【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ14【東軍】
- 1 :人間七七四年:2009/09/19(土) 18:03:03 ID:Wx1qifT/
- 130年あまり続いた戦国時代晩期の合戦である「関ヶ原の戦い」。
東西両軍合わせて20万人もの動員を繰り出した、想像を超える大規模なものだったにも関わらず
わずか数時間の戦闘で勝敗が決したという希有な戦い。
全国津々浦々から名立たる武将・智将が一同に会した、戦国屈指のドラマ「関ヶ原」を
あらゆる角度から検証するスレ第十弾です。
過去ログ
関ヶ原の戦い総合スレ
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1106458926/
関ヶ原の戦い総合スレ2
http://hobby5.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1108139654/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ3【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1124859382/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ4【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1127129116/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ5【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1129471584/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1135858991/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ6【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142346577/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ8【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1145149465/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ9【東軍】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1149346897/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ10【東軍】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1152870727/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1176221394/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】 ※12
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194438306/
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ13【東軍】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1214108230/
- 2 :1:2009/09/19(土) 18:05:50 ID:Wx1qifT/
- 誤 あらゆる角度から検証するスレ第十弾です。
正 あらゆる角度から検証するスレ第十四弾です。
- 3 :人間七七四年:2009/09/19(土) 19:35:37 ID:RUPOzLHm
- get3
- 4 :人間七七四年:2009/09/19(土) 19:47:46 ID:Ctp6whxS
-
池田公一「相良頼房と関ケ原合戦」(『戦国史研究』19号、1990年2月28日発行)
會田康範「石田・上杉共謀説について」(『戦国史研究』23号、1992年2月29日発行)
笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館、1993年2月25日発行)
笠谷和比古『関ケ原合戦―家康の戦略と幕藩体制』(講談社、1994年2月1日発行)
四本健光「島津氏と関ヶ原合戦 −島津義弘の参戦事情と徳川の島津処分」(『鹿児島大学教育学部研究紀要』18巻<人文社会科学編>、1996年)
西本誠司「関ケ原合戦前の島津氏と家康」(『戦国史研究』34号、1997年8月25日発行)
宮本義己「徳川家康の人情と決断−三成゛隠匿″の顚末とその意義」(『大日光』70号、2000年3月26日発行)
笠谷和比古『関ケ原合戦四百年の謎』(新人物往来社、2000年6月10日発行)
- 5 :人間七七四年:2009/09/19(土) 19:48:30 ID:Ctp6whxS
-
桐野作人『真説 関ヶ原合戦』(学習研究社、2000年9月13日発行)
藤井尚夫『フィールドワーク関ケ原合戦』(朝日新聞社、2000年9月15日発行)
笠谷和比古『関ケ原合戦と近世の国制』(思文閣出版社、2000年12月20日発行)
林千寿「関ケ原合戦における細川家−その動向と動機」(『熊本史学』76・77合併号、2000年12月20日発行)
宮本義己「徳川家康の豊臣政権運営−「秀吉遺言覚書」体制の分析を通して」(『大日光』74号、2004年3月26日発行)
布谷陽子「関ケ原合戦の再検討―慶長五年七月十七日前後」(『史叢』73号、2005年)
- 6 :人間七七四年:2009/09/19(土) 19:49:43 ID:Ctp6whxS
-
宮本義己「内府(家康)の公儀掌握と関ケ原合戦」(『大日光』76号、2006年3月17日発行)
白峰旬「関ケ原の戦いに関する時系列データベース―城郭関係史料を中心として」(『愛城研報告』10号、2006年8月発行)
福田千鶴『淀殿』(ミネルヴァ書房、2007年1月10日号発行)
光成準治「関ケ原前夜における権力闘争−毛利輝元の行動と思惑」(『日本歴史』707号、2007年4月1日発行)
三池純正『敗者から見た関ケ原合戦』(洋泉社、2007年5月22日発行)
- 7 :人間七七四年:2009/09/19(土) 19:50:31 ID:Ctp6whxS
-
土居聡朋「関ケ原合戦における四国侵攻と武井宗意」(『地方史研究』57巻4号、2007年8月1日発行)
田端泰子『北政所おね』(ミネルヴァ書房、2007年8月10日発行)
布谷陽子「関ケ原合戦と二大老・四奉行」(『史叢』77号、2007年9月30日発行)
笠谷和比古『戦争の日本史17 関ケ原合戦と大坂の陣』(吉川弘文館、2007年11月1日発行)
笠谷和比古『関ヶ原合戦』(講談社学術文庫、2008年1月10日発行)
笠谷和比古「関ケ原合戦余聞−「三成、家康屋敷に逃げ込む」の嘘」(『本』33巻2号、2008年2月1日発行)
平井上総「関ケ原合戦と土佐長宗我部氏の改易」(『日本歴史』718号、2008年3月1日発行)
- 8 :人間七七四年:2009/09/19(土) 19:51:48 ID:Ctp6whxS
-
宮本義己「内府(家康)東征の真相と直江状」(『大日光』78号、2008年3月31日発行)
白峰旬「関ケ原の戦いに関する再検討」(『別府大学大学院紀要』10号、2008年3月発行)
三宅正浩「「秋長」書状の年代比定をめぐって―関ケ原合戦と蜂須賀家政」(『ヒストリア』210号、2008年6月10日発行)
太田浩司『近江が生んだ知将 石田三成』(サンライズ出版、2009年3月1日発行)
光成準治『関ケ原前夜―西軍大名たちの戦い』(日本放送出版協会、2009年7月30日発行)
- 9 :人間七七四年:2009/09/20(日) 01:08:19 ID:auqKB6fS
- thanks!
- 10 :人間七七四年:2009/09/20(日) 04:19:40 ID:dNd+xnSO
- >>1
大儀であった
褒美として伏見城の城代として警備するよう申し渡す
- 11 :人間七七四年:2009/09/20(日) 09:37:21 ID:HmDwQeOK
- フラグたったw
- 12 :人間七七四年:2009/09/20(日) 14:23:11 ID:xx2oYezi
- 関ヶ原の戦いで、中国地方で
戦場になったところって
あったけ?
- 13 :人間七七四年:2009/09/20(日) 14:47:32 ID:YAGREETr
- >>12
正確には関ヶ原後だが、鳥取城攻防戦。
- 14 :人間七七四年:2009/09/20(日) 15:35:51 ID:xx2oYezi
- >>13
ありがとう。
戦後か。他の地方に比べて
印象薄く感じるのは、
その所為かな。
- 15 :人間七七四年:2009/09/20(日) 22:06:08 ID:rQ4Cf+Id
- 毛利傘下の村上水軍が四国のどこか攻めて、
返り討ちにあってなかったか。
- 16 :人間七七四年:2009/09/22(火) 06:30:57 ID:bRcdPUDr
- 熱中夜話後編の感想はどうですか?
- 17 :人間七七四年:2009/09/22(火) 07:52:57 ID:FlX4qXK2
- 後編のMVPって結局誰だったけ?
- 18 :人間七七四年:2009/09/22(火) 08:19:24 ID:bRcdPUDr
- NHK 熱中夜話後編では、西暦1600年9月15日と説明してるよ。
慶長5年9月15日(グレゴリオ暦1600年10月21日)wiki
が正しいんだね。
小早川秀秋を19歳と説明しているが、数え年、満、どっち?
- 19 :人間七七四年:2009/09/22(火) 08:47:28 ID:308EsrLe
- 毛利と宇喜多の関係って南部と津軽みたいなもんだろ。
うまくいくはずがない。
立花は主家(大友)を滅ぼした石田や小西を恨んでいるはず。
島津、長曾我部同様、積極的に戦うわけがない。
自らが危険にさらされた時だけ。
- 20 :人間七七四年:2009/09/22(火) 22:30:01 ID:fliOXCw7
- >>19
その大友は復興するために九州で西軍のために兵をあげたんですけど、、、もっとも黒田にあっさりやられたけど
立花の活躍次第で大友復興もありえたので必死に戦ったんでは?~
- 21 :人間七七四年:2009/09/22(火) 22:35:11 ID:WnG1OqDm
- >>20
宗茂個人の感情はともかく、立花家臣団にとって大友復興なんて何の意味も無いだろう。
むしろ下手すれば陪臣扱いにされて、有害にもなりかねない。
- 22 :人間七七四年:2009/09/23(水) 15:47:51 ID:+MxVI1Ob
- 前スレで、騒いでた直江状の話は、決着ついたの。
目離している間に、前スレ落ちちゃったんだけど。
- 23 :人間七七四年:2009/09/24(木) 07:47:24 ID:94JRM+Cm
- >>22
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1252714474/l50
- 24 :人間七七四年:2009/09/24(木) 17:26:03 ID:BuIlokBt
- 毛利のアホさ加減がほんと笑えるな・・・
そりゃ恥ずかしくて、さっさと徳川打倒したいと思うわなw
260年かかったけどw
- 25 :人間七七四年:2009/09/24(木) 21:32:27 ID:wYlV1Apa
- 毛利秀元って東軍に内通していた疑惑が強いな
南宮山から吉川が邪魔しているのをいい訳に軍を動かさなかったからじゃなく
本戦の後、東軍が佐和山城を攻撃している近くを通過している、
普通は長束と同じように伊勢経由で退却するのにだ
東軍もそれを見過ごしてる
さらに極めつけは毛利秀元に同行していた安国寺恵瓊が佐和山付近から離脱し
琵琶湖を船で横断している
そのまま毛利秀元といっしょに瀬田まで行けば西軍の勢力範囲で大阪城まで無事に辿りつけたのにだ
なぜか逃げ出すようにわずかな人数で離脱している
みんな不思議だと思わないか?
- 26 :人間七七四年:2009/09/24(木) 22:28:45 ID:KcNymOJt
- >>25
吉川の手引きがあったのだから当然だろう
- 27 :人間七七四年:2009/09/24(木) 23:55:10 ID:t2tQJ7XE
- 秀元は吉川の離反は知らなかったというのが通説だが、
もし一緒に離反していたのなら、秀元の子孫が毎年徳川打倒を語り
合ったという逸話が滑稽でしょうがないな。
- 28 :人間七七四年:2009/09/25(金) 00:11:55 ID:T489/zDC
- >>27
それ長州征伐受けた頃に生まれた作り話だから。
- 29 :人間七七四年:2009/09/25(金) 02:22:05 ID:ZhR2gIjJ
- 三本の矢はもはやギャグ
- 30 :人間七七四年:2009/09/25(金) 08:35:19 ID:8JGPqMnm
- 秀元は当時、20代前半
いとことは言え親父くらい離れてるキッカーに逆らえるはずは無い
もし金吾がもう二時間攻めるのが遅れたら動いてたかも知れない、、、
大阪籠城をテルモトに進言したのはだれだっけ?
- 31 :人間七七四年:2009/09/25(金) 10:21:35 ID:iiuZQMMv
- 立花宗茂
- 32 :人間七七四年:2009/09/25(金) 10:37:46 ID:QjLlDtVL
- 元就の「三本の矢」「所領安堵のみを考えろ」って
群雄割拠してた時代のやり方だろ。
なのに、天下が体制が定まって、その中で起こった混乱なのに
天下を手中に握るチャンスをみすみす逃す毛利一族は爆笑ものだわ
- 33 :人間七七四年:2009/09/25(金) 19:28:21 ID:8JGPqMnm
- >>31
わかってて皆さんたずねた
秀元と立花ね
- 34 :人間七七四年:2009/09/25(金) 22:09:58 ID:6ttuuKV0
- 安国寺恵瓊はなぜ2、3人で鞍馬にいったんだ
敗戦で1800人いた兵が逃げ出しても600人くらいは残ってたろ
全軍連れて鞍馬に潜んでれば奥平信昌隊に捕まることもなかったのにね
- 35 :人間七七四年:2009/09/25(金) 22:14:48 ID:T489/zDC
- >>34
安国寺の兵は殆どが毛利の付けた寄騎だったらしい
- 36 :人間七七四年:2009/09/25(金) 22:50:26 ID:6ttuuKV0
- すると毛利秀元東軍内通説濃厚
身の危険を感じた安国寺恵瓊琵琶湖を船で逃走
秀元大阪城で輝元に籠城を訴えはフェイクだな
- 37 :人間七七四年:2009/09/26(土) 04:42:19 ID:Kh70Kc8C
- 秀元まで東軍に内通していながら、
所領激減の毛利って・・・・w
- 38 :人間七七四年:2009/09/26(土) 07:37:33 ID:ykSM4vAD
- >>34
潜伏するのにそんな目立つ真似をしてどうする
- 39 :人間七七四年:2009/09/26(土) 12:05:41 ID:zum4s7KT
- >>34
600人は何を食って生き延びるの?
- 40 :人間七七四年:2009/09/26(土) 16:02:28 ID:DVuZ5DFp
- >>37
吉川だって都合よく東軍と連絡とったり向こうの連絡を無視したりしてるしね。
ちなみに秀元は吉川達とは別行動である可能性もある。
天野元政家の「譜録」では佐和山の麓を通過して西に向かったとしているけど、
瀬田で黒田と福島から東軍参加を求められたけど、講和するとは聞いていないと
拒否してる。
別の毛利家家臣の覚書では東軍が後ろから追ってきたため、秀元軍は山上に逃れ、
東軍が通過した後に瀬田を渡ったとされていて、黒田たちからの誘いのくだりも記
載されている。
秀元が脇を通過しようが、無傷の大軍相手に東軍の部隊が戦える状態ではなかったかもしれない。
- 41 :人間七七四年:2009/09/27(日) 00:21:53 ID:ctfJoYPK
- >>40
それではなぜ秀元から安国寺恵瓊は離脱したの?
