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播磨赤松氏について語るスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:47:20 ID:52Sv0tnY
三管四職

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:51:01 ID:lhwTTMVb
三管四職は細川以外没落しちゃったね

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:03:49 ID:djycgZPs
赤松は結構もったほうだよ
永禄十二(1569)年迄

没落後関ヶ原も出てるし

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 08:45:49 ID:AjZD3CPN
赤松様の子孫は存在するのかな?いたとしたら姓もやはり赤松だろか・・

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 10:47:03 ID:4kZZlJBk
母方が小寺氏のおいらが来ましたよ!
播磨を始め摂津・美作・備前あたりに赤松分家の子孫は多いだろ、
赤松三十六家というくらいだからね。
別所・小寺・宇野党などなど・・・。


6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 11:41:35 ID:hqSD1AeB
579 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2006/06/27(火) 03:23:57
赤松左馬助則繁だな。

当主・赤松満祐の弟で25歳の時(1424年3月14日)に
前管領・細川満元の邸宅での酒宴で将軍の側近(安東某)を要撃して殺害して逃走(殺人事件)

嘉吉元年(1441年)6月には甥である赤松教康と共謀して将軍を殺害(殺人事件)
嘉吉の乱を起こして幕府軍と戦う(国内紛争を起こし、中央軍と戦う)
幕府軍に敗北後、菊池氏を頼って九州にまた逃走。

その後、対馬と朝鮮に拠点を持ち、高麗の官軍を相手に朝鮮半島を荒らしまわり(他国侵略)
嘉吉3年(1443年)6月に来日した高麗の使節団が赤松左馬助則繁を名指しで幕府に
討伐を求める(国際問題に発展)

文安5年(1448年)正月、対馬より九州肥前に上陸開始。
少弐教頼と連合して大内教弘と合戦(国内紛争・対地方軍戦)し
教頼・則繁連合軍は敗北し、三度逃走。

河内の当麻に潜伏中のところを細川持常の命を受けた甥の赤松則尚に討たれて(同族争い)
京都で晒し首。49年の生涯でまさにやりたい放題。


7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 12:32:14 ID:2ZFF2Zar
>>4
旗本石野氏(後に赤松氏)

赤松円心の長男範資の後裔で、氏貞の代に石野を称す
その子氏満は別所氏に仕え、後秀吉、その後前田に仕える
氏満の子氏置は家康に仕え、旗本家康御伽衆 二千百五十石(後、三千十五石)
宝永年間に範恭が、赤松姓に復する

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 06:07:24 ID:7zKdeA/e
大名家系が旗本か・・戦国だからしかたないね〜。。私は播州在住だが赤松や別所などの姓は見たことない〔いると思うが〕、もしいたらその流れの人と思っていいのかな?っていうか、美作とかって。。勢力大きかったんですね〜〔素人〕

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 06:11:07 ID:7zKdeA/e
六 ヤリタイ放題ですねー。だが・・・そこがイイ

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 09:20:25 ID:qXBv8ewg
>>4
有馬かと

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 20:29:23 ID:qXBv8ewg
しっかし、将軍暗殺の汚名を着てしまった、満祐は悲惨だね。
義持の男色相手に惣領家を挿げ替えられそうになったんだっけ?
満祐は怒って、京の屋敷を焼き払い、自領へ・・・

そして、義教にも・・・弟の領地を取り上げて庶流の貞村に与えたんだよな・・・そして惣領家の地位も・・・

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 14:41:52 ID:250M6HAG
義持、義教までの足利将軍って、勝手気まま
言い方を替えると、それだけ力があったってことかな、
とこのエピソードをみて思った

そういう意味では、満祐が戦国の引き金(遠因かもしれないが)引いたのかなとも

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 00:47:57 ID:XmsMv43/
◆御一家衆・・・本家に次ぐ地位で、足利将軍の直臣になっていたのもいる
七条家、伊豆守家、播磨守家、有馬家、上野守家、在田家、本郷家、
広岡家、永良家

◆御一族衆・・・前者よりはワンランク下扱いの赤松一族
    別所家は16世紀後半に台頭したことは周知のとおり。
下野守家、遠江守家、能登守家、宇野家、間島家、上月家、別所家、
佐用家、豊福家、得平家

◆年寄衆・・・赤松一族以外の重臣
      御一家衆、御一族衆の分家もある
浦上家、喜多野家、富田家、小寺家、中村家、上原家、堀家、櫛橋家、
依藤家、明石家、薬師寺家、城所家、後藤家、衣笠家

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/02(水) 13:41:43 ID:CYl+4rJu
浦上に幽閉、暗殺された赤松義村の辞世

立よりて影もうつさし流ては 浮世を出る谷川の水


15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 22:34:27 ID:G+35z3H6
赤松則英が大名家としては末代?

