の毒だ…、というのがホンネでしたね。」

1994年12月2日号「週刊ポスト」より


119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 16:11:04 ID:2Z9/ue3P
保守

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 15:18:00 ID:IjrYpSBF
鶴田浩二「昭和維新ですね、今は。」

三島由紀夫「うん、昭和維新。いざというときは、オレはやるよ。」

鶴田「三島さん、そのときは電話一本かけてくださいよ。軍刀もって、ぼくもかけつけるから。」

三島「ワッハッハッハッ、きみはやっぱり、オレの思ったとおりの男だったな。」

「週刊プレイボーイ昭和44年7月8日号」(三島由紀夫映画論集成・所蔵)より


121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 16:38:37 ID:57nHfPTj
>>120
えらく威勢がいいが、父梓が書いてたが、
「暴漢が侵入したとき、家族の誰よりも早く、誰よりも遠くまで逃げたのが他ならぬムスコでした。
他の者は2、3軒先の民家に逃げ込んだので、事が済んですぐに呼び戻ったのですが、
彼だけは幾ら呼んでもでてきません。
あとで聞けば20軒くらい先の家に隠れていたそうです 笑」
こっちこそ、ワッハッハッハッだ。

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 15:50:59 ID:0TgmSgDd
>>121
でも最後は威勢よかったからめでたしめでたし。

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 16:08:26 ID:0TgmSgDd
(三島は)銀座方面に出かけるとき、海外旅行に出かけるとき、ちょっとたのむとかならずなんでも買ってきます。
…忘れたら忘れたでよいと申しましたが、数軒さがしてやっとあったと注文しないパイプも買って来てくれました。
いかなる些細なことでも、たのめばかならず履行してくれます。

平岡梓
「倅・三島由紀夫」より


124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 16:09:22 ID:0TgmSgDd
終戦前のことですが、荷物の疎開でズック袋やトランクをいくつも荷造りしましたが、
そのときも公威は、荷造りの手伝いをしたり、それぞれの荷物の中身を克明に手帳に記入してくれたり、自動車で運びにくい品物は大八車を借りて来て弟妹と三人で運んでくれました。
…公威はつねに先頭になっていやな仕事を引き受けて、ずいぶんこの弱い私を助けはげまし、一家の心の支柱となってくれました。

平岡倭文重
「倅・三島由紀夫」より


125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 16:58:34 ID:hTsNsoit

  「精神性を大事にする人の世界と、
   毎日を実利の世界に生きている人との、
   音信不通と言ってもいい断絶」

―――辻井喬「叙情と闘争」・堤清二回顧録20 読売新聞08年06月07日―――


126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 02:13:24 ID:1kGEUtiA
三島邸の ゴチック(?)趣味の様相はどんなモンだったんだろう?
大昔竹宮恵子(いっとき一世風靡)のマンションの白一色のアトリエを観た事があったが、
螺旋階段みて、三島邸の噺を想い出したのを想い出した。


127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 11:27:23 ID:qPyoFzJ9
>>126
写真集『三島由紀夫の家』をみると、アポロ像の床面に黄道十二宮がモザイク大理石で作られていたり、
家の内装や家具や置物もすべて南欧風の骨董美術のようなものでいっぱいですよ。

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 16:39:46 ID:h87pZhrQ
三島由紀夫は徴兵検査に合格してます。その次の入営検査で、当日、高熱と咳がひどく、軍医が三島を結核と診断されました。
びっくりして帰京してから、別の医者が診て誤診とわかり、徴兵は来年、つまりその翌年に延ばされただけです。戦争が長引けば、三島も徴兵されてました。
それから、元々三島(平岡公威)は優等生だったため、特別甲種幹部候補生、或いは海軍予備学生になることができ、軍関係の学校に入ってエリートコースで学生を続けられました。
一兵で徴兵されるよりも、危険な戦場に赴くこともなかったでしょう。級友の三谷信もこの士官学校の学生でした。
三島が一兵で徴兵されることを選んだ時、学習院校長の海軍大将が三島を、特別幹部候補生になるように説得しましたが、
三島の一兵徴兵志願の決意は固く、校長は「仕方ない。君のデスティニィ(宿命)だね。」とあきらめています。


129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/31(日) 09:44:50 ID:yFekqvVY
>>127
>家の内装や家具や置物もすべて南欧風の骨董美術のようなものでいっぱいですよ。

そうですか…。
三島のデコラティブな西欧耽美趣味の原因が気になりますね。

戦時、三島と同じ位の歳の
軍国少年-青年は当時一杯居ましたが、みんな貧しく 徴兵され 時にはアジアの地で
屍と成って行きました。才能豊かで将来を嘱望されながら15歳で海軍に入隊し
通信工兵の途を選び、太平洋での艦船被弾で爆殺された少年を
澤地久枝さんが静かにいとおしんで語って居ました。

愛国を騙る売国奴は古今東西遍在しています。
無論三島は売国奴でもなんでもありませんが、
自身の天才と恵まれた境遇に訣別せざるを得ない要因は何だったんでしょうかね。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 12:55:29 ID:46VSuFIY
>>129
戦争を煽ったのは、朝日新聞などの今、左翼と呼ばれているマスコミも荷担してます。

三島の書簡などを見ると三島は、ただ大衆的に軍国を煽るだけで、日本文化のことなど考えてない人たちのことを批判してます。
三島は少年時代から皇国で反米思想でしたが、書簡を読むと、軍国ではなくなにより日本文化を大切に思っていたのが解ります。
そういう人物だから、他国の文化の、何か日本文化と共通する華やかでありながら哀感や陰のある南欧などの要素に惹かれたんだと思います。
戦後は、米型支配のもと、日本文化の存亡の危機感を人一倍予感していた人物なんだと思います。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 07:34:59 ID:WwV1vNNE
三島が 日本文化の奥底に通暁して 深く理解していただろう事は
バカな私にも 少し分かります。
盆百の売国奴とは全く違うと思っています。
まして、戦後の売国右翼に辟易していた事も分かります。

しかし、自刃は別要因だとも思います。

国を護るのは 国軍だけでは無いからです。
深く自国の歴史と文化をいとおしみ愛する人間の集合が 国を護るのです。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/05(金) 11:41:17 ID:d0YRNjPG
>>131
三島の死には、明治以降、政治家や軍人、自衛隊員に欠けてしまった武士道精神や日本文化の真髄を、自ら体現した諫死の意味があったと思います。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 20:00:30 ID:obeDywMm
考えさせられることの多い死ですね。

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 20:28:22 ID:B/0fhJCf
お屋敷はほんとに立派です

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 18:19:37 ID:RXV5SqNE
よくあんなに年数たっても立派に保存してあるな鉄筋コンクリート三階建て。
なかの調度品のカーテンや椅子のシート。保存状態もよし。
ただ、庭のアポロンと石の階段は黒ずんでいる。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 23:15:09 ID:wAt24+LF
あげ

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 10:57:25 ID:FTONnemy
>>135
へ〜、中に入って見られるんですか?誰が管理しているんでしょうか?