- 42 :人間七七四年:2009/09/27(日) 01:58:45 ID:xXiL2DUE
- 単に安国寺は秀元を信用しきれなかったんだろ。
- 43 :人間七七四年:2009/09/27(日) 02:15:47 ID:IObUyRuM
- 安国寺を生け贄にして毛利は助かろうという気配を感じたのだろうよ。
- 44 :人間七七四年:2009/09/27(日) 02:25:27 ID:ktqDxybA
- というか、自分の口車で毛利が西軍の大将に押し上げた。
でも肝心の決戦で、戦う気配が無い。
お隣に自分を不倶戴天の敵とする武将がいる。で、自分の部隊は実質そいつの指揮下にある。
逃げるという考えは当たり前だと思うわけだが。
- 45 :人間七七四年:2009/09/27(日) 03:04:09 ID:ctfJoYPK
- 吉川って本戦の後すぐに東軍と合流したのでは?
- 46 :人間七七四年:2009/09/27(日) 03:22:11 ID:IObUyRuM
- 先鋒の吉川がサボタージュしたから毛利隊は動けなかった、
ったというか、動く機会を逸したということで、
毛利秀元に戦意が無かったとは断定できない。
- 47 :人間七七四年:2009/09/27(日) 04:16:16 ID:2LKoTUrh
- 秀元はともかく、吉川が安国寺を捕らえて、家康に引き渡す恐れは充分にある
- 48 :人間七七四年:2009/09/27(日) 04:33:24 ID:ctfJoYPK
- 吉川って本戦の後すぐに東軍と合流したから秀元と安国寺だけでは?
- 49 :人間七七四年:2009/09/27(日) 09:45:40 ID:GyeKkhY5
- 吉川隊を蹴散らして下山出来なかったのか?
物理的には可能?
- 50 :金馬天馬:2009/09/27(日) 11:22:09 ID:ssnrvWgS
- さすがに難しいんじゃないか
まかりなりにも毛利の三川のひとつやし
- 51 :人間七七四年:2009/09/27(日) 11:42:06 ID:j23Q2Bz6
- もう一つの川はどこだ
- 52 :人間七七四年:2009/09/27(日) 12:49:49 ID:ctfJoYPK
- 秀元はなぜ佐和山経由で退却したの?
- 53 :人間七七四年:2009/09/27(日) 14:09:24 ID:zqlDasWz
- 先鋒を踏みにじったら同士討ち必至
- 54 :金馬天馬:2009/09/27(日) 15:31:20 ID:ssnrvWgS
- 小早川
- 55 :人間七七四年:2009/09/27(日) 15:40:08 ID:QsiYDHW7
- 三川じゃなくて吉川と小早川の両川じゃないのか
- 56 :人間七七四年:2009/09/27(日) 17:30:25 ID:+MgJVW4S
- 三川は美濃のお国柄を考慮すると@木曽A長良B揖斐だろうな。
- 57 :人間七七四年:2009/09/27(日) 17:32:19 ID:5y8jNkdK
- ロッテの早川じゃね?
- 58 :人間七七四年:2009/09/27(日) 18:12:47 ID:05uchWD7
- 誰がバット投げやねん
- 59 :人間七七四年:2009/09/27(日) 23:57:03 ID:hwO82lVp
- 毛利がちゃんと大坂城を押さえとけば一日で決着なんかつかない。
関が原の最大のへタレはどう考えても毛利以外にはないな。
- 60 :人間七七四年:2009/09/28(月) 00:00:01 ID:wa30bZik
- それで毛利秀元は東軍に内通していたのか?していなかったのか?どっちなんだ?
- 61 :人間七七四年:2009/09/28(月) 00:01:20 ID:ShQ8HRVD
- 三成たちがあれだけ完膚なきまでにぼろくそに負けて、大阪城の保持なんか出来るかよw
寝言は寝て言えw
- 62 :人間七七四年:2009/09/28(月) 00:03:33 ID:P6fVLDej
- たしかに大「阪」城の保持なんて不可能だな
- 63 :人間七七四年:2009/09/28(月) 08:58:31 ID:eNNSTAM5
- >>61
日本国中の全大名と幕府軍を相手に回しても落ちなかった大坂城だぞ。
寝言は寝て言えw
- 64 :人間七七四年:2009/09/28(月) 09:08:23 ID:ydd+zecP
- >>47
安国寺にしてみれば、初めてに戦場に加えて、初めての敗戦で、
パニクって、気づいたら、そこに逃げてたということもあるかも。
- 65 :人間七七四年:2009/09/28(月) 09:26:57 ID:8bn5QURk
- >>63
たかだか二週間程度の攻城で落ちなかったと言われても…
- 66 :人間七七四年:2009/09/28(月) 10:36:54 ID:ShQ8HRVD
- >>63
あのさあ、大阪の陣と状況がぜんぜん違うって事解ってる?
これがゲーム脳かw
- 67 :人間七七四年:2009/09/28(月) 12:53:23 ID:Mk7RcvTC
- 関ヶ原の時の方が圧倒的に有利だろ、大坂方が籠城迎撃した場合。
- 68 :人間七七四年:2009/09/28(月) 12:57:06 ID:Mk7RcvTC
- >>65
大坂城を落とせたのは、家康得意のダマシ討ち戦法でしかなかったってことを忘れるな。
- 69 :人間七七四年:2009/09/28(月) 12:59:06 ID:ShQ8HRVD
- >>68
だまし討ちって何だよ?まさか、もはや否定されてる、内堀埋め立てが条約違反ってやつ?
- 70 :人間七七四年:2009/09/28(月) 13:10:04 ID:Mk7RcvTC
- >>69
アホか。
堀埋めたら秀頼と大坂城はそのまま安泰と誓約しながら、
舌の根も乾かぬうちに軍事出動したという単純明快なダマシ討ち。
- 71 :人間七七四年:2009/09/28(月) 14:15:05 ID:S3IMUikK
- >>67
大坂城内には東軍の増田が居る
- 72 :人間七七四年:2009/09/28(月) 14:51:30 ID:zgMTKO7f
- 増田が東軍スパイなら領地没収の改易にはならんだろう
- 73 :人間七七四年:2009/09/28(月) 15:07:15 ID:S3IMUikK
- >>72
増田は実際に密書を送っていたし戦後、二股をかけようとしていたらしいことを
指摘されて改易された。片桐、前田は加増があった。
増田の内通を毛利が疑って大坂から動けなかったのが重要。
籠城しようにも疑わしい増田がいる以上、そのことを考慮しなければならない。
- 74 :人間七七四年:2009/09/28(月) 15:16:15 ID:zgMTKO7f
- 毛利が出動しなかったのは、三成からの出動要請が無かっただけのこと。
家康は隠密行動で赤坂まで来たので、西軍は毛利本隊の出陣の機会を逸したということ。
- 75 :人間七七四年:2009/09/28(月) 15:21:06 ID:ShQ8HRVD
- >>70
何を言ってるんだお前は?
講和直後から堀や塀の復旧をするなど不穏な動きを見せていたのは豊臣の側、
さらに大和や堺に攻め寄せ先に戦端を開いたのも豊臣家だ。
君は特殊な歴史観の中に生きているらしいな。
- 76 :人間七七四年:2009/09/28(月) 15:33:16 ID:6DNBRb+x
- >>75
この手の言いがかりは家康の常套手段。
毛利の領地問題からして、最初は全領保全すると約束しておきながら、
後になって、聞いていた話と違うとか言いがかりをつけて100万石没収だからな。
昔もやっていただろうが、三河の一向一揆に対して、寺はもと通りに保証すると言っておいて、
「もと通り」とは更地のことだからと寺院は全部破却。
あれだ、家康のいつもやってることだ。
- 77 :人間七七四年:2009/09/28(月) 15:36:20 ID:ShQ8HRVD
- >>76
いやだからさ、豊臣家から先に手出ししたことはどう言い訳するの?
それぞれに複雑な事情のある事象を無理やりに単純化している君の勝手な印象論じゃなく、
具体的にお話してみな?
- 78 :人間七七四年:2009/09/28(月) 15:48:57 ID:6DNBRb+x
- 何もなしに豊臣方から戦争しかける理由はない。
豊臣方としてはできるだけ穏便にして時間を稼いで、家康のくたばるのを待つのが上々策。
豊臣方から戦端を開いたのは、徳川方が再戦の動員を開始して総攻撃必至の情勢では、堀を埋められた以上、
先制攻撃に打って出ざるをえないこと。
- 79 :人間七七四年:2009/09/28(月) 16:15:46 ID:vGllL2QR
- 約束ってのは破った時の報復にそれなりの威力が無いと成立しないんだと思う。
毛利や豊臣はその辺の詰めが甘かったとしか言えん。
- 80 :人間七七四年:2009/09/28(月) 16:49:34 ID:5HSUgsNH
- >>76
毛利は吉川の言い分と違っていたから
担がれただけと言っておきながら、四国に出兵したり
輝元が積極的に西軍に加担した証拠の署名した文書を
押収したから
言い分が違うのは毛利の方
- 81 :人間七七四年:2009/09/28(月) 19:14:49 ID:Syp1TdaG
- >>78
結局、騙し討ちじゃねぇじゃん
- 82 :人間七七四年:2009/09/28(月) 19:31:03 ID:OUdds9DE
- 騙し討ちじゃんか
- 83 :人間七七四年:2009/09/28(月) 19:36:06 ID:S3IMUikK
- 冬の陣講和後大坂の浪人集が(大野暗殺未遂)不穏な動きを見せたので
大野が進めていた郡山への国替えの話がぶち壊されて大坂夏の陣勃発。
- 84 :人間七七四年:2009/09/28(月) 19:55:33 ID:Hmui1gLq
- 大坂城を保証すると約束しておきながら、
平気で郡山転封を強要する家康。
もちろん拒絶回答を織り込み済みでの開戦口実。
もう騙し討ち以下でないの
- 85 :人間七七四年:2009/09/28(月) 19:57:35 ID:ShQ8HRVD
- 歴史なんかよりまず「だまし討ち」の意味から勉強しなおせ。
- 86 :人間七七四年:2009/09/28(月) 20:41:07 ID:X9e3aVC1
- 「だまし討ち」=エサで釣って罠にはめる。家康の常套手口w
- 87 :人間七七四年:2009/09/28(月) 20:53:29 ID:Syp1TdaG
- 豊臣方が先に手を出してる以上騙し討ちやないやん
- 88 :人間七七四年:2009/09/28(月) 21:07:13 ID:X9e3aVC1
- >>87
78でも読め
- 89 :人間七七四年:2009/09/28(月) 21:20:05 ID:5HSUgsNH
- 外交上は特に問題は無い
つうか国家間では騙される方が馬鹿なのである
- 90 :人間七七四年:2009/09/28(月) 21:25:01 ID:gUvYaTp5
- 「天地人」やる意味ありそうだよなぁw
- 91 :人間七七四年:2009/09/28(月) 22:12:05 ID:MARb2PZA
- とにもかくにも三成が嫌われ過ぎていたから西軍は負けた
徳川の勝利というより、三成の自爆
- 92 :人間七七四年:2009/09/28(月) 22:30:46 ID:N8k00c96
- 騙し討ち家康をもみ消すために、三成に矛先を向ける家康オタw
- 93 :人間七七四年:2009/09/29(火) 02:07:10 ID:Lm9XDayz
- >>89
>騙される方が馬鹿なのである
なんか、支那人の本心みたい。
- 94 :人間七七四年:2009/09/29(火) 02:12:03 ID:HGfJPtku
- そうでも考えてないとやっとれんだろ
- 95 :人間七七四年:2009/09/29(火) 02:22:30 ID:NGMVWC5T
- つまりは騙し討ちの家康ということで全員結論w
- 96 :人間七七四年:2009/09/29(火) 02:26:45 ID:Lm9XDayz
- 「大義のためには嘘も許される」
- 97 :人間七七四年:2009/09/29(火) 02:31:20 ID:oJz6llJE
- 気持ちの悪い馬鹿が一人で暴れているな
- 98 :人間七七四年:2009/09/29(火) 03:57:42 ID:D/jnfrtD
- 議論に窮するとすぐ一人自演と言いたがる奴がいる
- 99 :人間七七四年:2009/09/29(火) 13:57:48 ID:bf3FWjSv
- 要するに毛利がもう少し大坂城で頑張っていたら、
関ヶ原合戦(「関ヶ原合戦」でなくなってしまうかもしれないけど)は、
もっと面白くなっていたということでしょう。
- 100 :人間七七四年:2009/09/29(火) 14:30:21 ID:t0V8rBgA
- 毛利と立花とが迎撃に出ていたら次はどこが野戦地になっていたかな?
- 101 :人間七七四年:2009/09/29(火) 14:55:16 ID:wT8zqkLC
- 自爆の三成にびびりの毛利か西軍悲惨すぎる
- 102 :人間七七四年:2009/09/29(火) 15:12:34 ID:oJz6llJE
- 何度も繰り返されてる話だが、毛利が大阪城なんかにこもったら、本拠の中国が東西から
どんどん侵食されて立ち枯れるだけ。
- 103 :人間七七四年:2009/09/29(火) 15:14:42 ID:ZcdjZrVB
- 家康の関東領国も食い荒らされるぞ
- 104 :人間七七四年:2009/09/29(火) 15:24:23 ID:oJz6llJE
- >>103
どこが侵食するの?関ヶ原で勝った勢力が、しかも西軍の中心だった
奉行衆は解体しているのに。
馬鹿なの?