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/04(金) 11:31:01 ID:EPr7+mWz
なんか異説もあるようだけど、
通説では豊臣期の大名としては(江戸期には存在しないけど)、
関ヶ原で敗れ自殺した、阿波国板野郡住吉一万石の則英が
最後ですね

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 16:17:08 ID:nnFNLocG
>>10
久留米藩ね

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 02:31:45 ID:2m3gbni2
あげ

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/19(土) 04:04:52 ID:j2cDuCFM
ネギま

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 15:56:27 ID:n7caQM+F
赤松も政則義村、までは頑張ってるんだけど
晴政は完全に浦上の傀儡だね

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:40:41 ID:Nt5aAd76
赤松が一番活躍したのはやっぱ太平記のころでっか?

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:48:15 ID:/nKGfo4+
円心、則祐
あとは良くも悪くも満祐かな

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 21:52:22 ID:Nt5aAd76
うむ

24 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y :2006/09/11(月) 22:35:32 ID:zDrdQc1C
やっぱり赤松は将軍暗殺と神器奪還が華でしょう

25 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/11(月) 23:07:48 ID:X72DBIB2
北畠親房って人は気前よく系図をばら撒いた人だなあと思う。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/11(月) 23:30:42 ID:Nt5aAd76
神器を奪還したのは家来だったよな?

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/12(火) 13:24:12 ID:WuFp06o1
>系図
赤松は村上源氏に非ず
てか

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 19:28:42 ID:Uj2/Tk5B
でも鎌倉幕府の御家人帳に名前が載ってるんだから
単なる成り上がりでもないと思う。


29 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2006/09/13(水) 19:47:26 ID:pvh/hP0l
>>27
名和長年と赤松円心は系図でみるとともに村上天皇の16代目にあたる。
12代前の源雅兼の子の代で分かれる。
久我氏流の北畠親房は自家の系図を貸し出してやり両者を同族扱いにしながらも
久我氏になれなかった庶流として差別化しているわけ。

ようは「お前らは俺の家の子・郎党なんだぞ」と暗に言ってるわけね。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 17:26:25 ID:8pBxaMMO
どうも護良親王を介して、円心(親王に近侍したのは則佑だけど)が親房と近しくなり、
一族に入れてもらったのが、真相みたい

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 00:56:32 ID:sPVHY/B1
織田信長の子孫→有名フィギュアスケート選手
赤松の子孫の成れの果て→萌え漫画家

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 03:58:05 ID:l4TryPdE
あの赤松って子孫なのか?

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 18:53:16 ID:rj1JPDuO
京都にも小寺という姓があるが播磨小寺氏とはまったく無関係らしい。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 20:59:42 ID:n25Gi6sL
紀伊徳川家の家臣で
久留米藩の有馬家に養子を出した石野って
赤松の中ではどこの系統になるの?


35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 01:49:17 ID:6dppN+ty
赤松則村の先祖で確実なのって、
宇野(山田)則景からなのか?

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 14:06:07 ID:Xo+nK52Y
系図が上になればなるほど怪しくなる宿命

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 16:14:12 ID:ZIBqnL/H
則景の末子家範が赤松をはじめて名乗ったといわれる

山田則景=宇野頼景で赤松は宇野氏の庶流に過ぎないとも
この則景と源季房のつながりはあやしい

紀州の石野はちょっとわかりませんが
旗本石野氏と関係あるのかな?

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 20:06:17 ID:3t7al/hU
>>37
紀州というのは勘違いだった模様。
旗本の石野家でしたね。

石野家の系統は

このソースでは則祐の系統みたいですが

http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/dy_hata.html

この2つのソースでは、則祐の兄(または従兄弟の父?)の範貞の系統みたいで

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/moto2.htm

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01052b.htm#005

39 :38訂正:2006/11/02(木) 20:08:04 ID:3t7al/hU
>>37
紀州というのは勘違いだった模様。
旗本の石野家でしたね。

石野家の系統は

このソースでは則祐の系統みたいですが

http://www.harimaya.com/o_kamon1/hatamoto/dy_hata.html

この2つのソースでは、則祐の兄(または従兄弟の父?)の範資の系統みたいで

http://homepage1.nifty.com/t-kubo/Japan/koutai/moto2.htm

http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/01/010/01052b.htm#005


40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/13(月) 14:49:27 ID:U/t3HkPL
赤松義祐は早くから信長に誼を通じていたと聞くが本当?