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 06:26:52 ID:vExTfLr9
中には入れませんよ

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 21:38:32 ID:JNdBUc8x
おしらせ
11月25日午前11時55分−午後2時
日本テレビ系列
みのもんた「おもいっきりテレビ」
「今日は何があった日」のコーナーは、三島事件特集です。
ゲスト 女優 村松英子、文藝評論家 松本徹 の両氏が出演します。
放映は午後1時前後の予定。

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 11:38:57 ID:tNf7L2Bj
>>107
当時マスコミの少なくない人間が、三島にそれなりの脅威を感じていた。
それが自爆したことによる快哉は大きかったようだね。
三島のクーデターは1970年、あさま山荘が1972年だ。
まだ学生運動の正体が一般には知られておらず、マスコミも心行くまで左の旗を振っていた。
ニヤニヤ笑う自衛隊員の顔をことさらに流したのは、「三島の主張はキチガイ沙汰なのだ」という
マスコミの強い主張だわな。実際クレイジーではあったが。
ちなみに成田闘争の時、TBS社員が取材車で過激派の運搬をしていたことが判明して
問題になったことがあった。責任を取って田英夫がTBSを退社したのが1970年。
今のマスコミ報道にも強い「誰かの意図」が動いているけど、
当時のそれは、はるかにあからさまだった。
三島事件の報道は、時代背後とまわりの人間模様を強く考えながら見ないと真実がみえんわな。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 16:33:12 ID:tXNms45B
川端康成氏を囲んで (三島由紀夫 伊藤整)
川端康成のノーベル文学賞受賞が決定した翌日、1968年10月18日に放送されたもの
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674134
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674204
http://www.nicovideo.jp/watch/sm5674343


142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 17:46:10 ID:XdToEVGG
>>140
ここまで事実を歪曲捏造して三島擁護できると幸せだな。
当時の三島演説で皆が誹謗中傷したのなんてなんてことない事実で、
それを否定する文献も何にもないよ。
なんでもかんでも疑いだしたら、今君が読んでいる三島の本だって、本当に三島が書いた
ものかどうかわからなくなる。
どこかで信憑性を認めなくちゃならない。
残念ながら、三島が頭の狂っちゃった英雄気取りのキチガイだという認識は、覆りませんよ。



143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 17:51:49 ID:XdToEVGG
三島は懲役逃れをしたばかりでなく、その後志願もせずにのうのうと暮らして、
数年後戦死者の犠牲の上でさも自分も闘ったかのような顔してサムライだ武士だの騙りだします。
しかも英霊の聲だのなんだの言って、勝手に死んだ226将校の口を借りて
自分の復讐心をあらわにします。こりゃもう犯罪者ですよ実際。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 17:55:22 ID:XdToEVGG
三島由紀夫は懲役逃れをしたばかりではなく、それをこともあろうに
正当化して、戦争が終わったのちに図々しくも虚言を呈し自分の徴兵逃れを
糊塗しています。
それと、当時の校長の話は小説の中の話で、三島が事実歪曲した一例です。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 19:56:02 ID:Z55ixp1V
新幹線を三島で降りた。雪を見た。
寒かった。

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/27(火) 23:42:42 ID:XdToEVGG
ねーねー、なんで三島は兵庫県なんかで検査をうけたのかな〜?
そりゃーきまってるさ!田舎の逞しい青年の間では三島はことさらひ弱にみえる。
それゆえに検査で落ちることをのぞんだのさ!
これのどこが憂国だよアッハッハhッハhッハhッハhッ八は」


147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 01:18:45 ID:RFt5aX/4
>>146
三島嫉妬に狂った気違いの連投みじめだな。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 23:35:40 ID:P+Er9K36
「まさか、死ぬとは!すごいショックだ。自分もずっと演説を聞いていたが、若い隊員の野次でほとんど聞き取れなかった。――死を賭けた言葉なら静かに聞いてやればよかった。」

陸上幕僚T三佐
三島自決直後の談話

149 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 23:36:46 ID:P+Er9K36
「三島の自決を知ったあとの隊員たちの反応はガラリと変った。だれもが、ことばを濁し、複雑な表情でおし黙ったまま、放心したようであった。
まさか自決するとは思っていなかったのだろう。その衝撃は、大きいようだ。」

自衛隊の最高幹部
三島自決の日の談話

150 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 23:39:02 ID:P+Er9K36
バルコニーで絶叫する三島由紀夫の訴えをちゃんと聞いてやりたい気がした。
ところどころ、話が野次のため聴取できない個所があるが、三島のいうことも一理あるのではないかと心情的に理解した。
野次がだんだん増して行った。舌打ちをして振り返った。
…やるせなかった。無性にせつなくなってきた。
現憲法下に異邦人として国民から長い間白眼視されてきた我々自衛隊員は祖国防衛の任に当たる自衛隊の存在について、大なり小なり、隊員同士で不満はもっているはずなのに――。
…部隊別に整列させ、三島の話を聞かせるべきで、たとえ、暴徒によるものであっても、いったん命令で集合をかけた以上正規の手順をふむべきだ。
こんなありさまの自衛隊が、日本を守る軍隊であるとはおこがましいと思った。
三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。

K陸曹
三島演説を振り返って

151 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/10(火) 16:08:18 ID:6Ov1Su7C
>>149
>まさか自決するとは思っていなかったのだろう。

これは三島作品のすべてに妥当する。
フィクションが現実のものとなり、より真実らしさを
増す。文学が現実性を獲得する。三島の狙いはこれだ
ったのか?
しかし、フィクションがその現実の行為により価値を
高めるとするなら、現実に行為したものたちの文書は
さらに価値が高いはずではないか。仮に上記のことが
三島の狙いだとするなら、その企図自体が背理を孕む
はずである。
背理を覚悟の行為だったのか、あるいは文学者から逸脱
するための行為だたのか。後者なら、彼の文学とは何
だったのか。

152 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 17:27:34 ID:s+q6Yvf6
まさか自決するとは思ってなかった。

現場検証に来た若い警官が、
生首が転がり血まみれの部屋を見てウゲェ〜となった。

  ↑
知人から聞いた話。

153 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/17(火) 19:56:32 ID:vxFVG3Nr
>>150
また三島信者のガセネタか…
「三島がんばれ!…心の中でそう叫んだ。 」って、
そりゃお前が心の中で叫んだことだろ。


154 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/18(水) 23:53:42 ID:uvRzx955
ガセネタじゃないよ。
資料三島由紀夫の中にあった、自衛隊員の言葉だよ。
アンチはガセだと思いたいんだろうけど。

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 15:35:18 ID:E+8SegtZ
三島信者の捜索ガセネタ。
出典も怪しいし、K陸曹ってなんだよwって話。
もう三島擁護のガセネタ貼り付けはうんざり