- 105 :人間七七四年:2009/09/29(火) 15:36:04 ID:F3cy14eU
- 堀、最上、伊達、結城で上杉は身動き取れないし佐竹も中途半端な立場。
中山道に秀忠の軍勢だって控えてる。
関ヶ原で家康を討ち取りでもしない限り関東は磐石だろうな。
- 106 :人間七七四年:2009/09/29(火) 17:25:38 ID:ivgm3lZU
- 確かに佐竹は中途半端な立場だし、佐竹義重と東義久がいる以上は西軍に付くのは厳しいだろうなあ。
- 107 :人間七七四年:2009/09/29(火) 18:03:37 ID:ZcdjZrVB
- >>104
大阪城が健在なら、長束も帰還して三奉行体制も再建。
持久戦になった場合、ともに居城を離れている毛利と徳川と、
その領国が浸食される脅威はどちらが高いか。
毛利領国を脅かす勢力はちょっと見当たらない。
それに対して家康の関東領国に対しては西軍主勢力の上杉が無傷で残っており、
佐竹の連合もある。政宗は情勢次第でどちらへでも転がる可能性あり。
毛利領国に比べて、徳川領国が背後から強く圧迫されていることは否めない。
それに家康の場合、大坂攻めを強行する場合、どこを拠点にするかが問題となる。
伏見城が取れない場合、大坂城に匹敵する強力な城郭拠点はどこにあるかだ。
破壊された大津城あたりでは話にならないだろう。
- 108 :人間七七四年:2009/09/29(火) 18:40:13 ID:F3cy14eU
- 九州は火事場泥棒してた如水さんとか島津の抑えで居残り組の清正さんとか・・・
東北の上杉は最上相手に苦戦してるし佐竹はやや東軍寄りの中立
北陸は堀と前田が東軍だけど内紛中
関ヶ原である程度の戦果を挙げないと地方でも優位になれないんじゃないかな?
- 109 :人間七七四年:2009/09/29(火) 19:03:13 ID:t0V8rBgA
- 四国や北九州で毛利方が頑張っていたんでしたっけ?
毛利が関ヶ原に参戦しなかったのはその目が東ばかりでなく
西により強く向いていたためではないですか?
- 110 :人間七七四年:2009/09/29(火) 21:36:34 ID:6jf0VSEe
- 毛利は加藤嘉明が留守の伊予を攻めて失敗してるな。
でも瀬戸内を掌握してる以上は大坂から東に出撃しても問題ないと思うんだが、
九州の清正と如水に警戒してたんだろうか
- 111 :人間七七四年:2009/09/29(火) 23:02:54 ID:qdvkFYX0
- 家康が大坂城に攻撃かけるとして、いったいどれだけの兵力が投入できると言うんだ。
家康の旗本勢3万(多く見積もって)に、井伊直政と松平忠吉の計6000(関ヶ原でかなり消耗している)、
そして遅れてきた秀忠率いる徳川主力の3万。これはいいだろう。
しかし同盟の豊臣武将で、秀頼君のいる大坂城に弓鉄砲を撃ちかける勇気のある奴は、一体どれだけある。
仮に(まずありえないことだが)全員が攻撃に参加しても、攻城軍の総兵力は多く見積もっても10万どまり。
しかも味方から裏切りの発生する危険度がきわめて高い状態の中での攻城戦。
これで大坂城を陥落させられると想像する方がどうかしてる。
- 112 :人間七七四年:2009/09/29(火) 23:21:03 ID:oJz6llJE
- 秀頼が毛利に味方すると疑いなく信じる想像力w
- 113 :人間七七四年:2009/09/30(水) 00:10:31 ID:+efcjoJE
- 大津城にいた別働隊が間に合ってたら、
立花の参戦も大きいだろうが、その隊の大将が一族の
毛利元康なら秀元も動いてた可能性ありますか?
- 114 :人間七七四年:2009/09/30(水) 00:39:34 ID:NNJfO5Ko
- 大津組が関ヶ原に来てたら立花は積極的に戦うだろうし
まず親しい毛利秀包が引きずられ、元康も引きずられ、吉川も戦わざるを得なかったかも。
そうなると小早川も西軍として戦わざるを得なかったな。
- 115 :人間七七四年:2009/09/30(水) 01:59:24 ID:X73aaTW3
- 逆に言うと大津城守ってた京極高次は大金星だよな。開城したけどw
最も厄介だったかもしれない立花を足止めすることには成功したんだから
- 116 :人間七七四年:2009/09/30(水) 02:15:33 ID:0FAmfNqC
- その無傷の立花が大坂城に拠って、消耗した東軍を迎撃してたらなぁ
- 117 :人間七七四年:2009/09/30(水) 03:05:29 ID:OCBB9Ev5
- いい加減妄想はこっちでやれ
関ヶ原、西軍勝利
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150726266/
- 118 :人間七七四年:2009/09/30(水) 04:02:16 ID:VE24r1nZ
- 毛利ヘタレの犯罪性を糾弾するんだから、このスレでいいんでないの。
- 119 :人間七七四年:2009/09/30(水) 12:40:51 ID:1LqOeBAc
- もっとも毛利側も大坂城に立て籠もる限り負けは無いかも知れないが、
東軍を撃滅する方法も見当たらない。手詰まりだな。
東軍側も追い詰めても、大坂城を陥落させることはできそうにない。
こちらも手詰まり。そこで和議という話になったんだろう。
それで最後は、やっぱダマシ討ちという流れW
- 120 :人間七七四年:2009/09/30(水) 17:27:14 ID:OCBB9Ev5
- 気持ち悪い奴が住み着いたな
- 121 :人間七七四年:2009/09/30(水) 18:11:41 ID:RMXNNr5i
- 家康オタには騙し討ちというのがよほど効くみたい
- 122 :人間七七四年:2009/09/30(水) 18:15:58 ID:Bg6ne2qb
- >>114
大津組の大将は元康だから立花に引きずられて戦うことはないだろう
それに東軍は大垣城の押さえに兵を1万3000ぐらいおいてあるから
もし大津組が来ても大垣城の押さえの部隊をまわせばあまり兵力は変わらない
- 123 :人間七七四年:2009/09/30(水) 18:42:40 ID:stSiFlme
- 独りよがりの勝利宣言ほど惨めなものは無いな。
>>121みたいな。
- 124 :人間七七四年:2009/09/30(水) 19:11:14 ID:5zYdthy+
- 結果論だが、疑わしい小早川を方面軍の大将として配置したら良かったのに。
- 125 :人間七七四年:2009/09/30(水) 21:28:12 ID:n7mi40BE
- 三成嫌われ過ぎだろ 敵はもちろん 味方の小早川や島津や毛利吉川にまでたばかれるとは
宇喜多は三成なんか関係ない自分の正義のためって感じだし ここまでくると可哀想だよな
- 126 :人間七七四年:2009/09/30(水) 22:08:46 ID:jGX2tZJ9
- あとから三成をスケープゴートにしてるだけでしょ。
- 127 :人間七七四年:2009/09/30(水) 22:13:17 ID:stSiFlme
- 三成が嫌われたのは朝鮮役から引き上げた後、参戦した大名への加増を停止したくせに、
自分の子飼いの連中にはちゃっかり加増したところからだよ。
- 128 :人間七七四年:2009/09/30(水) 22:14:24 ID:I9NrNtCB
- >>124
小早川は東軍、ただ家康の思惑すら超えてしばらく日和見してただけで、西軍から突然戦場で東軍に寝返ったなんて創作
- 129 :人間七七四年:2009/09/30(水) 23:20:29 ID:NNJfO5Ko
- >>122
引きずられてって表現は置いといて、
秀包が立花に同調するのは確実だし、元康も特にそれを止める事もなく、
普通に西軍として戦うんじゃない?
- 130 :人間七七四年:2009/10/01(木) 00:43:51 ID:/onKV+Lw
- >>128
小早川の東軍参戦は既定の事実。家康から奥平藤兵衛が裏切り目付として送り込まれている。
それで奥平に促されて秀秋は大谷隊へ向けて攻撃発令をしてるのだけれど、
先鋒の平岡頼勝が難色をしめして動かなかったために、話がややこしくなっていった。
- 131 :人間七七四年:2009/10/01(木) 00:47:06 ID:NtI27Qe8
- 玉の輿のように可愛い秀頼様が赤鬼のような幸村と薩摩に落ちていった
- 132 :人間七七四年:2009/10/01(木) 02:02:08 ID:RnHEwnCC
- >>130
先鋒って松野じゃなくて平岡なのか。
しかし、先鋒が秀秋の本陣で奥平にひっ掴まえられてていいのだろうか。
- 133 :人間七七四年:2009/10/01(木) 02:48:57 ID:d5/m98tI
- >>128>>130
関ヶ原までは西軍として動いていたのも事実。
だから西軍側からすれば突然寝返った事になる。
- 134 :人間七七四年:2009/10/01(木) 02:51:16 ID:dB8+C9KN
- 小早川の寝返り疑惑は周知のこと。
だから大谷も松尾山に対する防備兵を用意している
- 135 :人間七七四年:2009/10/01(木) 02:57:59 ID:dB8+C9KN
- >>132
平岡は先鋒部隊の司令、松野はそこの先手鉄砲頭。
平岡の攻撃ためらいは戦況混迷からくる優柔不断。
松野の攻撃拒否は裏切り行為に対する道義的反逆。
もうぐしゃぐしゃ(笑)
- 136 :人間七七四年:2009/10/01(木) 03:01:40 ID:d5/m98tI
- >>134
あくまで疑惑だろ。そして表ではあくまでも西軍。
- 137 :人間七七四年:2009/10/01(木) 03:30:08 ID:uC/fdHVQ
- 玉の大きな秀頼様が赤鬼のようなマンコの幸村と薩摩に駆け落ちした。
その子孫がのちの西郷隆盛である。
- 138 :人間七七四年:2009/10/01(木) 14:17:11 ID:PKtq80t8
- 小早川による松尾山占拠なんて暴挙以外の何者でもないだろう、それでも信じ続けた西軍ってバカなの?
「オレたちは裏切られた!裏切り汚い!謝罪しる!」
朝鮮人も真っ青っすねw
- 139 :人間七七四年:2009/10/01(木) 14:34:52 ID:De02KhCz
- 出た、裏切り正当化のひねくれ者。
お前、外でもそんなこと言ってんの?
- 140 :人間七七四年:2009/10/02(金) 11:41:46 ID:Npa4UfjO
- アンチ豊臣
家康マンセー
って典型的な朝鮮人思考だよ。
朝鮮人って怖い。裏切りを正当化できちゃうんだから。
- 141 :人間七七四年:2009/10/02(金) 11:44:00 ID:hdGIp7Y8
- 朝鮮依存症ってホントに怖いわ。
朝鮮って言葉を出さないと何も語れないんだな。
- 142 :人間七七四年:2009/10/02(金) 12:32:53 ID:9heQg6Mh
- 松尾山を伊藤ごときに任せてた三成がアホ。
小西でも入れとくべきだった
- 143 :人間七七四年:2009/10/02(金) 12:51:24 ID:W9DiFRd4
- 小西でもどうなるか
大谷でいいじゃん
- 144 :人間七七四年:2009/10/02(金) 13:21:44 ID:m5HlRBlK
- >>141
もはや卑怯とか汚いとか犯罪とか裏切るとか・・・その他ゴネル、パクル、騙す、嘘つき、恥知らず・・・・
など、いろんな言葉の代名詞だからな。
- 145 :人間七七四年:2009/10/02(金) 13:45:49 ID:LmRTBDTR
- BS2 10月2日(金)午後4:30〜午後5:15 BS熱中夜話「関ヶ原」(前編)[再]
BS2 10月2日(金)午後5:15〜午後6:00 BS熱中夜話「関ヶ原」(後編)[再]
ttp://www.nhk.or.jp/nettyu/
- 146 :人間七七四年:2009/10/02(金) 17:10:55 ID:hLu7pYh7
- 家康と浅野長政の関係について疑問なんだが
浅野長政は本当に家康を暗殺しようとしたのか?
暗殺未遂が家康の自作自演だったとして
長政は寝耳に水で、家康にぬれぎぬをきせられたのか?
それとも前田利長と大野治長を嵌める目的で家康と示し合わせて長政は一役かってでたのか?
土方雄久もグルっぽいけど
そこらへんのこと詳しく知りたい
- 147 :人間七七四年:2009/10/02(金) 17:49:51 ID:yYt22G5K
- 小早川が松尾山の伊藤を追い出して占拠したというのは疑問。
西軍に味方すると欺いて宇喜多らの同意を得て入ったとする説もある。
- 148 :人間七七四年:2009/10/02(金) 18:09:50 ID:TA+0XPVs
- 復帰してる。
サーバーがダウンしてたのか。
- 149 :人間七七四年:2009/10/02(金) 18:16:23 ID:MWCiQyPp
- 小早川の裏切りに備えてた大谷とかの話は良く聞くから
小早川はすでに信用されてなかったのかなと思うが
毛利吉川が全く動いてくれなかったのが三成的に一番予想外で痛かったのかな
- 150 :人間七七四年:2009/10/02(金) 18:33:02 ID:eh17YhMD
- >>149
彼らも動きそうにないと三成は考えていたようだけどね
- 151 :人間七七四年:2009/10/02(金) 20:13:51 ID:Gh36JUCZ
- 西が勝ってれば広島が今の愛知県みたいに発達したんだろうな 毛利に小バカ川め(怒)
- 152 :人間七七四年:2009/10/02(金) 20:34:24 ID:eh17YhMD
- 既に戦術がどうこうという以前の情報面で、西軍は勝てる気がしない
- 153 :人間七七四年:2009/10/02(金) 20:35:28 ID:hdGIp7Y8
- 家康の動向すら把握してなかったんだものなあ。
そんな軍隊が勝てるわけが無い。
- 154 :人間七七四年:2009/10/02(金) 22:25:18 ID:p7MuqSqF
- 小早川がためらってる間に南宮山の毛利隊が下山攻撃をはじめてたら、
西軍にはじゅうぶん勝機はあったと思う。
- 155 :人間七七四年:2009/10/02(金) 22:48:12 ID:eh17YhMD
- >>154
8月初旬の段階で吉川が内応している
それで南宮山云々は既に前提が間違っている
- 156 :人間七七四年:2009/10/02(金) 22:53:30 ID:9heQg6Mh
- 末次と吉川の役目を逆には出来なかったのかな
- 157 :人間七七四年:2009/10/02(金) 22:54:13 ID:VusjiLSH
- 小早川は毛利が下山攻撃をしたら東軍を攻めたかもしれないが
毛利は小早川が東軍を下山攻撃をしないかぎり東軍を攻めないと思う
それに南宮山に押さえの兵はおいてあるから下山攻撃しても西軍が勝ったかわからない
結局関ヶ原の戦いで三成は自分がした仕打ちをおもっきり返されているだよな
- 158 :人間七七四年:2009/10/02(金) 23:01:43 ID:i85E87pb
- だから毛利の下山のイフは無い、先鋒が吉川の時点でどうしろと、身内で斬りあって吉川隊を蹴散らして下山しろとでも?