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/16(木) 12:15:34 ID:PFkpjPYK
>>40
1569年の時点では織田軍と戦ってるが

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/20(月) 23:33:23 ID:Per8kM82
赤松氏って昔から可愛いよね

衆道的意味で

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/21(火) 15:04:04 ID:r5Vn8Gdj
>>40
小寺や浦上の間違いでは?

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 00:49:18 ID:9T5ROkAm
浦上はないだろ?まあ小寺か黒田さんだろうな。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 00:57:18 ID:uMjIWKs1
>>44
浦上宗景はどうだろう?

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 04:00:07 ID:VU+4L88u
浦上は1569年に赤松義祐と結んで織田と戦ってる。
1572年に毛利の侵攻に耐えきれず織田を頼って毛利と和睦。
1573年にようやく信長から朱印状をもらってるくらいだから
決して早いとは言えない

47 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/21(木) 14:18:24 ID:C6DVSwIZ
赤松則房が織田に従うのは、
天正元年(1573)に浦上が朱印状をもらって以降
浦上が播磨、備前、美作のお墨付きをもらったため、対抗上じゃないかな

48 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2006/12/31(日) 00:37:37 ID:Nxyp0mBk
赤松氏って結構以外な所に一族がいるから面白い
上野の小川可遊斎=赤松祐正とか常陸の川尻赤松氏一族とか


49 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/11(木) 19:54:13 ID:uY8aq0X7
晴政−義祐−則房−則英

赤松家代々の諱って何だろ? 最後は「則」の字になってるけど。


50 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/01/11(木) 21:17:02 ID:75GaMVin
則でいいだろうよ。系図眺めてても一番多いし。

51 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/01/12(金) 01:30:28 ID:xNaiXH2Q
赤松政之

52 :名無し議論スレにて投票方法審議中:2007/02/10(土) 08:14:46 ID:yGbDfRte
家格としては四職筆頭ですかな?

53 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/10(土) 22:58:07 ID:wTAp6ILX
領地の多さでは山名に、家格では京極に敵わないかと。

54 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/10(土) 23:10:01 ID:wTAp6ILX
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1170859012/

ついでに投票もよろしく。

55 :人間七七四年:2007/02/13(火) 11:59:48 ID:O9ntWpwm
>>53
下には一色のみですか・・・。

56 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. :2007/02/21(水) 21:04:14 ID:d9/BmDZz
一色氏は足利本家に最も近い庶家だもんね。(斯波は準嫡流、石塔・渋川・一色は庶子)

57 :人間七七四年:2007/02/22(木) 15:08:06 ID:zndSepVD
足利一門でもないし、赤松は四職末席だなw

58 :人間七七四年:2007/02/22(木) 17:19:45 ID:Vg6RNF5u
元から尊氏についたのではなく南朝方を裏切った論功で四職に数えられるようになった赤松氏

嘉吉の変で決定打w

59 :人間七七四年:2007/02/25(日) 01:28:42 ID:cCQkOjDx
赤松則良っていう幕末〜明治の政治家がいるが、彼は子孫か?

60 :人間七七四年:2007/02/25(日) 02:15:13 ID:IMJLaJ7G
実父赤松雄之進(後の吉沢政範)の生家は播磨の名族赤松氏の裔にして円尾を
姓として代々網干新在家で干鰯問屋を営み廻船業を兼ね、龍野藩の廻米御用を
勤め苗字帯刀を許され祖先の赤松姓に復した

ググって見つけたサイトから転載

61 :人間七七四年:2007/03/30(金) 11:29:58 ID:nKCR8KAa
>>58
だけど円心は悪党だから
大出世といえば大出世

62 :人間七七四年:2007/04/13(金) 23:53:45 ID:NkCu7a5T
江戸時代、末裔が交代寄合にもなれてないのか・・・。

63 :人間七七四年:2007/04/26(木) 21:55:33 ID:/twivyEY
>>13の各家の知行地や本拠地ってわかる人いますか?

64 :人間七七四年:2007/04/30(月) 20:35:46 ID:nq+9J2o7
悪党の裔ってどこまでがホントなんですか?