156 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 15:39:09 ID:E+8SegtZ
2chスレに駐在する三島信者のオバサンは
三島美化のためなら平気で真偽の定かでないコピペをするからな。
しかも時にそれに混ぜて三島美化の作り話までさも真実の記事のように掲載する
から恐ろしい。

157 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/20(金) 17:08:18 ID:jqr5+7gJ
>>155
一般人だから本名晒すわけないでしょう。
出典にもイニシャルで書いてあるから。

158 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/19(日) 23:31:16 ID:JY5+3LBm
三島由紀夫最期の絶叫
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1509258

159 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 05:20:19 ID:EMgep3cM
>2chスレに駐在する三島信者のオバサンは

三島信者のホモが正しい



160 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 11:26:09 ID:W93HsaqT
正しくない。

161 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 22:41:29 ID:NlvCjVZT
それにしても三島氏は自衛隊に何を見ていたのだろう。
すでにガードマンに成り下がっていた自衛官・・・それらを相手に「軍人、軍隊の何たるか」を説き決起を叫んでも、きっと虚しかったのではなかったか・・。
氏の男色を揶揄する輩も多いが武士の世界では普通だった時代もあり、この日本において
特別話題にする事も無いと思うが・・。

162 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/10(日) 11:08:25 ID:XlhVZyly
公威は、独特の笑顔を持って生まれてきた赤ん坊であった。
明るく、底の方から湧き出るような笑顔である。笑うつもりもなく自然に顔中の筋肉がほぐれ、こぼれるように溢れる笑顔こそ、生涯をかけて私を励まし慰めてくれたものだった。
二十歳の健康な母親には豊かな乳房があり、赤ん坊はほとばしる乳をたっぷり呑んで育った。
この世から、もしこの顔が消えることがあったら、私は生きていることは出来ない、とその時から幾年もずっと思い続けて来た。
もしそのような事があったら、誰が何を言おうと一緒にお棺の中に入ってしまおう。家中の者が泣き喚いて止めても実行しよう、と思い定めていた。

平岡倭文重
「暴流のごとく」より

163 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/10(日) 11:10:42 ID:XlhVZyly
それは、公威が長じて大人になってからも、消えるどころかだんだん強固なものになって来ていたから、事件の時点で当然実行する筈であった。
ところが、あの時、はっきり拒否する公威の声があった。私は意味を考え、そして分かった。
折角の彼の行為が汚れるからだ。私が何をしたところで、公威の味わった苦しみにはとても近寄れないが、これから先に立ち現れる障害に耐える力をあの時の公威が私に授けてくれたように思う。
重い重い石の塊りのような得体の知れないものがどっかり腹の中に居据わって、これは一体何なのかと私はいぶかしく分析してみる。諦めとも違う。怖れとも違う。やはり公威の残してくれた一種の教訓と私は感ずる。
私が泣けば彼も泣く。私が喜べば彼も喜ぶ。私はもう泣かない。泣くものか、と気が狂ったように、止めどなく私の感情は揺れ動き往きつ戻りつした。
そして残された者の心の在り方として、公威の優しさが一種の安らぎのかたちを取って、今ここにこうして私は在る。

平岡倭文重
「暴流のごとく」より

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:43:11 ID:tv7q1qph
一九六七年(昭和四十二年)春、四十二歳の三島氏は一人で四十五日間、自衛隊に体験入隊し、国防の必要性を感じ、祖国防衛隊的な組織を作ろうと政治家や財界人に働きかけたのですが成功しませんでした。
三島氏は自ら学生を集め、自衛隊に体験入隊させて祖国防衛隊を作り、のちに「楯の会」という名前を付けました。
三島氏は熱心に働きかけたのに本気にならなかった多くの財界人を見て、「財界人は一見、天皇主義者だけで、利益のために簡単に変節する連中だ」と絶望していました。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

165 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:44:31 ID:tv7q1qph
三島氏は政治活動で最も大切なのは「金銭の出どころ」だと言っていました。
約百名とはいえ、「楯の会」運動を続けるための費用はすべて三島氏個人が負担しており、外部に寄付を依頼することはありませんでした。
三島氏の事件から六年後の一九七六年(昭和五十一年)に明るみに出た「ロッキード事件」では、「自称愛国者」児玉誉士夫氏は米国ロッキード社と田中角栄首相のパイプ役として働き、アメリカ側から巨額の謝礼を受けていたことが判明し、愛国者の仮面を剥がされました。
三島氏は大卒の初任給が五万円以下の時代に、年間八百万円もの私財を「楯の会」のために使い、外部に資金援助を一切依頼せず、運動の純粋性を守り通したのでした。
三島氏が自ら自衛隊に体験入隊したあと、「祖国防衛隊構想」を財界人に説いて回ったそうですが、資本家たちは一見「天皇主義者」のように見えても、自己の経済的利益のためなら簡単に裏切る人々だと実感したそうで、以後、財界の資金援助を受けようとはしませんでした。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

166 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:45:37 ID:tv7q1qph
「楯の会」はたった百名の小さな組織でしたが権力に媚びることなく、既成右翼との接触もなく終わったのは資金の出どころが明確だったおかげだと思います。
三島氏の金銭に対する考え方は清潔で、納税することは国民として当たり前で、「自分の払った税金が自衛隊の戦闘機のタイヤ一本分くらいになっていると思うと嬉しく思うし、税金は安いくらいだと思う」と言っていました。
以前に瑶子夫人からお聞きしたところによると、インドへ旅行した折に大理石の美しいテーブルを見つけ、名前を入れてもらう約束で注文したらしいのですが、
奥さんが半額だけ現地で払い、残りは商品が着いてから払えばと勧めたのに、「僕はそんなのは嫌だ」と言って全額を現地で払ったそうです。
注文後、一年ほど商品が着かず、奥さんは心配したそうですが、無事到着し、今も南馬込の三島邸の庭先に置かれていると思います。

井上豊夫
「果し得ていない約束 三島由紀夫が遺せしもの」より

167 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:56:43 ID:tv7q1qph
私は作家として三島由紀夫とは何んの接点もなかった。そう言っていいにちがいない。
彼がすぐれた文学者であったことは私にも判っている。なみなみならぬ、ケンランたる才能の持ち主であったことも心得ている。
たとえば、「自決」前年の「蘭陵王」――ああいう作品はなかなか書けるものではない。
しかし、人間には好みというものがある。文学の好みにおいて、私は彼と接点がなかった、そう言えばいいだろう。
(中略)
とにかく好みというものがある。私には読んでいるとお尻の下がむずがゆくなって読み通せない作家がある。
いい作家かも知れないが、それを重々判っていても、駄目だ。三島由紀夫にはそんなことはなかった。けっこう読めた。