- 159 :人間七七四年:2009/10/02(金) 23:05:01 ID:9heQg6Mh
- 奇跡的なタイミングで決戦当日朝に大津隊が関ヶ原に来て、
元康、秀包隊が戦い始まちゃったら吉川も戦わざるを得なかった
- 160 :人間七七四年:2009/10/02(金) 23:17:47 ID:1nFCi7Tj
- ねーよwww
- 161 :人間七七四年:2009/10/03(土) 00:39:26 ID:2J4nb4UD
- >>158
南宮山の広さからして、吉川隊を迂回して下山することができる。
吉川隊は毛利本隊に攻撃をかけることはできないだろう
- 162 :人間七七四年:2009/10/03(土) 00:42:00 ID:cjeFUBn/
- >>161
軍隊に急遽道なき道を通れと?w
出来るかそんなもの。
- 163 :人間七七四年:2009/10/03(土) 01:08:43 ID:2J4nb4UD
- 栗原山へ回って長宗我部隊といっしょに下山できる。
この場合、東軍の背後にまわりこむことにもなる
- 164 :人間七七四年:2009/10/03(土) 01:09:53 ID:bJ7pmAdX
- とにかく吉川が邪魔。安国寺が輝元を何とかそそのかして広島留守居か伊予攻めに派遣させときゃ良かったのに
- 165 :人間七七四年:2009/10/03(土) 01:17:47 ID:VU+yfJIO
- 先鋒の吉川を無視して下山など出来るかよ
- 166 :人間七七四年:2009/10/03(土) 02:47:14 ID:WpWSDrC4
- >>163
恐ろしく遠回りだな。
- 167 :人間七七四年:2009/10/03(土) 03:08:38 ID:4uHJHlQc
- 長宗我部から順に下山していけばいい
- 168 :人間七七四年:2009/10/03(土) 06:49:25 ID:EoDdPqmi
- 奇跡的に、木曽川が大洪水になり岐阜城攻撃の東軍の主力が流されてしまうというのはどうですか。
- 169 :人間七七四年:2009/10/03(土) 09:25:17 ID:2J4nb4UD
- 家康が中山道の秀忠に出した使者も河川の増水で足止めをくったといわれてるから、
ありえない話ではないかも。
- 170 :人間七七四年:2009/10/03(土) 13:58:18 ID:tIaapr+Q
- って言うか、そもそもあのアホが打って出て
速攻で玉砕したのがそもそもの誤算。
- 171 :人間七七四年:2009/10/03(土) 14:17:51 ID:ShZ44+AP
- ↑
そもそもが二回
そもは四回
- 172 :人間七七四年:2009/10/04(日) 00:26:22 ID:UzLFxmbG
- 連絡不徹底で自分とこの主力軍3万を置き去りにしてしまったような家康が、
勝てるはずがない、と言ったほうがよほど現実味があると思うけどな。
つまりは結果オーライ
- 173 :人間七七四年:2009/10/04(日) 00:29:52 ID:GkoqIPDw
- 天変地異まで家康の責任にされても困る
家康は人知を持って天命を覆したというべき
- 174 :人間七七四年:2009/10/04(日) 00:36:21 ID:L31JoVeD
- でも秀忠は真田攻めを家康から命じられていて、途中になってから
急いで来いと言われても困っただろうな。上田を攻略していたらよ
かった話ではあるけど。
天変地異や不作が領主のせいになるのはよくあることだ。関ヶ原の
時の大雨はそこまでではないんだろうけど。
- 175 :人間七七四年:2009/10/04(日) 02:50:47 ID:EyOoYpMF
- 関ヶ原のときは三成の所の徴発部隊が、畿内の村落から物資の略奪をしまくってるな。
豊臣家から制札の出ている所からすら。
- 176 :人間七七四年:2009/10/04(日) 08:05:52 ID:SXUF0865
- 西軍は田辺城なんかほっといて、真っ先に、清洲城を攻め落として備蓄米を奪えばよかったのに、
しかる後、戦線は戦いつつ後退させる。
- 177 :人間七七四年:2009/10/04(日) 08:19:00 ID:2G4viTgl
- >>176
福島正頼に長島城で敗れて尾張へ侵攻できなかった。
- 178 :人間七七四年:2009/10/04(日) 09:13:42 ID:SXUF0865
- 岐阜城を拠点に清州城を攻めるにしても、輝元が秀秋に命じて攻めさせるのは無理でしょうね。
- 179 :人間七七四年:2009/10/04(日) 09:19:19 ID:GkoqIPDw
- >>174
もし、予定通りなら上田城を攻める前に使者は秀忠の元に到着していた
- 180 :人間七七四年:2009/10/04(日) 09:50:01 ID:EyOoYpMF
- >>176
三成たちは尾張、三河方面を、マジで織田信雄に担当させようとしたんだぜw
- 181 :人間七七四年:2009/10/04(日) 10:34:25 ID:psuEg5HC
- そもそもそもそもとして、三っちゃんが福島に嫌われなきゃよかったのに
- 182 :人間七七四年:2009/10/04(日) 10:41:25 ID:MQnpF6b3
- 頭悪そうだね。
- 183 :人間七七四年:2009/10/04(日) 11:26:26 ID:psuEg5HC
- >>182
ありがとう
- 184 :人間七七四年:2009/10/04(日) 12:33:30 ID:8vE5gebe
- 要するに男の嫉妬だな
- 185 :人間七七四年:2009/10/04(日) 15:57:43 ID:GkoqIPDw
- すみません
どなたか慶長5年9月20日付、関ヶ原合戦についての近衛前久書状
の内容を把握している方、おられますでしょうか
もし、宜しければ教えていただきたいのですが
- 186 :人間七七四年:2009/10/04(日) 16:56:45 ID:/8vZvTYf
- >>179
基本的には秀忠も長期戦をにらんでたんだろう。
8月26日に村越、正純に「内府の命令承りました。真田のことは油断なく対処します」
と送り、9月7日になっても「真田を片付けたら西へ向かいます」なんて井伊と忠勝に書
状を送っている。井伊たちもこの時点ではそれでいいと思ってたはず。
11日になると急に「すぐに上洛しろと内府から命令されたので急がないと」と書状を出
していて、背後に真田を抱えたまま、山道を越えて関ヶ原に間に合うのは相当きついだろうな。
- 187 :人間七七四年:2009/10/04(日) 17:11:39 ID:GkoqIPDw
- >>186
そうですね
で、予定変更しようと29日に書状を送っている訳です。
常識的に2・3日で到着するはずで、その場合、秀忠は9月1日に軽井沢、2日に小諸に着く
上田に着くのは5日だから本来なら十分に間に合う
実際は10日に小諸を発した秀忠が大津に到着したのが20日だから、家康と同日に赤坂に
到着すると思われる
- 188 :人間七七四年:2009/10/04(日) 20:04:49 ID:+awCg6gB
- 結局 強い力(家康)の前には義理も恩も血縁も関係なくなるってことだ
誰だって死にたくないしな、しょーがない
- 189 :人間七七四年:2009/10/04(日) 20:18:21 ID:WSLwasTu
- 誰も秀吉に逆らえなかったようにね
- 190 :人間七七四年:2009/10/05(月) 00:31:44 ID:FSSz/6e7
- >>173
そんなバチあたりなw
- 191 :人間七七四年:2009/10/05(月) 00:51:33 ID:glhog0nY
- >>177
西軍は長島城で敗れてなんかいない
- 192 :人間七七四年:2009/10/05(月) 02:07:16 ID:2PRGLuHV
- 家康から秀忠に出した使者は川止めで遅れたというけれど、
江戸から小諸までの間に川止めになるような大きな河川ってあるの?
- 193 :人間七七四年:2009/10/05(月) 04:00:33 ID:glhog0nY
- >>192
ない
だからこそこれは関ヶ原最大の謎と言われている
- 194 :人間七七四年:2009/10/05(月) 09:23:58 ID:1AQB1If1
- >>192
利根川、より正確に言うと烏川
- 195 :人間七七四年:2009/10/05(月) 09:49:47 ID:bCIIuGC0
- 川止めのロスが無いのが中山道のメリットのはずでは・・
- 196 :人間七七四年:2009/10/05(月) 09:55:24 ID:1AQB1If1
- 少なくはなるが皆無ではない
- 197 :人間七七四年:2009/10/05(月) 15:20:03 ID:FN4JuDJ9
- 川止めにあった地点は具体的にはどのあたり?
- 198 :人間七七四年:2009/10/05(月) 15:58:33 ID:LATUOwTJ
- 小諸
- 199 :人間七七四年:2009/10/05(月) 17:33:13 ID:1AQB1If1
- >>197
史料には利根川(俺の文章力ではちと怪しいが)とのみある
中山道の経路を考えれば、おそらく埼玉・群馬県境の利根川水系の烏川
他にも近くの神流川や高崎でもう一度、烏川を渡る必要がある
因みに当時は荒川も利根川水系で、熊谷辺りで中山道も横切っているので
そこも考えられる
- 200 :人間七七四年:2009/10/05(月) 18:13:22 ID:jjS2meIp
- 使者には、秀忠を蹴落としたい井伊直政の息がかかってたんじゃないか
- 201 :人間七七四年:2009/10/05(月) 18:31:25 ID:1AQB1If1
- 使者は大久保忠益という名の大久保一族だからそれは無いね
- 202 :人間七七四年:2009/10/05(月) 19:11:48 ID:gV1NtmSO
- 上田城攻めをやろうとしてるんだろう秀忠隊は。
だったら、なんで甲斐路を使わないんだよ。
至急かつ確実に伝達が求められる重要指令内容だろう。
少なくとも中山道と甲斐路の双方から使者を派遣すべきところじゃないのか。
- 203 :人間七七四年:2009/10/05(月) 20:12:54 ID:1AQB1If1
- >>202
甲州経由は峠道が連続し、整備も悪い。ついでに味方とはいえ浅野氏の領地
それなら平坦地で比較的整備されており、自領内の中山道経由が最上
後、そう何回も使者を出すのは情報漏洩の恐れが大きい
使者に出す人材も無尽蔵ではないし
- 204 :人間七七四年:2009/10/05(月) 22:18:38 ID:saD1ev2t
- 使者の人材がおらんて、アホか。
本当ならもっとアホやろがw
- 205 :人間七七四年:2009/10/05(月) 22:33:52 ID:1AQB1If1
- >>204
数千石クラスで、馬術や身体が頑強で物覚えが良く、向かった先で
状況に変化があった場合に柔軟に対処できる人材がどれだけいたかと
おまけに家康は常日頃から、各方面に対して書状を発しているのに
- 206 :人間七七四年:2009/10/06(火) 04:09:22 ID:KOE0NYLv
- >>205
>状況に変化があった場合に柔軟に対処できる
川止めで4〜5日はつぶしているはずだのに、何もしてないようだが・・
最低限、家康に川止め不通を通報すべきだのに、それもやってない。
- 207 :人間七七四年:2009/10/06(火) 08:19:18 ID:c8vOLW9A
- >>206
さあ、忠益にそれだけのアドリブに欠けたかそれとも別の理由があるのか
烏川で引っかかり、連絡取ろうとしたら荒川もダメで身動きとれなかったとか
- 208 :人間七七四年:2009/10/06(火) 08:19:48 ID:5l9K8Zqj
- そんなのしか出せないほど枯渇してたって事じゃない?
- 209 :人間七七四年:2009/10/06(火) 09:12:42 ID:c8vOLW9A
- >>208
うんにゃ、8月23日に宇都宮にいる秀忠に信州出陣を伝えたのも大久保忠益
秀忠との連絡は彼が担当だったようで
大久保忠隣が秀忠の傅役だから妥当な人選かと
- 210 :人間七七四年:2009/10/06(火) 11:13:36 ID:YCQ7ef3c
- 戦国時代の使者の困難さについてまるで理解してない人間がいるな。
基本命がけの使命だというのに。
- 211 :人間七七四年:2009/10/06(火) 11:14:17 ID:EwNvgGQw
- だとしたら秀忠悪くないね
悪いのは大久保忠益じゃん
なのに家康は秀忠に怒って会おうとしなかったんだね
秀忠もちゃんと説明したんでしょ
家康ってアホだね
- 212 :人間七七四年:2009/10/06(火) 11:54:12 ID:1M6Cb7Ct
- >>210
家康のことを言ってるんだなw
- 213 :人間七七四年:2009/10/06(火) 12:13:38 ID:c8vOLW9A
- >>211
あの人、基本的に熱くなる人ですから
訳も聞かずに追い出したんでしょう
でも、同時に直ぐに冷静になる人でもあるので
改めて事情を聴いて納得
そんなとこかと
後、忠益も悪くないと判断したようで
特に処罰は受けていない
- 214 :人間七七四年:2009/10/06(火) 12:18:19 ID:44PNh/LV
- >>212
つまりそんな馬鹿な家康に完膚なきまでに負けた三成の事を嘲笑しているのですね、わかります。
- 215 :人間七七四年:2009/10/06(火) 12:37:45 ID:PX/yqGl9
- >>207
大久保忠益は川止めが解除されて動けるようになっても、
家康に対して連絡大幅遅延のことを報告することもしていない。
- 216 :人間七七四年:2009/10/06(火) 16:04:46 ID:c8vOLW9A
- >>215
そんな情報を誰にどうやって伝えればよいんでしょうか?