65 :人間七七四年:2007/05/11(金) 19:51:12 ID:0Coe36tq
先祖が悪党であろうがなかろうが
末裔どものやった所業のほうが酷すぎる

66 :人間七七四年:2007/05/12(土) 10:26:13 ID:RYfloEu0
北方の小説の話なんじゃ?
昔読んだが内容は忘れた


67 :人間七七四年:2007/06/13(水) 12:28:21 ID:G1mCwpJs
赤松政範は武勇に優れておったわ。

68 :関連スレ:2007/07/08(日) 02:49:52 ID:gGiGjyYQ
【四職家】一色一族を語る【丹後・若狭】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1183829686/


69 :人間七七四年:2007/07/23(月) 00:48:05 ID:9I/ULraE
>>49
則房と則英は親子なのかな? 兄弟とかはなし?


70 :人間七七四年:2007/08/15(水) 19:04:50 ID:7zQgMoqL
美作とかには領地持ってなかったの?

71 :人間七七四年:2007/08/27(月) 22:16:34 ID:5U6SbxxU
>>67
置塩が居城だっけ?

72 :人間七七四年:2007/09/04(火) 19:39:53 ID:q6dvpkFm
関ヶ原で西軍から東軍に寝返った大名で唯一死んだ(自刃)のが
斎村政広(赤松広英)だが、この人が生きていれば近世大名への道
もあったろうな。
有馬家も赤松一族だが、宗家との行動があまりに違ったから赤松家
の生き残りとはまた感覚が違うしなぁ。

73 :人間七七四年:2007/09/04(火) 19:51:24 ID:q6dvpkFm
>>70
美作は尼子氏の台頭により、最も早く失った領地だった。
>>71
正範は毛利方についたかなりの豪傑だったが、たしか上月城だったか。
播磨西部で一大勢力を築いていた。
宗家の置塩はいち早く信長側について先見を見せたが、時期尚早だった。
同じ信長派だったかつての重臣小寺氏との結びつきが薄くなっていたのも
痛かった。播磨は分裂しすぎたなぁ。

74 :人間七七四年:2007/09/05(水) 23:41:06 ID:LqJtCjf3
美作は室町中期は山名と赤松の争奪戦だったんですよね?

赤松領→直義方・山名時氏を義詮方に引き抜き山名領、
しかし義満の時代に明徳の乱で赤松領(山名氏勢力縮小)、
嘉吉の乱で山名領(赤松宗家滅亡)、応仁の乱後赤松領だっけ
そして京極(尼子)が奪ったと・・・

75 :人間七七四年:2007/09/06(木) 00:20:46 ID:QsiqsJdn
小寺も一皮剥きゃ黒田

76 :人間七七四年:2007/09/06(木) 00:39:35 ID:3SSIoZM0
>>70
上野殿の末裔が久米南町の端の方に残ってたみたいだけど
浦上滅亡と同じ頃に宇喜多に攻め取られた。

77 :人間七七四年:2007/09/07(金) 19:40:36 ID:JjBjJMET
則英や斎村政広の身の振り方でなく、
政則の時代まで遡って、どうしていたら
近世大名へと生き残れたか考えてみたいな。

78 :人間七七四年:2007/10/06(土) 01:02:29 ID:mxrcYcRU
>>49
赤松家周辺の武将で「範」の字を付けてる奴は、「則」を憚ったのかな?

79 :人間七七四年:2007/10/06(土) 01:29:11 ID:WpHhF5cT
>>78
赤松宗家でも「範」を用いる人はいるので、当人の好みで則と範を使ったのかもね

80 :人間七七四年:2007/10/09(火) 02:43:13 ID:rh08+7OK
漢字よりも読みが大事らしい

81 :人間七七四年:2007/10/11(木) 22:26:52 ID:CQrUkWQV
このスレの前のほうで出てた旗本の赤松(石野)氏満がウィキに追加されてたよ

82 :人間七七四年:2007/10/12(金) 00:41:30 ID:nyZHFu19
あんまり伸びないねこのスレ。

赤松氏は赤松氏特化サイトがあるからなぁ。
朝倉やってるとこ並に詳しいから、便利だし。

83 :人間七七四年:2007/10/12(金) 02:35:27 ID:+XOTcQIw
>>82
日本史板のほうに同じ名前のスレがある。
あと有馬スレともかぶるからね。

84 :人間七七四年:2007/10/12(金) 21:37:12 ID:PDKBMdsr
別所って赤松さんとこじゃどんな位置づけなんすか?
浦上さんは?