小田実
「三島由紀夫との接点」から

168 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:57:32 ID:tv7q1qph
思想家としての接点はどうか。
…考えてみると、彼はあのころ大学の時計塔にたてこもった「過激派」の学生にいたく共感し、学生は学生で、彼が「自決」したとき、われわれは負けたと言ったものだ。
…そこでも私が彼と接点がなかったことは、彼の「自決」後、ある雑誌のインタビューで、私は彼の死についてしゃべった――
そのインタビュー記事の題名は、「私は畳の上で死にたい」。それがすべてを言いあらわしている。

小田実
「三島由紀夫との接点」から

169 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 10:58:19 ID:tv7q1qph
しかし、接点がひとつあった。確実にあったと思う。
私はそのころベトナム反戦運動に精を出していた。
…私はこの「ただの市民」の運動を自分で考えてやり出し、自分でそれなりに力も時間も金も出してやった。そして、小説もとにかく書いていた。
三島も「楯の会」で同じことをしていた。彼は「楯の会」を自分で考えてやり出し、力と時間と金も出し、小説も書きながらやっていた。
それが二人の接点だった。そのころも私はそう思っていたし、今も思っている。
ついでにもうひとつ言っておけば、そうした意味での接点を私が感じとったのは、あとにも先にも、彼ひとりだ。

小田実
「三島由紀夫との接点」から

170 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 17:19:24 ID:0zQiTfm8
私は一度だけ三島由紀夫さんから葉書を頂戴したことがある。葉書に十行足らずの簡潔な内容の便りで、私の住所がわからないため、私の著書の出版社経由で届いたのだった。
…葉書の消印は昭和三十六年五月一日。「抒情の批判――日本的美意識の構造試論」は、当時新たに生まれたばかりだった出版社晶文社から刊行された、私のごく早い時期の著書で、奥付によると、刊行は昭和三十六年四月二十日となっている。
つまり、三島さんはこの本が書店に並んだのとほとんど同時に、これを購入してくれていたのだった。
のみならず、三島さんは彼が発行同人(?)の一人でもあったらしい雑誌『風景』、さらに『東京新聞』書評欄でも「抒情の批判」を激賞してくれた。それは何千部かの本がどんどん売れていくという、喜ばしい椿事を生んだ。

大岡信
「一度だけの便り」より

171 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 17:21:27 ID:0zQiTfm8
『風景』所収のものは三島さんの「日記」中、四月二十七日(木)付の一文である。
…もしこれらを読んだ時私が三島さんにそれに見合うだけの熱烈な礼状を書いていたとしたら、私のその後の人生は多少とも変った流れになっていたかもしれない。
第一、本が書店に出まわるのとほぼ同時に銀座の本屋さんでこれを買い、〈匆々に帰宅してこれを読んだ〉と三島さんは書く。
そして〈本の副題の「日本的美意識の構造試論」の展開である「保田輿重郎ノート」といふ長文の評論を、身も心も惹き込まれて読み、まだ会ったこともない大岡氏に、オマージュの葉書を書いた〉と三島さんはいう。
現在このような形で、自分より若い物書き、それも現代詩などというものを作っている人間に対して、熱烈というしかない〈オマージュ〉を捧げてくれる文筆家などいるだろうか。

大岡信
「一度だけの便り」より

172 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 17:23:30 ID:0zQiTfm8
三島さんは十代のころから保田与重郎を読み、その〈謎語的文体〉に〈いつも拒絶されるやうな不快と同時に快感を味はつた〉と書く。それは数歳年少だった私自身が感じていたものと、かなり近かった。
…三島さんが私に示された非常な好意も、戦後社会に対してどうしてもしっくりしないものを感じ続けていた精神が、
〈生の充溢感と死との結合は、久しいあひだ私の美学の中心であつた〉(「日記」)と、いわば晴れて堂々と言い切る機会を得た満足感が、伴っていたのかもしれない。
残念だったことは、三島さんに直接お会いして、この時の礼を申しあげ、三島さんの戯曲についての賞賛的感想をのべる機会を、永久に失ってしまったことである。

大岡信
「一度だけの便り」より

173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/25(月) 11:46:17 ID:PD+1xfxv
きのふの風 けふの風
恋の風 金の風
夢も涙も 吹きとばし
人でなしでも 人の子さ
からつ風野郎 あすも知れぬ命

ムショの風 シャバの風
恋の風 金の風
情しらずの ワナをかけ
惚れはさせるが 惚れはせぬ
からつ風野郎 あすも知れぬ命

ハジキの風 ドスの風
独り笑ひの 口もとを
すぎる殺気の うそ寒さ
からつ風野郎 あすも知れぬ命

三島由紀夫
「からつ風野郎」主題歌

174 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 13:37:52 ID:0XM0RAWb
三島由紀夫、本名平岡公威氏は、府中市多摩霊園十区一種十三側三十二番、平岡家の墓碑の元においでになる。
…私が墓参に行くと、かつては真紅であったろうと思われる薔薇がドライフラワー状態になって手向けられてあった。
…「真紅の薔薇」には忘れ得ぬ記憶がある。
昭和四十五年十一月二十五日。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹された翌日、検死の済んだ御遺体が、詰めかけた人々で騒然としている御自宅に戻られた。
パテオに屹立していたアポロンの立像の脚元に三十本余りの真紅の薔薇が文字どおり放り投げられて散乱していた。
鎌倉の御自宅から駆けつけて来られた川端康成氏が線香をあげられたあと、その光景を凝っと視ておられ「薔薇って怖いね」と私の耳許で呟やかれた掠れ声が今も鮮明である。眼に薔薇の炎。耳に巨匠の声。――

増田元臣
「美しい人間の本性」より

175 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 13:39:46 ID:0XM0RAWb
三島さんの交誼を頂く事になったきっかけは、私が未だ慶應義塾大学の塾生だった時である。
私は幼年期から映画に取り憑かれており、塾生でありながら、増田貴光というペンネームで書いていた「映画の友」という月刊誌の寄稿文を映画好きの三島さんが読んで下さった事にある。
その月の私のコラムは「ヴィスコンティの美は禁色にあり」と題したもので、その時初めて手紙を頂いた。手紙の御礼に御自宅に赴いた私を、三島さんは楽しげにもてなして下さった。
…数日後三島さんから二通目の手紙が届いた。差し出し名は平岡公威となっており、その内容はざっと次のようなものだった。
「今後、君と付き合ってゆくにあたり、先生という敬称はやめて欲しい。君との友情に距離感が生じるようで寂しいではないか――」そして文通するについての差し出し名は平岡公威にする、と書かれてあった。
以来私も三島さんへの手紙は本名の増田元臣とした。

増田元臣
「美しい人間の本性」より

176 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 13:41:15 ID:0XM0RAWb
私が映画評論家として米国に滞在していた時、「憂国」の映画が完成したという連絡を頂き、急遽帰国した。原作、脚本、監督、主演すべて三島さん自身の作品だった。
三島さんは私独りの為に、三島さんと親交の深かった葛井欣士郎氏の劇場で「憂国」を観せて下さった。
試写が了り私が泣き濡れた顔で廊下に出て行くと、葛井氏となにやら談笑していた三島さんが驚かれた様子で、
「ほとんどが割腹シーンで占められているこの映画で、何故そのように悲しむのか」と訊かれたので、
「この映画は三島さんのダイイング・メッセージと解釈致しましたので」と私はお応えした。
その事があって以来、私は三島さんとの数々の思い出で日々を送った。