まぁ、彼個人の精神状態にも影響があったんでしょうが、そんな余裕無くなっていたでしょうな
- 217 :人間七七四年:2009/10/06(火) 20:53:06 ID:htscPCIX
- 秀忠に対する面会拒否の家康を改心させたのは榊原康政の働きによるもの。
康政は面会拒絶する家康に詰め寄り、
「父親が子供を出し抜いて何とする」と強意見を敢行したことによって、
家康ははじめて自分の方に落ち度のあることを悟ったのだ。
- 218 :人間七七四年:2009/10/08(木) 08:30:53 ID:89EHnVuH
- 固まってしまった・・
- 219 :人間七七四年:2009/10/08(木) 10:33:26 ID:XYjang4R
- 小林真一っていう人が関ヶ原合戦の本を出しているけど
読まれた方はいますか?
- 220 :人間七七四年:2009/10/09(金) 18:51:17 ID:56pnBWu3
- >>219
小林真一乙
- 221 :人間七七四年:2009/10/09(金) 19:15:08 ID:WN0eMudG
- 関ヶ原に関するどんな小説よりも、「関ヶ原軍記大成」のほうが面白いな。
今少しずつ読み進めているが、本当に中身が濃い。
- 222 :人間七七四年:2009/10/09(金) 19:53:48 ID:g14NYBLv
- 自慢になるけど、それを含めた国史叢書をデジタル化してほしいと申請したのは自分だったりする
いやぁ、申請してみるもんだなと思った
- 223 :人間七七四年:2009/10/09(金) 22:25:18 ID:WN0eMudG
- >>222
大いに感謝する
- 224 :人間七七四年:2009/10/09(金) 22:48:59 ID:kqhGMWRt
- 俺は九州の関ヶ原にワクワクするね
御大将が自家の有力家臣を引き連れていったあとの
留守居役の動向なんか面白そう
関ヶ原本戦でいったいどっちに付いているのか
リアルタイムでは判らないからね
- 225 :人間七七四年:2009/10/10(土) 01:03:22 ID:F7ULh//y
- 目立ったところは黒田と大友の喧嘩ぐらいで
あとはぼんやりしてたんじゃなかろうか
よくいろんな本で見る程度のことしかなかったんでは
九州は関ヶ原で決着がついてからのドタバタの方が面白い
- 226 :人間七七四年:2009/10/10(土) 02:47:10 ID:zLIQyYsf
- スレタイ無視すると、秀長が死ななければ
もう少し豊臣政権も・・・
・・・無視しすぎだな
- 227 :人間七七四年:2009/10/10(土) 03:36:18 ID:REMfo+AE
- 関ヶ原軍記大成を現代語に翻訳して出版してくれないかな
ゆとり世代には外国語にしか見えんのよ
- 228 :人間七七四年:2009/10/10(土) 03:59:16 ID:7eSXqnHG
- 関ヶ原軍記大成が理解できないって言うのは、古文以前に国語からやり直したほうがいいぞ。
普通に読めるだろあんなの。
- 229 :人間七七四年:2009/10/10(土) 07:00:19 ID:vllOsslL
- >>228
釣りのつもりか。
関ヶ原軍記大成
なんてアマゾン検索しても出てこない。
- 230 :人間七七四年:2009/10/10(土) 09:20:43 ID:Khd62MOe
- 荒れるから>>229はスルーしような。
- 231 :人間七七四年:2009/10/10(土) 10:53:28 ID:MSpn4LbV
- .
- 232 :人間七七四年:2009/10/10(土) 17:45:24 ID:REMfo+AE
- DVDの字幕スーパーを嫌がって日本語吹き替え版を望む人が多いのといっしょの理屈ですよ
すんなり読めるように関ヶ原軍記大成は現代語に翻訳して出して欲しいんですよ
そうすればもっと読者が増えると思いますよ
- 233 :人間七七四年:2009/10/10(土) 17:52:30 ID:RQn3eMgQ
- それは贅沢な話と言うもの
というよりそれをやるなら最近ハードカバー版が出た徳間書店版「日本戦史」みたいに
新規出版という形になるでしょう、誰か企画をどこかに持ち込んでみれば?
- 234 :人間七七四年:2009/10/10(土) 18:30:47 ID:Khd62MOe
- 素人の俺が翻訳して出版社に持ち込んだら、取り合ってくれるかな?
- 235 :人間七七四年:2009/10/10(土) 19:53:43 ID:RQn3eMgQ
- プレゼンテーション次第としか言い様がない
- 236 :人間七七四年:2009/10/11(日) 03:18:05 ID:VaO1Gs4/
- 現代語翻訳賛成
関ヶ原軍記大成だけじゃなく日本戦史とかも
小説みたいにすいすい読めると時間の節約にもなるし
- 237 :人間七七四年:2009/10/11(日) 03:19:46 ID:aj5rGCWv
- 自費出版でも元取れそうだな
歴女ブームで
- 238 :人間七七四年:2009/10/11(日) 06:28:43 ID:bczXk6MY
- どの程度の図書館にありますか?
- 239 :人間七七四年:2009/10/11(日) 08:54:12 ID:aHm++ahi
- >>236
日本戦史は徳間書店が昔、文庫で出して
最近、関原の役をハードカバーで再販したよ
現代語訳
- 240 :人間七七四年:2009/10/11(日) 08:55:33 ID:aHm++ahi
- >>238
関原軍記大成なら
近代デジタルライブラリーで閲覧できる
- 241 :人間七七四年:2009/10/11(日) 10:11:21 ID:Tf2guOt4
- 関原軍記大成はヘタに現代語訳化すると、その文章に含まれている多様な意味合いが
ザックリ削られて、スッカスカな時系列だけの文章になってしまう気がする。
- 242 :人間七七四年:2009/10/11(日) 11:03:15 ID:qnrqjNWQ
- >>240
ありがとう
- 243 :人間七七四年:2009/10/11(日) 11:42:36 ID:qnrqjNWQ
- http://kindai.ndl.go.jp/
Internet Explorer ではこのページは表示できません
http://www.ndl.go.jp/jp/data/endl.html
こっちはつながった
- 244 :人間七七四年:2009/10/11(日) 12:13:14 ID:aHm++ahi
- メンテナンスかアクセス過多にでもなったかな
昨日の段階では使えたし
- 245 :人間七七四年:2009/10/13(火) 00:24:36 ID:3kiby+w+
- 日本戦史関原の役の再販版ぼったくりだな
\620から2,730円に値上げはないわ
徳間書店あこぎすぎ
- 246 :人間七七四年:2009/10/13(火) 00:42:06 ID:3kiby+w+
- それに昔のは436ページもあったのに
再販版は404ページしかないぞ
カットしてるのか?
- 247 :人間七七四年:2009/10/17(土) 15:03:33 ID:f7dwdzHe
- 保守
- 248 :人間七七四年:2009/10/17(土) 15:14:15 ID:Bi2dYW9K
- 福島正則が猛将だと言ってる人は福島正成あたりと勘違いしてるとか
- 249 :人間七七四年:2009/10/17(土) 17:04:14 ID:O4UqEw7B
- >>243
最近異常に重い
- 250 :人間七七四年:2009/10/17(土) 19:37:12 ID:wNXWV1H3
- 賤ヶ岳の戦いも凄いよ
羽柴軍5万 vs 柴田軍3万
- 251 :人間七七四年:2009/10/18(日) 02:32:51 ID:9CQf0DBR
- 徳間書店!2730円でもいいから関原軍記大成を現代語訳化してくれ!
- 252 :人間七七四年:2009/10/21(水) 18:11:01 ID:mGBz/sqr
-
- 253 :人間七七四年:2009/10/21(水) 19:08:52 ID:ICcmpthP
- 関ヶ原の戦いの前に、さわやま城にいる石田家の家族を大坂城に避難させるのは無理か?
三奉行がしっかりしていたらできると思う。
それができたら、輝元にも影響力を行使できたのではないでしょうか。
- 254 :人間七七四年:2009/10/21(水) 19:09:38 ID:/KTFu7F6
- 城主の家族がみんな逃げ出してたら佐和山城城兵はたまんないだろうな
- 255 :人間七七四年:2009/10/21(水) 19:54:06 ID:16+ulZD6
- 城主家族が逃げ出したら、それこそ謀反が起こって城乗っ取られても不思議じゃないな。
- 256 :人間七七四年:2009/10/21(水) 20:01:41 ID:IyBOxrcP
- >>253
端から負け前提で考えてるような奴が指揮ってちゃあ、史実以上に悲惨な結果だったろうな。
そもそも石田の家族如きが大坂城に入ったところで何の影響力も持たんよ。
- 257 :人間七七四年:2009/10/21(水) 20:18:04 ID:JeLMmvcL
- 家族といえば
ガラシャを殺してしまったのも三成の失態の1つ
- 258 :人間七七四年:2009/10/21(水) 20:21:15 ID:/KTFu7F6
- でも参加諸将の人質を取るってのは当時では常識だったんだけどな
- 259 :人間七七四年:2009/10/21(水) 20:27:43 ID:16+ulZD6
- 想像以上に大きな影響を与えた感じはするな。ガラシャ自刃は。
個人的な見解からすると、これが西軍最初の躓きで、これ以降不のスパイラルまっしぐらな感じ。
- 260 :人間七七四年:2009/10/21(水) 20:52:20 ID:IsPAGCU+
- 家康が勝てたのは細川のおかげだよな
田辺で1万5千の西軍を釘漬けにしたから関ヶ原で勝てた
家康は細川に頭が上がらないはずだぜ
- 261 :人間七七四年:2009/10/21(水) 20:56:36 ID:16+ulZD6
- >>260
田辺城籠城戦は当時相当評判悪かったらしいよ。
戦いぬかずに開城した事で、「幽斎殿は武士ではない。所詮歌詠み」って感じで
散々馬鹿にされて、幽斎も恥ずかしくて人前に出なくなったそうな。
あの戦が評価されるようになったのは戦後になってからだな。
- 262 :人間七七四年:2009/10/21(水) 21:39:24 ID:JeLMmvcL
- >>258
敵の人質はそうではないだろう
死を選択される危険はあったわけだし
もしもそうなったらその大名家は恨みをより強く持つし
そして実際そうなってしまったわけで
一応味方の家族なら担保としての意味はあるが
- 263 :人間七七四年:2009/10/21(水) 21:43:27 ID:2T3cMW4b
- 人質は使ってはいけない切り札ですから
- 264 :人間七七四年:2009/10/21(水) 21:44:21 ID:JeLMmvcL
- 幽斎の一件はドラマの山場の1つに出来るけど何かでやったのかな
立花宗茂が京極のところで手間取ってたのもなんだかなあ
でもこれを考えると、秀忠の大軍が真田のところで・・・ともなるし
- 265 :人間七七四年:2009/10/21(水) 21:52:58 ID:2T3cMW4b
- 流動する状況と敵味方さだかならぬ諸将
当初の思惑とは大きく異なる中、もっともそれに対応した行動をし、
主導権を握ったものが勝利したのが関ヶ原の戦い
- 266 :人間七七四年:2009/10/21(水) 22:20:45 ID:JeLMmvcL
- 人質を殺してしまって逆効果になったのは
竜造寺が転落するきっかけの1つにもなったのを思い出す
- 267 :人間七七四年:2009/10/21(水) 23:48:01 ID:+HQkx80n
- 上杉の動きが謎過ぎる。直江と三成の密約もなかったとの話だし
何がしたかったんだろう?
- 268 :人間七七四年:2009/10/21(水) 23:55:39 ID:GtOvlpcr
- >>267
単に弁明したら家康が強引に攻めてきた。
軍備増強などは家康と戦うためではなく、新領地の防衛と整備のため。
平和憲法があるわけじゃないので、移転先に何の防衛施設も建てないでいられるはずがない。
- 269 :人間七七四年:2009/10/22(木) 00:04:19 ID:vJVe2Yzv
- もっと解りやすく言えば、あの当時既に、「徳川家康政権」と言うものは成立していた。
上杉も、「徳川家康政権」と言うものに服従するかどうかを迫られた、と言うこと。
景勝はそれを拒絶したので、政権担当者である家康は、その威信を保つためにも
上杉征伐が必要だった。
と言う事。
- 270 :人間七七四年:2009/10/22(木) 01:01:02 ID:bt4CwJir
- 三成の家族を大坂城に入れたら城兵は関ヶ原に動員できるし、佐和山城方面への防衛ラインは不要になり
西軍は京大坂方面への後退戦術を取れるのではないかな?
それができれば、半日で総崩れ壊走もなかったのではないか。
- 271 :人間七七四年:2009/10/22(木) 01:12:29 ID:Jj0MvakW
- 後退戦術も何も、初手からそんな逃げ腰じゃ西軍についた諸将が不安がって付いてこないだろ
西上した東軍兵力より上回る兵力を動員出来てるわけだし
小早川みたいな完全に西軍の指揮下に入ってる動きをしない怪しいのや
無理矢理西軍に組み込んだ赤座等の連中もいるけども
- 272 :人間七七四年:2009/10/22(木) 03:20:40 ID:I7RZ39iu
- >>268-269
それはわかるんだが、なぜ勝ち目の無い戦いを始めたのかがわからない
>上杉も、「徳川家康政権」と言うものに服従するかどうかを迫られた
この時に負けるとわかっていても、服従を是としなかったのかな?
一応自分は、直江と三成の密約がなかったという説を支持しているんだが
密約が無くても、家康派・反家康派で天下が割れて戦乱状態になる見込みでもあったのかな?
どうもその点が腑に落ちない
- 273 :人間七七四年:2009/10/22(木) 06:21:17 ID:0dUHtHxD
- 会津討伐は、今では上杉が喧嘩を売ったような感じで語られることが多いけど
実際は家康の陰謀っていうのが大きいんじゃない?