85 :人間七七四年:2007/10/13(土) 00:38:54 ID:r9thNesc
>>84
浦上は重臣筆頭格、別所は新興家臣。
赤松氏を頂点とする構造では、断然、浦上>>>>>>>>>>>別所

86 :人間七七四年:2007/10/13(土) 02:30:27 ID:sB//BwKe
>>84
別所は家系こそ円心の弟から始まってるけど、政則を支えたのは浦上と小寺だった。
別所が東播磨であそこまでの力を持ったのは政則の養子の義村以後じゃないかな。

87 :人間七七四年:2007/10/13(土) 23:17:24 ID:1rQX8Xfg
小寺さんは苦労した割りにあまり報われない。良い人っぽいけど

88 :人間七七四年:2007/10/14(日) 01:20:24 ID:2tKuIs1Y
浦上則宗が傑物だったからなぁ。
それでも姫路、御着に勢力あったし、黒田官兵衛という家臣もいたんだから
信長方に常についてれば、うまく脱皮できたかもなー。
結局小寺家は逆に黒田家の家臣になっちまったんだよな。
ていうか、播磨はそもそも大きく分けて4分裂してたし、これがもっとまとまってたら
かなりの勢力になれたろうに。

89 :人間七七四年:2007/10/14(日) 11:18:43 ID:CdAnO96R
赤松家臣の小寺・浦上・別所・松田がそれぞれ豪族化してたからなー。
こいつらが赤松当主を頂点に結束してたらさぞ威勢を張れたろうに……w

90 :人間七七四年:2007/10/15(月) 23:22:13 ID:wpZmci1H
赤松だけで置塩、龍野、上月の3つに割れたのが痛かったな。
置塩と龍野は和解したからともかく、上月はあれだけの力がありながら
毛利方についちゃったからな。
ゲームにほとんど出ないから知名度は低いけど、力は龍野以上だったかもな。

91 :人間七七四年:2007/10/21(日) 17:05:37 ID:fICwdKut
播州皿屋敷の話に微妙に小寺が絡んでる件について。

92 :人間七七四年:2007/10/23(火) 20:56:35 ID:ct6uRY3X
番町皿屋敷の元ネタだっけ

93 :人間七七四年:2007/10/23(火) 22:12:04 ID:3N4RZ1BF
>>92
皿屋敷ネタは割とポピュラーな怪談。
けっこういろんなところにあったりする。
岩波書店から出てた都道府県別の昔話の全集にそれぞれが載ってるのを図書館で読んだことがある。

と思いながらウィキ見たらやっぱいろんところにあるみたいでちょっとホッしたw

94 :人間七七四年:2007/11/04(日) 08:34:08 ID:WkBYT9yG
>>90
毛利方に付いた上月城を落とした後に入ったのが、尼子勝久・山中鹿之助の一党だっけ?

95 :人間七七四年:2007/11/06(火) 05:34:36 ID:X7Hfh9JT
上月城は血生臭い歴史の連続で幕を閉じた感じだなー。

96 :人間七七四年:2007/11/26(月) 17:32:10 ID:tq04yEGy
毛利はその後上月城に誰も入れなかったのかな?

97 :人間七七四年:2007/11/26(月) 19:03:48 ID:kWwFLZuN
>>90
西播磨における龍野の衰退と上月の成長は、織田方の龍野・別所対置塩本家・浦上・小寺連合の
争いで龍野が官兵衛と浦上宗景に大敗したのが大きく影響したんだろうね。
>>94
上月赤松+宇喜多援軍→尼子勝久→宇喜多家臣(上月氏)→再び尼子→毛利による包囲
>>96
近くの利神城に1583年頃には宇喜多家臣(服部勘助)、関ヶ原合戦後は平福藩池田氏が入り
上月城に代わって佐用郡一帯を治める立場となった。
上月合戦以降の上月城は、幾度の落城でどれだけの損害があったか分からず
そのまま廃城になったのかもしれないけど、支配はおそらく宇喜多家臣の誰か?

98 :人間七七四年:2007/11/26(月) 19:06:12 ID:idmdDhqm
>>96
廃城になったような気がする。

99 :人間七七四年:2007/12/15(土) 17:22:59 ID:PFIifTvU
上月城は対立の最前線じゃなくなったから
宇喜多には不用だったのかもね。

100 :人間七七四年:2008/01/08(火) 17:55:47 ID:1+IkUFas
戦国で赤松と言えば誰だろ?

101 :人間七七四年:2008/01/09(水) 01:22:37 ID:i/YRXihD
龍野の赤松下野守政秀じゃね?

102 :人間七七四年:2008/01/21(月) 19:11:58 ID:37KCkHDJ
勢力で言えば龍野の政秀か上月の政範だろうな。
少なくとも本家よりは遥かに大きい勢力だった。
政範はゲームにほとんど出ないせいで知名度はいまいちだが、
政秀に勝るとも劣らない気骨のある豪将だった。

103 :人間七七四年:2008/01/27(日) 17:36:51 ID:a37XKOii
知謀に長けた晴政はダメですかな?