増田元臣
「美しい人間の本性」より

177 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 13:42:35 ID:0XM0RAWb
特に、三島さんがイタリアに取材に行く時と、私がローマのチネチッタ・スタジオのフェリーニとのコンタクトの時が一致して、私がお供をする形になった時のことである。
私達がフォロ・ロマーノの遺跡に立った時三島さんは冗談めかして、
「もし私がハドリアヌス帝だとしたら、君はアンティノウスになれるか」
と尋ねられたので、私は、
「勿論です!」と勢い込んで即答した。
あの時の三島さんの嬉しげなお顔は、忘れる事が出来ない。
「三島由紀夫文学」については周知である。しかし、平岡公威、という美しい人間の本性は、深海の如く神秘で、容易に理解することは出来ないだろう。

増田元臣
「美しい人間の本性」より

178 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 10:53:10 ID:qA2xtjRr
三島由紀夫さんの《詩の朗読レコード》「天と海」が発売されたことについて、今では知っている方も少ない。
…このレコードの制作当時、私は大手のPR会社に勤務しており、このレコードに関する企画、制作、PRなどに深く関与していた。
…三島さんは「キミが勤めている会社のためだったら断るが、キミの個人的な頼みでやるのなら引き受けてもいいよ」と快く返事をしてくれた。
私が三島さんに知己を得たのは、学生時代にさかのぼる。当時流行していたボディビルジムでの出会いが契機となり、氏との数奇な縁が始まった。
…詩は朗読する本人にお任せすることになり、三島さんは浅野晃氏の「天と海」という長編を選んだ。
この詩の内容は、詩人で大学教授でもあった浅野氏が、学徒動員で出征し、南方の地に散っていった教え子たちの英霊に捧げる鎮魂歌であった。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

179 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 10:54:39 ID:qA2xtjRr
この仕事を始めるに当たって三島さんは、「今回の制作は、私は単なる朗読の演技者であるから、全てキミの指示に従うので注文があれば遠慮なく言って欲しい」と念を押された。
…このLP盤の制作には半年ほどを要し、サラリーマン時代の私には苛酷な毎日だった。
…深夜のスタジオで、山本(直純)氏が作曲した音楽テープをバックに、独りアナブースの中で、緊張の面持ちでマイクに向かう三島さんは、まるで尊い命を南方に散らしていった若き英霊の魂が乗り移ったかの如く、鬼気迫る迫真の演技であった。
三島さんが、精魂込めて朗読したこのレコードは、現在では“幻の名盤”となり、再発売されていない。誠に残念としか言い様がない。
今は三島さんの全ての好意に感謝し、ひたすらご冥福を祈るのみである。

川瀬賢三
「『天と海』レコード化のころ」より

180 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 17:35:17 ID:YroXKokg
天賦のもの、その質量ともに、作家としてこゝ何十年来、無類の人だつた。
その才能を人工する努力と、その多彩さに於ても、想像を絶した人だつた。
しかも絢爛とした人工造形に、天恵の感情がつねに匂つてゐる、かういふ評語を、殆ど第一級点で当てることが出来るやうな文士だつた。
その上に、わが使命観を自ら律したその今生の風懐は、エヴエレスト山の頂を超えた。
それは不思議なことか、当然のことか、彼は、学ぶ以前に、知つてゐた。
わが平安盛期の文脈の情意の如きも、それを学んだと思へない先に、少年の彼は、驚くべき濃密度で知つてゐたことだつた。
彼を初めて知つたころから、東京帝国大学の学生だつた時代にかけての印象である。
私が彼を知つたのは、その中学校時代の終り方だつた。

保田輿重郎
「たゞ一人」より

181 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 17:36:13 ID:YroXKokg
日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考へる時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、
戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫たゞ一人を記録する。過渡期を超越したこの人である。
…三島氏は、日本人について、「繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐい稀な結合」と云つた。
そして「これだけ精妙繊細な文化伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ衰亡してしまふ」と云ふ。
この史観と実践倫理を、彼の一代の生き方の上に重ねた時、わが身心は、たゞおののく感じである。

保田與重郎
「たゞ一人」より

182 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 15:35:33 ID:MjKYqix4
三島由紀夫氏の最後の四巻本の小説は、小説の歴史あつてこの方、何人もしなかつたことを、
小説の歴史に立脚した上でなしあげようとしたのであらう。さういふ思ひが、十分に理解されるやうな大作品である。

三島氏も、人のせぬおそるべきことを考へ、ほとほとなしとげた。
そこには人間の歴史あつてこの方の小説の歴史を、大網一つにつつみ込むやうな振る舞ひが見える。

人を、心に於て、最後に解剖してゆくやうな努力は、私に怖ろしいものと思はれた。
三島氏ほどの天才が思つてゐた最後の一念は、皮相の文学論や思想論に慢心してゐる世俗者よりも、
さういふものとは無縁無垢の人に共感されるもののやうにも思はれる。
その共感を言葉でいひ、文字で書けば、うそになつて死んでしまふやうな生の感情である。

保田與重郎
「日本の文学史」より

183 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 17:20:53 ID:x+twEePL
私が三島由紀夫氏を初めて知つたのは、彼が学習院中等部の上級生の時だつた。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となつてからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話してゐると、彼の呼吸が目に顕つたので、不思議なことに思つた。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷つてゐるのでもない。
長い間不思議に思つてゐたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知つてゐる者が、
彼は喘息だつたからではないかと云つた。
私はこの齢稚い天才児を、もつと不思議の観念で見てゐたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思ひ、
やはり別の印象を残してゐる。

保田與重郎
「天の時雨」より

184 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 23:38:36 ID:JBXCibw2
彼がそのわかい晩年で考へた、天皇は文化だといふ系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、
生活であり、道徳であり、従つて節度とか態度、あるひは美観、文芸などの、おしなべての根拠になつてゐる。
三島氏が最後に見てゐた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だつた。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。

保田與重郎
「天の時雨」より

185 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 23:40:25 ID:JBXCibw2
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。
私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などといふ巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞ひは創作の場の延長ではなく、まだわかつてゐないいのちの生まれる混沌の場の現出であつた。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。

保田與重郎
「天の時雨」より

186 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 23:42:16 ID:JBXCibw2
私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、
数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとつてはるかに近いところにゐる。
今日以後も無数の国民の心に生きるやうになつたのだ。
さういふ人々とは、三島由紀夫といふ高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えてゐる。