新年に上杉が上洛しないことが謀反の噂をうんだといわれてるけど、
上洛しないで領国の経営に専念するように言ってたのは家康もじゃん。
謀反の噂で詰問使の派遣も検討されていたという頃、秀忠は上杉に書状出してるけど、
そんなことみじんも感じさせない内容だよ。新城の建設ももっともなことって言ってるし。
直江状出したあとも、防衛体制を強化することもしてない。
討伐が決定的になった六月から、大慌てで白河城の補修も行ってる。
上杉の正史である御年譜は、例の秀忠書状を慶長5年じゃなく景勝が会津帰国時のことにして、
しかも帰国の日にちを改竄してるとある研究者の人が指摘してたと思う。
史実通りに書くと、家康の陰謀というかいちゃもんが明白になるので、
徳川に憚って改竄されたのだろうと推論されていた。
御年譜が編集された当時の藩主綱憲は景勝の曾孫とはいえ、徳川の家来筋からの養子だしね。
景勝は三成襲撃事件の際、毛利とともに事態の解決を図ったと言われてるし、
佐竹や毛利が三成と通じ、表面では家康に従いながら内心は反発しているのは
知ってたとは思うけどね。
なにかあるかもと期待はしてたと思うけど、兼続は家康が江戸に帰ってから
ようやく家康の小山からの反転を知るなど、三成挙兵計画自体は具体的には知らなかったぽい。
まあ、会津討伐時と関ヶ原後、反家康陣営が壊滅された状態とは状況は違うと思うね。
- 274 :人間七七四年:2009/10/22(木) 08:52:08 ID:fF7Xfede
- いわゆる密約説というのは直江状以前からのもので、それは否定されてる
けど、直江状後には三成と連絡を取り合っているのは間違いない。
三成挙兵の動きを知っていた可能性は高く、直江が白河方面で本当に
戦になるか疑っている様子もある。
豊臣政権では東国取次を家康と景勝に任せたように、両者は利害で
対立しているので、家康の浮上は上杉には致命的。前田や表面上
服従した毛利のように「はい、そうですか」と屈服はできない。
言い掛かりに屈することができない家風もあるんだろうけど。
- 275 :人間七七四年:2009/10/22(木) 10:45:26 ID:W66Hu/lu
- >>273
本当に攻めてくるとは思わなかったかもしれない
挑発しつつも家康の譲歩を狙うつもりだったのではないだろうか
ましてや家康はようやく政権の実権を握り、足固めをする重要な時期
そのような状態で、畿内から離れるとは考えらず、仮に攻めてきても
東北や関東の兵を動員する程度と高をくくったのかもしれない
つまり、第一次上田合戦みたいに家康が動けない状態での勝利は
考えていたが、そうでない事態は想定外だったかと
- 276 :人間七七四年:2009/10/22(木) 11:49:56 ID:EeLjYtvW
- 秀吉の死で混沌とした政治情勢で、偶発的な事態も起っているから
後の世から見て、合理的な解説では説明が付かないことも多くあるな
- 277 :人間七七四年:2009/10/22(木) 13:07:26 ID:408gbe8K
- >>275
ほぼ同意。上杉は徳川が本当に軍事行動をするとは予想しなかったんじゃないかな。
そこまでやるとさすがに徳川のほうが孤立するだろうし、実際に孤立して窮地に陥っている。
だから強気な態度に出て恫喝的な態度を牽制したと思う。
あとは現在まだ確認されていない事実や史料が出ないことには何もいえないかも。
気になるのは当時、徳川は上杉とどの程度の関係にあったのかということ。
何か決め手となる史料の発掘や研究の報告を待ちたいところです。
>>276
それも考慮しないと何も見えないだろうね。
三成襲撃事件に大掛かりな政治的作為があるとは思えないし。
- 278 :人間七七四年:2009/10/22(木) 13:56:15 ID:vJVe2Yzv
- >>272
> それはわかるんだが、なぜ勝ち目の無い戦いを始めたのかがわからない
簡単に言えば会津征伐の時の景勝は、関東征伐の時の北条と同じ立場。
関ヶ原は例えば、秀吉が北条征伐のため関東に行っている間に、例えば蒲生氏郷あたりが
反乱を起こしたもの、だと考えるといい。
- 279 :人間七七四年:2009/10/22(木) 14:08:38 ID:408gbe8K
- ここだと関ヶ原前夜の上杉家の態度というか直江状の真意は三説あるのかな。
・石田三成らとの密謀で徳川を誘い入れた「挟撃説」
・徳川の態度に腹を据えかねて単独で武門の意地を見せるため宣戦布告した「独立説」
・上杉が徳川の暴走を想定していなかった「弁明説」
- 280 :人間七七四年:2009/10/22(木) 14:11:13 ID:W66Hu/lu
- >>279
「弁明」でなく「ブラフ」
- 281 :人間七七四年:2009/10/22(木) 14:29:46 ID:408gbe8K
- 政治的作為などなくて、本当に「直江の弁明に家康が激怒したから戦争になった」
なのかも知れないな。だとしたら直江も家康も短気すぎる。
- 282 :人間七七四年:2009/10/22(木) 15:50:05 ID:EeLjYtvW
- 直江状というのは真贋論争ではかなり疑わしいという話だけど
- 283 :人間七七四年:2009/10/22(木) 15:51:05 ID:B2m9sV7w
- ただ直江の出した書状で家康がキレたってのは史実だしなぁ
- 284 :人間七七四年:2009/10/22(木) 16:02:30 ID:EeLjYtvW
- 書状で家康がキレた事自体がフィクションなんじゃないかな
上杉家の藤田信吉が出奔して江戸に走ったり、上杉領周辺の大名からの謀反の報告があった時点で
最大限に政治的に利用しようとしている
- 285 :人間七七四年:2009/10/22(木) 16:14:35 ID:oykTXwwP
- 直江状の真贋が論じられてるのは内容であって
当時直江から家康に向けた返書があったのは事実
家康が怒ったか、これで上杉討伐の口実ができたと喜んだかどうかは家康自身しか知らん
- 286 :人間七七四年:2009/10/22(木) 17:51:30 ID:vJVe2Yzv
- 政権に座に着いた家康の、上洛要請に逆らった時点で、誰が考えたって合戦になる。
景勝や兼続がそれを受けて立っちゃったのは、家康の指導力を見誤っただけだろうな。
まさに関東征伐直前の北条と一緒。
- 287 :人間七七四年:2009/10/22(木) 17:56:41 ID:W66Hu/lu
- 家康が畿内から離れて、東北に来るとは思わなかったんでしょう
家康は決断したならば、相当に無茶苦茶やらかしますから
- 288 :人間七七四年:2009/10/22(木) 18:24:59 ID:YsU/1tG3
- 家康は短気だよ
でもそれを抑えるすべも心得てる
直江に対してドカーンと爆発したのも家康で
でもそれを次はいかにして用意周到に叩くかを冷静に計算するのも家康
- 289 :人間七七四年:2009/10/22(木) 18:39:08 ID:fEW6Wdl8
- 長束、前田玄、増田(5月7日)
「直江は田舎者で不調法だから内府殿がキレるのももっともです。
田舎者だからあんな無礼を・・・」
- 290 :人間七七四年:2009/10/22(木) 19:57:25 ID:W66Hu/lu
- 景勝や直江は家康がそういう無茶をする人物だったということを知らなかったのかな
天正壬午の乱とか小牧・長久手とか結構例があるのに
- 291 :人間七七四年:2009/10/22(木) 20:08:04 ID:lSs+4zVH
- 前田死んだ直後に大老中心とした大名に帰国するように勧めたのが家康。
で、その直後に帰国した前田が大阪で謀反発覚とか、領地整備しているのに上杉が謀反準備した
と解釈されたという状態。そもそも、前田は釈明する前に軍評定開いている家康さん。
俺的に流れは、武断派の愉快な仲間(概ね家康の婿)と家康が下手な政治コントしている様にしか見えない状態。
そりゃ、三成も兵の一つや二つも上げたくなるわな。
ちなみに毛利は俺の中では、TERUが家康のコントに感動してオレもオレもと間違った戦国武将の血が騒いだ感じ。
- 292 :人間七七四年:2009/10/22(木) 20:27:05 ID:oykTXwwP
- 上杉は前田のように家康に屈服するか
家康に対して挙兵するかの二択しかなかったしな
ほかの大名にしても前田、上杉と難癖つけられてる状況見れば上杉の次は〜みたいに危機感覚えるんじゃ
だからこそ家康に臣従できない三成の挙兵のタイミングは各個撃破される前の状況の上杉征伐状しかないだろうし
- 293 :人間七七四年:2009/10/22(木) 22:01:51 ID:/e3Yf/oF
- >>286
やっぱりそう考えるしか説明がつかないんだよな
石田三成と事前に打ち合わせがあったという説はドラマチックで面白いが
- 294 :人間七七四年:2009/10/22(木) 22:11:32 ID:W66Hu/lu
- あったとしても当時の通信手段で畿内と東北を連動できるとも思えないけどね
家康が江戸にいたのも双方に対応できるからで、それも兵力だけでなく連絡という面もあるかと
- 295 :人間七七四年:2009/10/23(金) 00:21:23 ID:sD4ttoQA
- 西軍から東軍に寝返った小早川秀秋よりも
西軍を貫いた宇喜多秀家の方が
ある意味戦後は、幸せだったのではないか?と思う。
小早川の方は、備前に赴任後、領民や家臣に背かれ、早死にした。
一方、宇喜多の方は、所領を失ったとはいえ、八丈島で穏やかに過ごし、
後50年生き長らえた。
- 296 :人間七七四年:2009/10/23(金) 00:24:34 ID:YPabc/3b
-
> 宇喜多秀家の余生において、遭遇したと思しき災害の数々。
>
> 1604年12月 西国で地震発生。津波が八丈島を襲い、人家ことごとく流失。死者五十余。
> 1605年9月 八丈島噴火。田畑に多大な損害。
> 同年11月 火山活動収まらず、再度噴火。
> 同年12月 三度大噴火。一夜にして大山が出現する。
> 1642年3月 三宅島噴火。
> 1643年2月 三宅島雄山噴火。溶岩で村が焼失。
> 1652年3月 青ヶ島噴火。
>
> このほか、八丈島にも関係しそうな地震、暴風雨も毎年のように記録が残っている
> 天寿をまっとうできた秀家は結構ラッキーだったのかもしれない
- 297 :人間七七四年:2009/10/23(金) 01:13:22 ID:LVBCVqrp
-
結局、本能寺の変後の戻った世界で、豊臣政権が偶然だったに過ぎないんだね。
最後は長生きした家康の天下になっただけか。
- 298 :人間七七四年:2009/10/23(金) 01:17:14 ID:6xynism/
- 日本語でおk
- 299 :人間七七四年:2009/10/23(金) 01:44:54 ID:kV+bkcTd
- 長生きも何も50代でほぼ天下取ってるからな
江戸時代は短命になるだろうが
戦後処理終わってすぐ死んでも徳川の天下だろ
開幕と秀忠に将軍職ゆずればさらにいい
それなら60ちょいか
飯もろくに食えん平民や、戦関連で死んだ人除けば普通
確かに秀吉の天下はほとんど運だが
運も才能のうち
農民だろうが使ってやれば使える奴なんて
秀吉自身が取り立てた連中の中にごろごろいるし
強行軍でへろへろになろうが
戻りさえすれば
畿内の戦力を主力として戦えるチャンスがあったのは
一番近い秀吉だけだった
でも運なんていったら信長だって相当だし
それが普通
- 300 :人間七七四年:2009/10/23(金) 02:23:05 ID:YPabc/3b
- そもそも運が無い武将には、天下人どころか、歴史に名を残す事すらできない。
- 301 :人間七七四年:2009/10/23(金) 02:32:21 ID:TFWYlhu7
- >>296
三宅島とか青ヶ島って関係ないよね
- 302 :人間七七四年:2009/10/23(金) 02:46:34 ID:DuAQ3Cu9
- 謙信は10万人(旧上杉家家臣団)を率いたことがある
もしも越後から関東に拠点を移してれば、関東は上杉謙信の所領となったであろう
武田や今川とは同盟を結ぶ
- 303 :人間七七四年:2009/10/23(金) 02:55:01 ID:EiEy9xKs
- よく信玄は謙信がいなければ天下を取れてたとか言うけど
謙信も信玄さえいなければ何処まで伸びたかわからんな
ただ本人に何処まで個人的に立身しようとしていたのかわからんが
戦国屈指のライバル同士だ
- 304 :人間七七四年:2009/10/23(金) 02:57:13 ID:YPabc/3b
- >>301
距離を見ろ。関係ないわけ無いだろ。
- 305 :人間七七四年:2009/10/23(金) 03:03:50 ID:yf3/tbkr
- >>284
通説では家康のいいがかりになっている上杉謀反だが
私はここであえて「上杉の謀反は事実であった」という大胆な説を唱えてみたい
藤田信吉と栗田国時出奔した時、兼続は追っ手を差し向けて栗田は殺害されてる
無実なら追っ手を差し向ける必要はないはず
上杉に恨みを持つ堀だけでなく戸沢政盛までも上杉に不穏な動きありと言っている
なぜ戸沢まで?
『越後風土記』に「上杉家徒封につき、領主交代頻繁に依り、各領民夫役に苦しむ
故に当国新古の領主協議して、当戊(慶長三年)の貢税半収と約定す、然るに兼続は三成と謀り
景勝を勧め、兵を挙げんとするが故に、新領主堀家・溝口家・村上家等と結約を破り
旧領主を督促し、貢税の全額を徴収して会津へ移る、」とある。
年貢米を持ち去ったのは直江兼続と石田三成の謀議によるものだという主張
なんらかの石田三成の力が働いていた?