104 :人間七七四年:2008/01/28(月) 21:51:31 ID:DMIaJM3m
美青年が多い家系だったらしい。

105 :人間七七四年:2008/02/15(金) 06:50:47 ID:kxDUa44q
俺は、赤松家の末裔なんですが、皆さんの方が、詳しいですね

祖父の生前に、もっといろいろ聞いとけば良かったと、今更ながら後悔してます・・・

106 :人間七七四年:2008/03/02(日) 06:28:06 ID:WEN+Wl9p
>>105
菩提寺の過去帳見に行って明治以前の経歴を調べてくるといいぞ。

107 :人間七七四年:2008/03/04(火) 19:07:31 ID:nRZWmwvn
知り合いに赤松範忠の曾孫って人がいた。
家紋とかすごいこだわりがあったなぁ。

108 :105:2008/03/10(月) 18:50:50 ID:QYcQ7XH8
>>106
ありがとう

今度、纏まった休みが取れたら、調べてみます

109 :人間七七四年:2008/03/31(月) 15:50:05 ID:BVnqMwBv
範忠は石野の後裔だね。

110 :人間七七四年:2008/03/31(月) 17:18:50 ID:Nw98Q9um
石野は赤松の庶流から始まってるけど、今や唯一系譜がはっきりしている家系だな。
結局関ヶ原の時点での立場や身の振り方でほとんど決まってるね。
西播磨の斎村も亀井に濡れ衣着せられるという不運はあったが、最初から東軍に
属せばよかったわけだしな。一族揃って西軍ってのは利口ではなかった。

111 :人間七七四年:2008/04/21(月) 16:30:15 ID:tGGMeK0u
1987.5.24に男爵に叙せられた赤松則良は 石野だよね。

112 :人間七七四年:2008/05/10(土) 16:04:11 ID:oxmIGnwL
そのころは石野が赤松の主流になったいたのかな

113 :人間七七四年:2008/05/29(木) 17:45:56 ID:5SkFchnt
浦上の台頭を抑える方法はあったかな?

114 :人間七七四年@全板トナメ開催中:2008/06/07(土) 15:29:28 ID:4c60AULr
>>2意味がわからん。
京極は江戸初期、出雲隠岐二ヶ国を領する大大名。
分家も丹後全域を領する国持ち大名。
畠山も河内の戦国大名で頑張った。
一色も丹後の戦国大名で頑張った。
山名も因幡の戦国大名で頑張った。
斯波赤松が守護代等に追われ衰えたのは分かるが、
それならば細川京兆もだろう。
細川幽斉は管領家細川京兆とは別物じゃない。


115 :人間七七四年:2008/06/25(水) 13:50:34 ID:WHv+6n9C
早い時期に浦上に取って替わられたわりに 後まで頑張った方さ赤松。

116 :人間七七四年:2008/07/02(水) 03:48:58 ID:9xMeYvov
早い時期に下剋上されちまったから一般的には話題に上ることもないという…
浦上はもう少し知名度あってもいいと思う

117 :人間七七四年:2008/07/07(月) 21:02:02 ID:/zVfOGDP
>>116
盛り上げてくれよ。

ザ・浦上氏
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154943603/


118 :人間七七四年:2008/07/08(火) 14:59:53 ID:TGgCz+PB
関東で名を上げた赤松常範の話題はここまで出ていませんか。

119 :人間七七四年:2008/07/11(金) 13:35:27 ID:1T26F2ml
川尻赤松氏か。渋いなー
もっと研究の題材になっていいよね。

>>116
たしかに東播磨での勢力は縮小したけど、
西播磨は龍野の赤松政秀、上月の赤松政範の2期に渡って
勢力を確保していた。
それぞれ黒田、秀吉に敗北して没落しちゃったけどね。

120 :人間七七四年:2008/07/14(月) 22:18:43 ID:6awfvRt+
嘉吉の変も含めて、節目節目で「何でそこでそう言う行動するの!?」って疑問が抑えきれない一族ではある。

121 :人間七七四年:2008/07/14(月) 23:21:31 ID:5cLLlhZQ
世の中に多い「何故、あの人があんな犯罪を……」って感じだな。
領国も多くなく、四職でも末席みたいな扱いなのに。

122 :人間七七四年:2008/07/14(月) 23:25:16 ID:6awfvRt+
やってる事無茶苦茶なのに、意外と回りから憎まれていないのも不思議だ。