保田與重郎
「天の時雨」より

187 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 23:44:14 ID:JBXCibw2
総監室前バルコニーで太刀に見入つてゐる三島氏の姿は、この国を守りつたへてきたわれらの祖先と神々の、
最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらはれたものだつた。
しかしこの図の印象は、この世の泪といふ泪がすべてかれつくしても、なほつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。
日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。

保田與重郎
「天の時雨」より

188 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/12(金) 00:11:14 ID:BWou+MHI
これでもあなたは民主党に投票しますか?
子や孫たちの世代に日本人のための日本を残すために。

国民が知らない反日の実態 民主党の正体
マスコミが報じない民主党の真実
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/159.html

「 この党が政権をとったら一週間で日本は終わりである 」大江康弘(改革クラブ)
(2008年8月28日に民主党を離党)


ポスティング、うっかり置き忘れ用をお願いします
暇な時に一枚からでもOK

「日本列島は日本人だけの所有物じゃない。」
http://kokuseki.xrea.jp/db/uploads/187.pdf
http://kokuseki.xrea.jp/db/uploads/189.pdf

「あなたはこれでも民主党を支持できますか?」
http://kokuseki.xrea.jp/db/uploads/168.pdf

「マスコミが伝えない民主党の真実。」
http://kokuseki.xrea.jp/db/uploads/190.pdf


プリンターが無い人でもセブンイレブンのネットプリントで印刷できます。
ttp://www.printing.ne.jp/

鳩山「日本列島は日本人だけのものじゃない」←いいえ日本人のものです
http://www.youtube.com/watch?v=PWBWSK0cEXo 
鳩山「参政権は愛のテーマだ」←外国人参政権は認めません
http://www.youtube.com/watch?v=igiCV6Rmp9A

民主党の正体を家族友人知人などにクチコミで伝えて日本を守ろう。

189 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/13(土) 00:33:59 ID:lMC7WRCj
>>188
自民党は壊れてるし、共産党に入れろって事?

190 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/18(木) 11:21:12 ID:4e+4dBHS
わが国の民間人の歴史では、拝む神が何さまといふことよりも、拝む人の心のあり方が、世の中を決定した。
しかもそのことを本人はときあかさないのである。
さうした三島氏自身が、自分の仕事のすべてが、自身の末梢神経の働きで出来たものだといふやうな、
空虚観と、同時的に混沌の茫大な世界を眺めたやうに思はれる。
客観的に同時代の文士を懸絶してゐる彼のすぐれた文章が、彼の末端神経の所作のやうに私には思はれるのである。

保田輿重郎
「天の時雨」より

191 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:05:27 ID:Nos5sy5W
「日本語の堪能な留学生が入ってくる」というので、室の者全員が待機していると、
「平岡です。よろしくお願いします」といって現れたのが、何と三島氏だった。
昭和四十二年四月十九日のことだった。
彼は、久留米の陸上自衛隊幹部候補生学校で、その春防衛大や一般大学を卒業して入校したばかりの候補生を視察した後、
我々が教育を受けている富士学校普通科上級課程に「戦術の勉強をしたい」との目的で途中から加わってきたのだった。
…誰もが三島氏の研修目的を詮索したり、文学や芸術の話を持ち出したりすることもなく、ひとりの友人として自然に接したせいか、
すぐに打ち解け、室の雰囲気は一段と明るくなり、女性談義に花を咲かせたりした。
私はこの室の室長兼班長だったが、これに加え三島氏の対番学生(学友として寝食を共にしてお世話する係)を命ぜられた。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

192 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:06:26 ID:Nos5sy5W
教場では平岡学生と私は一番後方の長机に並んで座り、教官から出される問題を一緒に考えた。
…三島氏は問題の意味するところや私が作る案の内容の細部を真剣に聞き、自分でも
「連隊長の作戦命令の方針」を起案して発表したこともあった。
彼の案は、自衛隊の専門用語や文書の形式にとらわれていない実に力強い雅びな表現で、
固定観念に固まっている我々には、はっとさせられるものがあり、教室の雰囲気を和らげてくれた。
…夜は室で談笑したり、腹筋運動にエキスパンダーを使用したトレーニングをしたり、
ある夜は自演の映画「憂国」をクラスの全員に見せてくれたり、私といっしょに洗濯をしたりした。
当時の洗濯はまだ洗濯板に固形石鹸の時代だったので、固形石鹸をシャツにつけていた三島氏の
子供っぽい仕草が今でも目に見えるようだ。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

193 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:08:04 ID:Nos5sy5W
入校後一週間ぐらい過ぎた日に、私と話がしたいというので、彼が原稿を書いたり、東京から来る客と
応対したりするために充てられていた個室で、真剣な話を三時間以上も続けた。
「私は日本男子として国防に参加する名誉ある権利を有する。従って貴方たちは私に教える責任がある」
と彼は切り出し、次々と質問してきた。
その主な質問は、「クーデター」「憲法」「治安出勤」「徴兵制度」「シビリアンコントロール」についてだった。
その真剣さに私は、彼の入隊の本当の目的は、七十年安保に向かって騒然としつつある国内情勢に鑑み、
特に防衛大出身の幹部クラスの考え方や心意気、精密度などを肌で確認することにあったのではなかろうかと思った。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

194 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:09:03 ID:Nos5sy5W
彼はその後、同じ富士学校で教育中の幹部レンジャー課程の学生として自衛隊で最も厳しい訓練を体験し、
爽やかな印象を残して去っていった。
以後、三島氏は「檄」文に表現されたような感激を自衛隊で体験していくことになる。
三島氏は民間防衛を荷う祖国防衛隊を組織する夢を抱き、四十三年春、まず厳選された学生三十名を連れて
富士教導連隊で一ヶ月間の訓練を受けることからはじめた。
自衛隊にとっては三島氏のような知識人に自衛隊を理解してもらうことは歓迎すべきことであり、さらに、将来、
国の広い分野でリーダーとして活躍するであろう大学生の体験入隊は、特に当時の状況から願ってもないことであって、
マスコミによって潰されないように配慮して受け入れたものである。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

195 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/20(土) 11:10:35 ID:Nos5sy5W
しかし、全国組織を目指した祖国防衛隊の構想は、政財界の協力が得られずに挫折し、自分の力で世話のできる
少数精鋭の「縦の会」へと展開していく。
そして彼は彼なりの情勢分析により、自衛隊が治安出勤する事態が来ると信じるようになる。
「縦の会」は自衛隊の尖兵としてデモ隊に突入し、あるいは皇居に乱入する暴徒に体当たりで斬り死にする
という考えに変わっていったものと思われる。
だが、四十四年の一〇・二一反戦デーの騒乱で、自衛隊の治安出勤は起こりえないと見てとった時、ほんとうの挫折を味わい、
三島氏は自衛隊にとって象徴的な場所で、自衛官たちに心の叫びで訴え、武士の最期を遂げたのだった。