三月十三日、上杉謙信の二十三回忌に上杉景勝は色部長門、甘粕備後、本荘越中守ら諸将を
会津若松に召集せり。四月、直江兼続は越後に密使を放ち
上杉恩顧の遺臣、柿崎三河守、丸田右京、長尾景近、斎藤利実、宇佐美、矢尾板、竹俣、神保らに越後での蜂起を命ず。
謙信公の遺骨を会津へ持って行かなかったのはこのためといふ。
「謙信公の墓を守れ」といふのが大義名分なり。武器を買い集め、砦を築き、新道を造り、前田慶次郎、上泉泰綱、小幡将監、山上道及らの浪人を雇い入れり。
砦、道を修復し、武器、米を買い集めるのは直江状の通りだとしても
前田慶次郎、上泉泰綱、小幡将監、山上道及の浪人を集めるのは
戦の準備としか思えない
さらに上杉遺民一揆について検証してみよう
兼続は身分の低い兵の内、智謀に富み、忠義のあるものを越後に浪人を装わせて潜入させ、寺社などに検地入を苦情の一つとして一揆を起こさせている
これは明らかに軍事行動である
後世の後知恵から家康が悪で上杉が善と思いこんでいるが
上杉の謀反が事実なら家康は正義ということになる
- 306 :人間七七四年:2009/10/23(金) 03:11:48 ID:S01Pa0QG
- 長い・・・
- 307 :人間七七四年:2009/10/23(金) 03:19:09 ID:t3C96d+h
- つか上杉の領地みりゃ軍備に入念になるのは分かるだろが
- 308 :人間七七四年:2009/10/23(金) 03:22:06 ID:EiEy9xKs
- >>305
まあ善とか正義とかは置いといて、その時の上杉は臭いよね
まあ俺は秀吉が死んで重石がなくなった時点で、日本中の大名達が
昔暴れまわっていた頃の血が蘇ってしまったと思ってる
- 309 :人間七七四年:2009/10/23(金) 03:33:59 ID:irw/QP3W
- 加増された新天地なんだから国境の整備、城砦の修復、軍備なんて当たり前
しかもその領地が飛び地な上に間に仇敵の最上がいるわ、最上と縁続きの伊達とも接してるわっていう
いつ紛争が起こってもおかしくない状況だし
- 310 :人間七七四年:2009/10/23(金) 08:48:45 ID:kkgEE4LO
- >>305
栗田刑部は殺害どころか出奔もしてないと最近研究者が指摘してるけど。
そうなると藤田の方も軍記の記述を疑わんといかんと思うけどな。
- 311 :人間七七四年:2009/10/23(金) 09:35:47 ID:Hv+3Yr5X
- 上杉が当時家康との戦闘準備をした形跡もないんだよな。
神指城は政庁機能に特化したつくりであり軍事拠点として築城されたのではない。
しかも直江状の後も国境付近に諸将を配置しようとしていない。
小田原北条は伊達との同盟しかなかったけれど、上杉は家康とその一派以外全員が味方なので、
無謀にも家康が攻めてくるとは思わなかったんじゃないか。
- 312 :人間七七四年:2009/10/23(金) 13:43:25 ID:P8s0LN6W
- 結局合理的な理由があって上洛の勧告を蹴ったわけではなく
家康の力と、当時の政治情勢を見誤ったというしかない
- 313 :人間七七四年:2009/10/23(金) 16:08:29 ID:12IstxeV
- なんかしょっちゅう墓穴を掘るけど、他力本願でなんとかなるというのが
景勝と兼次のコンビ
- 314 :人間七七四年:2009/10/23(金) 22:42:18 ID:S01Pa0QG
- >>313
墓穴掘りなら伊達政宗にお任せ!
- 315 :人間七七四年:2009/10/23(金) 22:45:42 ID:YPabc/3b
- 政宗は本当にやばくなる手前で手を引っ込めるが、上杉の場合本当に絶体絶命の
状況になってしまう印象。
- 316 :人間七七四年:2009/10/23(金) 22:55:12 ID:1GEybnTY
- 一度家康が征伐を決めて、奉行衆に止められて再度上洛を促したときでも
景勝は「讒言人の糾明がない場合は上洛しない」を通してるんだから、甘
く見たとかそういうのとも違うベクトルのような気もするがね。
- 317 :人間七七四年:2009/10/23(金) 23:31:46 ID:L0ACeSip
- 謙信って2度も上洛してるのは異例中の異例だけど、
義輝・義昭から関東管領どころか管領待遇(上杉の七免許)を受けてるにも関わらず、
官位は以外と低いんだよね
- 318 :人間七七四年:2009/10/23(金) 23:37:48 ID:YPabc/3b
- >>317
官位インフレ後の感覚で考えるとおかしくなる。京兆家ですら右京大夫だからね。
- 319 :人間七七四年:2009/10/24(土) 00:01:09 ID:mXc4BUba
- 山名宗全の従三位右衛門督って、娘婿の管領・細川勝元(従四位下右京大夫)より高いよね?
- 320 :人間七七四年:2009/10/24(土) 00:21:45 ID:g2PqHbIZ
- 室町時代は官位と幕府内の地位がリンクして無い。
官位を武家政権内の序列に使い始めたのが豊臣政権で、それを完成させたのが江戸幕府。
- 321 :人間七七四年:2009/10/24(土) 19:45:50 ID:F6PNjVeR
- >>271
不利な状況下であればこそ、その中で上を目指すなら戦略や忍耐が必要なのに、
「この一戦は捨てる、その代わり戦力を次の戦いに集中する、 」と言うような考え方を、
最初から負ける気で戦ってどうする!戦うなら全戦全勝を目指せ!といって全否定する。
この考えは威勢が良く、聞いていて気持ちが良いが極めて幼稚。
旧日本軍のバンザイ突撃と何ら変わらず、結果戦力に勝る相手にいいようにされ、負ける。
- 322 :人間七七四年:2009/10/24(土) 20:04:20 ID:IyYDo8TE
- >>321
別に三成の親族が大坂城に逃げ込んでも、毛ほどの影響を与えられない
意味のある後退は良いけど、意味のない後退はただの敗走
- 323 :人間七七四年:2009/10/24(土) 20:13:02 ID:Kxk+1Yey
- 個人的には最上が上杉を抑えてたから
あの大勝があったと思う
- 324 :人間七七四年:2009/10/24(土) 21:06:46 ID:g2PqHbIZ
- そもそも上杉に南下なんて無理なんだが。
- 325 :人間七七四年:2009/10/24(土) 21:07:38 ID:yY0YNB+T
- 最上と伊達相手にした後は結城秀康がいるからな
- 326 :人間七七四年:2009/10/24(土) 21:33:05 ID:ULD31AQU
- 上杉景勝も直江兼次も北条家の運命はその目で見てるはずなのに
- 327 :人間七七四年:2009/10/25(日) 00:21:56 ID:EoKHBd/x
- >>326
秀吉は最高権力者だが、家康は五大老として同格で、
せいぜいその首座だからいわば同僚。
「やんならやってやんよ」
って感じだったのかな?
- 328 :人間七七四年:2009/10/25(日) 01:14:09 ID:DRtFHGfq
- 北条のような惣無事違反もしてないし、具体的な謀反の証拠がないのに
攻めると言われてもポカーンって感じだったんじゃないのか?
領国仕置きの様子も家康や秀忠へ報告していたのに、出奔したやつや隣国
の大名が示し合わせたように謀反を申告。彼等の事情聴取を要求しても
拒否され、ただ期日までに上洛しろ。
これじゃ武門の家としては「はい、分かりました」とはいかないわな。
- 329 :人間七七四年:2009/10/25(日) 02:24:02 ID:oICP9TT8
- >>327
そんな甘い考えだったのなら景勝はとんでもなく無能だな。
まだ最後までいろいろな外交手段を駆使した北条のほうがまし。
- 330 :人間七七四年:2009/10/25(日) 03:39:34 ID:+ZMTjzhz
- どうにか三成ら西軍を2日もたす方法はないかな
2日もてば元康、秀包の旗が立って毛利軍も戦わざるをえなくなる
- 331 :人間七七四年:2009/10/25(日) 03:42:00 ID:ElrO/XM6
- 宗茂はいつごろ到着かね
- 332 :人間七七四年:2009/10/25(日) 03:42:50 ID:aYZ0iJp4
- あんな近距離で対峙していたら寝るわけにはいかないから、
徹夜で戦うと二日持たないだろう。
- 333 :人間七七四年:2009/10/25(日) 06:27:38 ID:PDQxdm/E
- 野外決戦」を挑んだのが誤り。
西軍は大垣城から出るべきではなかったわけだ。
そうすれば、必ず、長引く。
長引けば、必ず、毛利も戦わざるを得なくなる。
- 334 :人間七七四年:2009/10/25(日) 07:30:13 ID:9g5jzl89
- 輝元を引っ張りだせれば確実
- 335 :人間七七四年:2009/10/25(日) 09:40:26 ID:5m4kssJj
- >>333
大垣城で戦っても、野外決戦にしかならんだろ。
ゲーム脳には理解できんかもしれないが・・・
- 336 :人間七七四年:2009/10/25(日) 10:04:26 ID:CNgF67O0
- 小早川に松尾山を取られたんだから、そのまま大垣城に籠ってるのは危険。
- 337 :人間七七四年:2009/10/25(日) 11:09:12 ID:oICP9TT8
- 「長引かせればどうにかなる」という発想自体が、後世の後付知識からくる
シュミレーション思考。
- 338 :人間七七四年:2009/10/25(日) 11:19:26 ID:mF7g9ykT
- そもそも長引かせて大垣に引っ込んでいれば松尾山に籠る小早川が一応西軍にいる理由が無くなるし、北陸から戦意やら何やらはおいといて前田の軍が来る。
後は足止めされて遅参していた秀忠の軍が中山道から来るなあ。
西軍は小野木はともかくからきしやる気なしの田辺城包囲軍、寸前まで大津城の攻防をやっていた毛利元康、立花宗茂らか。
南宮山に拠る毛利秀元らは動けるもんかねぇ。
- 339 :人間七七四年:2009/10/25(日) 11:30:30 ID:oICP9TT8
- ぶっちゃけると
・岐阜城を手もなく陥落させられた事
・家康の動向さえ把握できず、何の対処も出来ないまま前線部隊と合流させた事
この二つで西軍は既に詰んだ。
大逆転の短期決戦を必要としたのはむしろ西軍。
- 340 :人間七七四年:2009/10/25(日) 14:16:46 ID:V2iJU3at
- つまり、西軍はじり貧を避けて、どか貧を選んだと。
- 341 :人間七七四年:2009/10/25(日) 14:36:22 ID:5CXNaq/1
- 三成だもんなあ・・・
- 342 :人間七七四年:2009/10/25(日) 21:25:57 ID:On6blIyC
- 立花宗茂が到着してれば文句なしに西軍勝利だろ。
一日の運命の違いだよな
- 343 :人間七七四年:2009/10/25(日) 21:40:50 ID:ORyjqrsj
- 田丸忠昌
- 344 :人間七七四年:2009/10/26(月) 07:10:46 ID:hjH4KGYO
- >>342
やはり、西軍は大垣城を出るべきではなかった。
- 345 :人間七七四年:2009/10/26(月) 07:21:42 ID:D+Js4jU6
- >>344
大垣組が秀秋と秀忠に挟まっているあいだに、大津組が各個撃破されてしまう。
- 346 :人間七七四年:2009/10/26(月) 09:09:51 ID:8lyxYJ2B
- >>342
秀忠が上田なんぞ切り捨ててさっさと関ヶ原に到着してたらそれこそ余裕で押し切ってたかも
これは一瞬の判断
- 347 :人間七七四年:2009/10/26(月) 09:29:32 ID:DY330rNB
- いや、当初は信州攻略が秀忠への命令だから。
のちに命令変更があって急いで上洛しろと言われたがあとの祭り。
- 348 :人間七七四年:2009/10/26(月) 09:57:58 ID:O7+fwWgl
- >>337
シ ュ ミ レ ー シ ョ ン
〜〜〜〜
- 349 :人間七七四年:2009/10/26(月) 10:09:13 ID:rT5oYqdK
- >>347
利根川の増水がなければ、遅くても小諸に着いた時に受け取れた筈なんですがね
- 350 :人間七七四年:2009/10/26(月) 18:52:38 ID:TM2ouDbT
- 義宣が動いてれば
- 351 :人間七七四年:2009/10/26(月) 18:58:11 ID:yYbdz/b2
- 秀忠隊が動かないだけかと
- 352 :人間七七四年:2009/10/26(月) 19:37:10 ID:zwp855Tw
- 西軍が大垣城を出なかったとして
秀忠到着で大垣包囲
近江の北で前田軍と大津城攻撃軍と田辺城攻撃軍とが睨みあい
その頃には輝元も出陣してくるでしょうから兵力差は余りない
遊兵化してる鍋島が清洲城強襲で東軍崩壊のシナリオが現実的のものとなり
奥羽では長谷堂城が陥落、最上滅亡
上杉、伊達、佐竹連合軍が関東侵攻
- 353 :人間七七四年:2009/10/26(月) 19:47:06 ID:yYbdz/b2
- 大垣城から出なかったら、南宮山の諸勢は調略され、小早川との共同攻撃で大谷は壊滅し、佐和山も落ち
一気に近江まで進出
核が大垣にいるままの西軍は崩壊し、以下は史実と同じ
- 354 :人間七七四年:2009/10/26(月) 20:12:21 ID:TM2ouDbT
- >>351
親父を完全無視で
小山評定自体無かった線は
- 355 :人間七七四年:2009/10/26(月) 20:30:56 ID:yYbdz/b2
- 当時の常陸は南は香取海に西は筑波山地に囲まれており、進撃路が限られるので
一軍を抑えに置いとけば問題ないかと
- 356 :人間七七四年:2009/10/26(月) 21:05:06 ID:TM2ouDbT
- >>355
佐竹は福島県棚倉町まで進軍してる
家康が那須、白河付近まできてりゃ
義宣景勝軍で・・・
- 357 :人間七七四年:2009/10/26(月) 21:25:19 ID:bmbD8juL
- 義宣ってそんなに動けたのか?