123 :人間七七四年:2008/07/31(木) 16:04:34 ID:3eHz/h4W
義教のお陰。

124 :人間七七四年:2008/08/10(日) 16:08:03 ID:pknMCE2d
義教の一件はむしろ「よく殺ってくれた!」と当時は皆が心の中で思ったはず。

125 :人間七七四年:2008/08/12(火) 16:52:06 ID:7zjxtrvy
尼崎の上坂部の赤松家出身ですが赤松円心の墓も近くにあるのですがやはり末裔だろうか?母方なのでもう一つ調べられないけどね。あと小寺とか縁を感じる姓が尼崎には多い

126 :人間七七四年:2008/08/13(水) 00:09:26 ID:RzlQpoBw
>>124
光秀みたいなもんか

127 :人間七七四年:2008/08/14(木) 01:29:18 ID:gFKbwSVF
義教と一緒に殺されたり大怪我されたり、義教に取り入って上手い汁吸ってたのにダメになった奴とか
いろいろ貧乏籤ひかされた奴もいるよ

128 :人間七七四年:2008/08/15(金) 03:27:21 ID:4isHlMS5
>>125
家紋は?

129 :人間七七四年:2008/08/20(水) 14:35:23 ID:0IoHeqfl
三巴?ですが代々神社にある赤松円心の墓は大事にするよう言われるてます。江戸時代は庄屋をしていています。本家は二両引を冠婚葬祭では使用してますが過去帳(元禄年間)は農民系の名前でした。

130 :人間七七四年:2008/08/20(水) 23:41:55 ID:DIORBnL2
>>129
江戸時代は帰農してたんですかね?

131 :人間七七四年:2008/09/09(火) 14:59:57 ID:VPmJKf/4
>>124
それだけの存在感はあったんでしょうね

132 :人間七七四年:2008/09/09(火) 16:44:12 ID:oIgI/cTc
そういや応仁の乱のときも、空気読まずに赤松さんが講和に反対して、山名が自殺未遂したり
細川が出家騒動起こしたりで、大変なことになったな。

133 :人間七七四年:2008/09/12(金) 14:47:42 ID:Q+ZLGu+Q
>>124
一門の一人が首とられて一緒にさらされちゃった山名一族は大怒り

134 :人間七七四年:2008/09/15(月) 14:15:02 ID:7wQKPRdg
嘉吉の乱の時に赤松の屋敷に居たのに無傷で逃げ仰せた持豊の悪運には言葉も無い。

取り逃がしたのは痛恨だったな

135 :人間七七四年:2008/09/19(金) 06:10:36 ID:2GmM/EiH
すぐに講和ムードにならなかったのは赤松のほかに畠山もね。
まぁ、この両家は目的があったからな。

136 :人間七七四年:2008/12/04(木) 21:18:05 ID:nW0LDQd5
赤松不人気だな

137 :人間七七四年:2008/12/04(木) 22:24:52 ID:u9R+dOyg
将軍や皇族に害を加えた松永もびっくりの悪党だからな。

138 :人間七七四年:2008/12/04(木) 23:28:32 ID:/DZikV3y
>>134
もともと将軍以外は殺す気なかったらしいけどね
義教怖がってたのはどの守護もそうだろうっていう読みもあったし
山名の一門の守護の首もとって義教と一緒に晒しちゃったから
山名一門大激怒で赤松崩壊

139 :人間七七四年:2008/12/05(金) 20:51:10 ID:SOx9uhom
首が晒されちゃったのは山名熈貴?

140 :人間七七四年:2008/12/21(日) 07:09:34 ID:ElGtKShx
>>138
播磨と但馬は隣国だったし、山名とは不仲だったのかも?

141 :人間七七四年:2008/12/21(日) 18:58:30 ID:HJ84/qNw
>>140
めちゃめちゃ仲悪い

142 :人間七七四年:2008/12/21(日) 23:38:08 ID:O6Xknuur
逆に細川は手加減してたっぽい

畠山は一度家督奪われた持国が弟の持永を殺して強引に家督復帰中
赤松に味方した直冬の孫の誰かが庇護を求めにいったけど
持国にあっさり断られて幕府復帰の手土産にされてる