菊地勝夫
「三島氏の感激と挫折」より

196 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 12:53:34 ID:PiEjZ1Sa
私が松濤二丁目のこの商家に嫁いだのは昭和二十二年の春のことです。当時は、近隣一帯は空襲で一面焼け野原になったままでした。
…私は二十三年に長女を産み、その子を連れてよくご近所を散歩したものです。
その折、始終三島さんの家(「平岡」という表札でした)の前を通りました。
…洋館のほうの二階の窓によく三島さんをお見かけしました。
夕方になると電気スタンドが点っていて、その光の中で白いシャツを着た三島さん(白がとてもお好きだったようです)が
いつも何か書きものをなさっていました。
人に聞くと「あの人はいまに小説家になる偉い方だ」という話でしたが、当時は私は三島由紀夫という名前は知りませんでした。
東大に行っている時分に小説を書いて一躍有名になった人ということで、とにかくいつ行ってみても、
机に座って仕事をしておられたのが印象深いのです。

原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より

197 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 12:55:37 ID:PiEjZ1Sa
私の家はタバコを商っていましたので、お父さまも三島さんもよくタバコを買いに見えました。
…息子さんの三島さんはよく「光」をお求めになりました。
もっともあの頃はまだ銘柄も少なかったうえに極端な品薄で選り好みなどできませんから、「光」がなければ
何でもお買いになりましたが。
どこかにお出かけになる前に立ち寄り、買ってすぐ一本抜き取ってお吸いになるというのが、あの方の習慣でした。
タバコを受け取るその手が細くて華奢だったのをよく覚えています。
それにしても三島さんはおしゃれでした。
戦後間もなくの頃ですから、おしゃれをしている人などあまり見かけることはなかったのですが、
三島さんはいつもピシッと決めていて一分の隙もなく、大山町あたりでさえすごく目立ちました。

原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より

198 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/24(水) 12:58:22 ID:PiEjZ1Sa
夏など、真白の詰襟、真白の半ズボン、真白のハイソックス、真白の靴という、上から下まで白ずくめのいでたち。
たまに帽子をかぶっていることもありました。サファリ帽というのでしょうか、猟の時に使うような帽子で、
外国にでもいらしたことのある方かと思っていました。
服装だけでなく、三島さんはすごく清潔感のある方でした。
手もほんとにきれいでしたし、お顔なんか毎日当たるんでしょうね、頬など青白く見えるくらいでした。
いつもポマードのいい匂いをさせていました。でも、無駄口をたたくようなことはほとんどなく、
どちらかといえば「謹厳実直」という印象を受けました。
…ご一家が住んでおられた借家も今は取り壊されてなくなり、このあたりもずいぶんさま変わりしました。

原義穂
「渋谷大山町の頃の三島さん」より

199 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 17:20:15 ID:m2nqY7Qa
三島が大蔵省を九ヶ月で辞める決心をしたのは、河出書房からの書下ろし長篇小説の執筆依頼がきっかけだった。
起稿は昭和二十三年十一月二十五日。この日付は「仮面の告白」を書く動機とからめて注目しておいたほうがよい。
なぜなら三島の自決は二十二年後の同じ日だったから。
…初版には「『仮面の告白』ノート」として、〈この本を書くことは私にとつて裏返しの自殺だ。
飛込自殺を映画にとつてフィルムを逆にまはすと、猛烈な速度で谷底から崖の上へ自殺者が飛び上つて生き返る。
この本を書くことによつて私が試みたのは、さういふ生の回復術である〉と付された。
「仮面の告白」によって、ようやく自分が生まれ変われた、新しく誕生したのだ、としたら
その生を消滅させるのも同じ日でなければいけない……。

猪瀬直樹
「三島の『生の回復術』」より

200 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 17:24:02 ID:m2nqY7Qa
すでに読者は承知しているが「仮面の告白」の前半は主人公の同性愛的な傾向が記され、
後半は「園子」との初恋が描かれて、前半と後半が分裂した印象を与えている。
三島は自分がどこかおかしい、人と違うのではないか、と気づいていた。
これは「ペルソナ」で明らかにしたのだが、「性と生活」の著者であり心理学者の望月衛を執筆前に訪ねているのである。
…三島は必死で自分をつかもうとしていた。
「仮面の告白」が「生体解剖」だとしたら、方法は徹底的に自分を描写し客体化してみること、と考えた。
公表された資料に精神科医・式藤隆三郎宛の手紙がある。
望月とは「仮面の告白」執筆前に会ったが、式藤には書き上げた作品を送った。
式藤の返事はあっさりしたもので自著とハガキを寄越したのみだった。もの足りなかった三島はあえて手紙を書く。

猪瀬直樹
「三島の『生の回復術』」より

201 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 17:26:46 ID:m2nqY7Qa
〈「仮面の告白」に書かれましたことは、モデルの修正、二人の一人物への融合、などを除きましては、
凡て私自身の体験から出た事実の忠実な縷述〉〈正常な方向への肉体的無能力について、より多く悩んでをりましたので、
告白は精神分析療法の一方法として最も有効であらうと〉…
診断名を訊きたかったのだ。十分な材料を与え得たつもりであった。
だが式藤からは期待したような返答は来なかったようだ。
…後半の「園子」との初恋も、新資料で確認できた。人妻となった彼女と三島は偶然に「麻布」で出会う。
…昭和二十一年九月十六日午後一時五十分、時刻まで記録したのは、三島のショックの度合いの大きさを示している。

猪瀬直樹
「三島の『生の回復術』」より

202 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 17:30:00 ID:m2nqY7Qa
〈その日一日僕の胸はどこかで刺されつゞけてゐるやうだつた〉
〈前日まで何故といふことなく僕は、「ゲエテとの対話」のなかの、彼が恋人とめぐりあふ夜の町の件を
何度もよんでゐたのだつた。それは予感だ。世の中にはまだふしぎがある。
そしてこの偶然の出会は今度の小説を書けといふ暗示なのか?書くなといふ暗示なのか?〉とある。
僕は「園子」に確かめていた。「麻布」ではなく「信濃町」の違いのほかは「あのままでした」と述べている。
「生の回復術」には、自分のおかれた環境に対する克服の意味が込められてもいる。
初恋の失敗の遠因を遡っていけば、自分の生い立ちを振り返ることになる。
だから三島の心理的時間のなかでは「仮面の告白」は前半と後半が分離していたわけではないのである。

猪瀬直樹
「三島の『生の回復術』」より

203 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:24:06 ID:RKAlDT0K
三島さんの葬儀の日の少し前、実行委員会の打合わせがあった。
…式の段取り、各委員の仕事の分担、注意事項の検討、弔辞を読む方々の紹介があった。
その時、御父上が突然私を指名された。
思いもかけない発言に私は動転し、そのような大任の資格が私には無いと辞退した。
すると川端先生が例の鋭い目で、「資格のある人間はどこにも居ません。おやりなさい」と宣言された。
当日、私は緊張と悲しみに耐えながら弔辞を読んだ。
「私のこれまでの人生で、最高の喜びは、三島さん、あなたにお会い出来たことであり、
最大の悲しみは、あなたを喪って今ここにこうして立っていることです……」と。
私が三島由紀夫という名を識ったのは、昭和十九年、書店で見つけた「花ざかりの森」で、何故かすがすがしい感じがした。
戦後、雑誌『人間』で「煙草」を読んだ時、私はすぐ「花ざかりの森」を思い出した。

藤井浩明
「私の勲章」より

204 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:29:59 ID:RKAlDT0K
終戦前の昭和二十年一月、私は中島飛行機小泉工場へ勤労動員され、戦闘機を造っていた。
私たちの寮の隣りに東大法学部の学生たちがいた。
その中に三島さんがいて、明日をも知れぬ状況の中で、後に発表された小説「中世」を書き続けていたことを、
ずっと後で知って驚いた。
二十五歳までに戦争で死ぬものと覚悟していた私たちが、生きながらえて後に親交を結ぶとは……
不思議な運命を感ぜずにいられない。
私が初めて三島さんに対面したのは、昭和三十一年、「永すぎた春」映画化の交渉の時である。
…私は既に大映企画部にいて三島作品の映画化を夢見ていた。
緑ヶ丘の平岡邸で眷恋の人に対面した時、私は自信に満ち溢れた、それでいて折目正しいこの青年作家に圧倒された。
以来、私は三島文学の映画化に挑戦していった。
「金閣寺」(「炎上」)、「お嬢さん」「剣」「獣の戯れ」「憂国」「複雑な彼」「音楽」「鹿鳴館」。
そして、三島さん主演の「からっ風野郎」等。

藤井浩明
「私の勲章」より

205 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:35:26 ID:RKAlDT0K
「炎上」のシナリオ作業が難行している時、三島さんが「創作ノート」を見せて下さった。
絢爛たる文学が構築されてゆくプロセスが明解に読み取れ、目が開ける想いがした。
この映画は三島さんから最大の讃辞を頂き、以来、私は三島さんとの交友を深めていった。
時折、三島邸の書斎で話し込むことがあった。
私は天才的文章の錬金術師の仕事場へ忍び込んだような気持で、よく文学のことを質問した。
三島さんは門外漢の私に丁寧に誠実に答えて下さった。
当時のメモを繰ってみると、例えば「憂国」の製作準備をしていた年など、年間七十回も会っていた。
…「からっ風野郎」の後、日仏合作映画のため市川崑監督と私はパリへ飛んだ。
思いもかけず三島さんが空港へ見送りに来られた。
たまたま別便で発つ永田雅一大映社長がいた。社長は私を別室に呼んだ。
「お前のような若造を天下の三島が見送りに来る訳がない。それはお前が大映の社員だからだ。俺に感謝しろ」と。
ワンマン社長は大の三島ファンで、明らかに私に嫉妬しているのだ。三島さんには万人をひきつける魅力があった。

藤井浩明
「私の勲章」より

206 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/01(水) 11:38:26 ID:RKAlDT0K
死の四日前、三島さんからいくら晩くても電話が欲しい旨の伝言があった。深夜帰宅した私は電話で話した。
「憂国」がイタリアで上映され大好評だと伝えると、三島さんは大そう喜んで詳しいことを調べて欲しいと言った。
四日後に死を決意していることを知る由もない私は、連休明けに報告しますと約束した。
電話を切ってから、三島さんが「さようなら」と仰言ったことが何故か気に懸った。
いつもは快活に話してさっと切る人が……。
〈藤井氏はいついかなる場合にも、この作品に対する完全な愛着と信頼を少しでも失ふことがなかつた。
それがスタッフ全員をどれだけ力づけたかわからない〉
三島さんが「憂国 映画版」に書いて下さった文章は私の勲章である。
三十年祭の遺影の前に佇みながら、三島さんが以前、暇が出来たらポルトガルの鄙びた漁村を舞台に
映画を作ろうと話して下さったことを思い出した。
いつの日か私はその海辺で映画を撮影したいと思っている……。

藤井浩明
「私の勲章」より

207 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 14:14:37 ID:r+v0Q4nN
ぼくがはじめて例のアポロン像のある三島邸に招待されて行ったとき、ニーチェの「悲劇の誕生」の話が出たが、
おそらく若い頃に読んだにちがいないニーチェの言葉をすらすら述べる三島の記憶力のよさに驚嘆させられた。
〈個体化は悪の根源であり、芸術とは個体化の束縛を破りうるという喜ばしい希望のことであり、
融合帰一をあらためて回復することへの予感である〉(「悲劇の誕生」)
というニーチェの言葉こそ、三島が最晩年に目指していたことそのものではなかろうか。

伊藤勝彦
「三島由紀夫の死の哲学」より

208 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 14:20:25 ID:r+v0Q4nN
ミダス王がシレノスを追いつめ、人間にとってもっとも善いことは何であるかと問いつめたところ、
〈もっとも善いことは御身にとってまったく手が届かぬことだ。それは生まれてこないことだ。
次善のことは――すぐ死ぬことだ〉(同)。〈生よりも死が望ましい〉
というアポロン神学のテーゼ(この謎めいた言葉)をプラトンの描くソクラテスが解き明かそうとした。
「パイドン」には、〈哲学とは死の訓練である〉とあるが、
楯の会のメンバーと一緒に三島が死の訓練にはげんだという点においてプラトン的であるといってもいいだろう。

伊藤勝彦
「三島由紀夫の死の哲学」より

209 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 14:24:41 ID:r+v0Q4nN
「対話・思想の発生――ヒューマニズムを超えて」(昭42・11番町書房)の中で、三島はぼくに対して、
〈…自分の信じていないもののために死ぬというアイロニーは、とっても魅惑的なアイロニーなんだよ。
…そして、自分が天皇陛下万歳と言って死ねば、そのアイロニーは完結するんだよ。…〉
…と語っている。たんなるイリュージョンのために人間は死ねるものではない。
三島は「人がそのために死ぬことができるような絶対者」つまり、「生命以上の価値」が
この世に存在しなければならないというゾルレン(当為)の論理に忠実であった。
…〈人がそのために死ねるもの、ある絶対的価値の存在を証明するためには、
そのために死んでみせる以外に道はない〉
このような不可解な死の哲学が三島由紀夫にとりつき、彼を自決へと直行させたのである。

伊藤勝彦
「三島由紀夫の死の哲学」より

210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 23:41:48 ID:r+v0Q4nN
われらはもはや神秘を信じない。
自ら神風となること、自ら神秘となることとは、さういふことだ。
人をしてわれらの中に、何ものかを祈念させ、何ものかを信じさせることだ。
その具現がわれらの死なのだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

211 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/02(木) 23:42:50 ID:r+v0Q4nN
われらには、死んですべてがわかつた。
死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。
われらはすべてを言ふ資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。

三島由紀夫
「英霊の声」より

212 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 00:23:02 ID:EPkJ5h1J
カッコつけで威勢のいい男色 きもいよ

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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