143 :人間七七四年:2009/01/08(木) 15:06:20 ID:DieASzIH
赤松と細川は比較的いいって事かな

144 :人間七七四年:2009/01/08(木) 17:41:24 ID:zx7zh/8V
>>143
応仁の乱以降は特に、山名への牽制もあるしね。

145 :人間七七四年:2009/01/26(月) 15:15:17 ID:86AzcPMP
大内と細川はずっと仲が悪い。
山名と細川は良好な時期もある。

146 :人間七七四年:2009/01/26(月) 20:41:03 ID:59hs+iX5
赤松age

147 :人間七七四年:2009/01/26(月) 20:45:09 ID:3AaH0gaU
>>145
つーか、応仁の乱の直前くらいまでは、畠山に対抗するためにも
同盟と言っていい関係だった>細川と山名

148 :人間七七四年:2009/01/26(月) 23:58:11 ID:RAPv+8zp
あげ

149 :人間七七四年:2009/02/14(土) 15:25:45 ID:z1gqqxaF
>>147 婿さんだから

150 :人間七七四年:2009/02/19(木) 16:02:46 ID:RAmW4BFX
結局大内の扱いで決裂した

151 :人間七七四年:2009/03/05(木) 15:09:26 ID:PBzGGAEI
大内と細川は仲悪いから

152 :人間七七四年:2009/03/06(金) 23:37:42 ID:LixUx5z3
貿易利権で対立してたからな

153 :人間七七四年:2009/03/24(火) 15:43:50 ID:BPq6wHiE
赤松は細川寄り、山名と仲が悪い

154 :人間七七四年:2009/04/04(土) 13:45:03 ID:u/agNP8u
嘉吉や討伐も含めて怨念が深い。

155 :人間七七四年:2009/04/18(土) 13:19:32 ID:CTMzxXjf
細川も山陽に勢力張ってるからね。

156 :人間七七四年:2009/05/05(火) 17:32:22 ID:WivtksbZ
瀬戸内を押さえる構想ありだね。

157 :人間七七四年:2009/05/08(金) 06:14:26 ID:XRFPhFre
斎村政広の子ってみんな死んじゃったの?

158 :人間七七四年:2009/05/22(金) 15:58:35 ID:9C2cYmzS
次郎右衛門 善右衛門か。

159 :人間七七四年:2009/06/08(月) 15:27:15 ID:DL1PELQx
誰それ?という感じだね。

160 :人間七七四年:2009/06/22(月) 16:56:19 ID:S+ACvaEc
赤松の直系は?

161 :人間七七四年:2009/06/22(月) 21:40:34 ID:sa1/hjI7
>>160
絶えた。
現在残っているのは傍系。

162 :人間七七四年:2009/07/06(月) 16:02:35 ID:GBzVtYqO
なるほど。そうなんだ。

163 :人間七七四年:2009/07/21(火) 15:19:54 ID:4R4AGFCp
石野とかですか

164 :人間七七四年:2009/08/05(水) 15:32:54 ID:oCCMar9Q
石野は子爵だっけ。

165 :人間七七四年:2009/08/13(木) 10:03:38 ID:vKa2b+d+
嘉吉後によく生き残ったと思う。でも室町期は完全に滅ぼされないのが普通かも。

166 :人間七七四年:2009/08/25(火) 14:27:02 ID:2EsYivse
山名も大内もか。やったことのレベルは違うが。

167 :人間七七四年:2009/09/09(水) 16:05:35 ID:WBeMf/eM
室町的だね。

168 :人間七七四年:2009/09/18(金) 15:28:58 ID:1zIhVEFF
赦すいうことをしなければ、室町初期に誰もいなくなる

169 :人間七七四年:2009/09/29(火) 15:17:40 ID:zvwpTz6F
江戸幕府とは違うから。

170 :人間七七四年:2009/09/30(水) 09:31:03 ID:QQh0D81P
赤松農水大臣

171 :人間七七四年:2009/10/05(月) 13:49:40 ID:gfxW0C69
赤松の由来はどこだ? 赤松庄とかあるのん??

172 :人間七七四年:2009/10/05(月) 21:19:23 ID:m6X1MS3V
>>171
播磨国にあった赤松村が元。
赤松村は佐用郡と赤穂郡の境目に位置し、
明治の廃藩置県で基本的に赤穂郡に属したが、一部は佐用郡に繰り入れられた。

173 :人間七七四年:2009/10/20(火) 16:15:24 ID:zhhpW0Lq
もともと播磨の土豪なのね。

174 :人間七七四年:2009/10/23(金) 01:40:15 ID:uXI/5g0i
【東播磨】別所氏を語る【三木城】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1256229478/

旗揚げしました。何卒よしなに。

175 :人間七七四年:2009/11/06(金) 15:35:44 ID:oSzLicPD
>>173 南北朝期に急拡大したわけか。

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取りに行ったけどなかった。次は一時間後に取りに行くです。
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