パパが親家康である以上、好意的に見ても若干上杉寄りの中立勢力でしか無いと思うけど。
- 358 :人間七七四年:2009/10/26(月) 21:27:35 ID:yYbdz/b2
- >>356
それは佐竹云々でなく、石田の挙兵時期の話
- 359 :人間七七四年:2009/10/26(月) 23:24:02 ID:LY/a0yRU
- >>352
鍋島も間違って西に入っちゃったタイプじゃなかった?
- 360 :人間七七四年:2009/10/26(月) 23:44:16 ID:YCp8c9fc
- >>357
徳川へ人質を差し出すのを断ってる時点で完全に西軍。
- 361 :人間七七四年:2009/10/27(火) 01:25:10 ID:uc2TaVPM
- 上杉勢は那須の
家康大好き伊王野資信、資重親子に
負けてるので話にならない
- 362 :人間七七四年:2009/10/27(火) 02:55:41 ID:tPhvgjnB
- 上杉は喧嘩するにしても徳川方を誘い込んで迎撃する態勢しかとってなかったんじゃ
景勝が止めたとはいえ、あのまま追いかけていっても勝てた見込みは?
徳川にしても負けての退却でもないし、それこそ通説どおり背後に居た最上・伊達が動くだろうし
- 363 :人間七七四年:2009/10/27(火) 18:06:45 ID:fun62CdR
- 上杉は西軍じゃないだろ 結果的に西軍になっただけで、実態は黒田官兵衛や伊達政宗と同じ 周辺への領土拡大が目的の第三勢力
三成等との共謀も徳川本体追撃もありえないだろ
- 364 :人間七七四年:2009/10/27(火) 20:21:12 ID:fun62CdR
- 演出wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
- 365 :人間七七四年:2009/10/27(火) 20:21:25 ID:fun62CdR
- すまん誤爆w
- 366 :人間七七四年:2009/10/27(火) 20:54:03 ID:/I1Mpm5I
- >>365
,..-─‐-..、
/.: : : : : : : .ヽ
R: : : :. : pq: :i}
|:.i} : : : :_{: :.レ′
ノr┴-<」: :j|
/:r仁ニ= ノ:.ノ|! _
/:/ = /: :/ }! |〕) コツン
{;ハ__,イ: :f | /´
/ }rヘ ├--r─y/
/ r'‐-| ├-┴〆 _, 、_ '⌒ ☆
仁二ニ_‐-イ | | ∩`Д´)
| l i 厂  ̄ニニ¬ ノ ⊂ノ <すまん誤爆w
,ゝ、 \ \ __厂`ヽ (__ ̄) )
/ /\_i⌒ト、_ ノrr- } し'し′
└-' ̄. | |_二二._」」__ノ
- 367 :人間七七四年:2009/10/27(火) 22:29:41 ID:2OFkm7yv
- >>363
上杉は反徳川というまとめられ方になるから徳川から見れば同じ
黒田は当主が長政だから親父がよほどやばいことをやらないかぎりセーフ
伊達はもう家康陣営にどっぷりでしょう
鍋島のドタバタの方がどっちつかずの状態を表してて面白い
- 368 :人間七七四年:2009/10/27(火) 22:42:00 ID:Slw3/f8W
- >>361
秀康は参戦してなかったのかな
近い所にいたよね
- 369 :人間七七四年:2009/10/27(火) 23:17:43 ID:9wxkBn9G
- >>361
芋川は最上攻めに加わるなど戦ったといわれる上杉軍の構成メンバーが、
最上や伊達方面にいたと思われる連中ばかりなので、伊王野の武勇譚を鵜呑みにはできない。
ただ、日光で一揆を起こすなどの調略を仕掛けているのでそういった中で戦闘が起こった可能性はある。
- 370 :人間七七四年:2009/10/28(水) 00:28:45 ID:L9nHioh7
- >>367
いくら反徳川でも、三成との共謀者ではない
追放された元奉行が「必ず上方で挙兵する」なんて保証も無い援軍を信じて徳川との戦いに挑んだというのは
考えられん ましてや戦国の雄、上杉がそんな軽率なことするとは思えん
やっぱり単独での領土拡大+大老同士の争いだ 領国での戦いなら120万石もあれば10万の大軍でもどうにかできる
だから徳川本体追撃なんてやるわけがない
- 371 :人間七七四年:2009/10/28(水) 01:20:57 ID:ZNqbX2Ds
- あげ
- 372 :人間七七四年:2009/10/28(水) 01:44:21 ID:ImERKClJ
- 勝手な領土拡大は秀吉が作った法律の違反じゃない?
- 373 :人間七七四年:2009/10/28(水) 01:47:18 ID:hIH6bGXV
- 直江状以降は三成と連絡取り合ってるしなぁ。。
結果的に西軍というのは同意だが、完全な単独の軍事行動というよりは
上方の騒乱も想定したうえでの行動とみるべきでは。
三成が家康と手切れし、城の守りを固めているとの情報(噂)も六月の段階で
手に入れている。
- 374 :人間七七四年:2009/10/28(水) 01:53:16 ID:AXRYcPCP
- 否定されてるのは事前の共謀であって、
上杉や佐竹が西軍と共闘してるのは書状なんかから明らかなんだけど。
- 375 :人間七七四年:2009/10/28(水) 02:03:25 ID:IlX4Tek6
- ただ、最初に共謀がなかったせいで、ろくな連携は取れていないがな。
- 376 :人間七七四年:2009/10/28(水) 02:12:15 ID:AXRYcPCP
- 公儀の中心だった家康を自分達が共謀して思い通りに動かすなんて、そりゃ無茶だろ。
それに近江と会津じゃ片道10日くらいかかるわけで、綿密な行動計画なんて取れるわきゃ無い。
- 377 :人間七七四年:2009/10/28(水) 03:02:36 ID:RUnHvUjx
- 関山の合戦は伊王野の自作自演かね?
大関、大田原、那須も現場も目撃してないんだよね
- 378 :人間七七四年:2009/10/28(水) 21:23:51 ID:L9nHioh7
- 上杉じゃないが、前田って人質見殺しにすれば普通に西軍つけるよな?
- 379 :人間七七四年:2009/10/28(水) 21:31:22 ID:GsPr2cN3
- >>378
つけるけど全くその意思が無い
- 380 :人間七七四年:2009/10/28(水) 21:32:03 ID:q6751c6r
- 利長は晩年も「死ぬ前に母に会いたい」とか言うし、利政も美人の妻
が大坂方の人質で東軍につけない奴だからなぁ。まぁ現代っ子だ。
- 381 :人間七七四年:2009/10/28(水) 21:52:20 ID:uI0QE42X
- つーか人質を簡単に見殺しにしてる例って実はかなり少ないんじゃない
- 382 :人間七七四年:2009/10/28(水) 21:55:11 ID:IlX4Tek6
- だいたい丹羽長重が大喜びで前田に攻撃してるんだから、今更西軍になれるわけが無い。
- 383 :人間七七四年:2009/10/28(水) 22:33:16 ID:Qha5iMcb
- 教えてチャンでゴメソ
東軍から西軍に寝返った人っていますか
(真田、佐竹とか黒田パパなど曖昧なの除いて)
- 384 :人間七七四年:2009/10/28(水) 22:44:05 ID:q6751c6r
- 会津征伐→内府違いの条々の間だったら結構いるんじゃないか。
まぁ、この間なら三成もいわゆる東軍っちゃあ東軍だった可能性もあるが。
- 385 :人間七七四年:2009/10/28(水) 22:44:46 ID:IlX4Tek6
- >>383
寝返ったとはいい難いが、織田信雄の嫡男の織田秀雄が、最初東軍だったのだが、
父親の信雄が三成の要請で西軍に属してしまったため、どうにも出来ずに結局西軍に属した、と言う例がある。
- 386 :人間七七四年:2009/10/28(水) 23:09:33 ID:L9nHioh7
- 信雄といえば一度は家康と共闘したやつか
もったいない・・・東軍について小牧長久手の継続戦争をしかければ織田100万石も夢じゃなかったのに
- 387 :人間七七四年:2009/10/28(水) 23:15:50 ID:3PxnAhT3
- 信雄じゃあ・・・
- 388 :人間七七四年:2009/10/28(水) 23:21:46 ID:IlX4Tek6
- ちなみに信雄は、三成から尾張、三河の領有と、手付金として黄金千枚、という条件を出されて
西軍に組したのだが、三成から送られて来た手付金が黄金ではなく銀千枚だったのを見て
見る見るやる気を失い、結局出陣すらすることなく関ヶ原を終えた。
息子の秀雄はそのとばっちりで、越前大野五万石を改易された。
- 389 :人間七七四年:2009/10/29(木) 00:14:47 ID:PIHbhFS/
- 秀信って信雄の息子だったっけ・・? 三法師って信忠の息子じゃなかった??
- 390 :人間七七四年:2009/10/29(木) 00:15:32 ID:PIHbhFS/
- すまん、秀雄か 間違えた
- 391 :人間七七四年:2009/10/29(木) 00:21:17 ID:DzCi7C+0
- >>383
あと、宮部長房が田中吉政にだまされて西軍に寝返っている
- 392 :人間七七四年:2009/10/29(木) 01:36:16 ID:psHT03qO
- >>383
お洒落に手間取った秀信・・
- 393 :人間七七四年:2009/10/29(木) 02:37:27 ID:ydKAbDmg
- >>388
三成は酷い奴だな。
信雄には尾張と三河を約束しておいて、秀信には尾張と美濃。
尾張が重複している。明らかに詐欺だ。
- 394 :人間七七四年:2009/10/29(木) 03:17:48 ID:fNSmQZzw
- 秀信は当初豊臣公儀の命令で会津討伐の準備をしていた訳で、東軍だった訳じゃない。
三成決起を知った後も、木造・百々は東軍へ付く事を進言するが、
二人を玄以の元に送って判断を仰ぐように命じ上洛させている間に
自ら佐和山に赴いて三成と会談し西軍参加を決めてしまった。
数少ないヤル気満々の西軍大名。
- 395 :人間七七四年:2009/10/29(木) 03:46:20 ID:8hVLac6t
- 兵と本人の経験がな……
- 396 :人間七七四年:2009/10/29(木) 03:48:57 ID:fNSmQZzw
- 武士の誉れを重んじて、堅城岐阜城に籠るを良しとせず勇猛果敢に打って出て
わずか2日で陥落というファインプレー。
- 397 :人間七七四年:2009/10/29(木) 08:13:02 ID:1s7mI1BJ
- 流石の三成も対応しきれず援軍を送れず仕舞い
- 398 :人間七七四年:2009/10/29(木) 10:47:29 ID:8d0Uvv9E
- >>394
秀信はつくづくアホだな
ここですぐに東軍に付いて関ヶ原で先陣を駆ければ
機を見て織田の仇である豊臣を討ったとして評価も違っていただろうに
秀吉に洗脳されたままのパープリンで人生を終えてしまうのだから
あの世の父や祖父からすれば情けなくて涙が止まらないだろう
- 399 :人間七七四年:2009/10/29(木) 12:08:48 ID:IEZF7fKy
- 織田一族こそ徳川家康と共闘すべき人物なのに
西軍好きだけど織田だけは東軍にいて織田100万石くらいになってほしかった
- 400 :人間七七四年:2009/10/29(木) 19:02:57 ID:1s7mI1BJ
- 有楽「誰か忘れていませんか?」
- 401 :人間七七四年:2009/10/29(木) 19:21:48 ID:9aK22FBU
- 織部にしろ有楽にしろ茶人大名も頑張っているのが関ヶ原
- 402 :人間七七四年:2009/10/29(木) 19:52:00 ID:PIHbhFS/
- そんなカスみたいな織田ではなく 秀信や信雄みたいな信長の近くて在る程度石高もあるやつが東軍に参戦すべきだった
- 403 :人間七七四年:2009/10/29(木) 19:55:19 ID:QxbFhF5O
- >>402
秀信はともかく、信雄なんて関ヶ原当時5万石で、しかも隠居の身だったんだが。
- 404 :人間七七四年:2009/10/29(木) 20:28:43 ID:PIHbhFS/
- 隠居だろうが5万石だろうが、なんで豊臣に散々な目に合わされたこいつらが盟友の徳川ではなく憎き豊臣についたんだろう・・・
逆に豊臣に付くべき福島加藤みたいなドアホが東軍につくし
- 405 :人間七七四年:2009/10/29(木) 20:30:54 ID:QxbFhF5O
- 東軍≠徳川
西軍≠豊臣
このくらいは認識しておこうや
- 406 :人間七七四年:2009/10/29(木) 20:53:24 ID:PIHbhFS/
- 豊臣恩顧のバカ大名以外は豊臣VS徳川って認識はすでにあっただろ
- 407 :人間七七四年:2009/10/29(木) 21:07:21 ID:1s7mI1BJ
- あの頃はまだ豊臣対徳川ってより家康と三成の主導権争いって面のが強いだろ・・・
- 408 :人間七七四年:2009/10/29(木) 21:29:15 ID:QxbFhF5O
- ID:PIHbhFS/は後世の、結果が出た後の視点からしか物事を見てない。
- 409 :人間七七四年:2009/10/29(木) 23:21:11 ID:p5i6y3jz
- 石田がクズなんだろ?
このクズが出張らなきゃ西軍も、もっといい勝負したんじゃね?
- 410 :人間七七四年:2009/10/29(木) 23:45:10 ID:RTTtvQDR
- 家康はついでに豊臣も皆殺しにしとけばよかったのに
先鋒を豊臣憎しの大名達にやらせれば
それこそジェノサイドになっただろうに
- 411 :人間七七四年:2009/10/29(木) 23:45:28 ID:1kjwqViu
- 結果論だが、つくづく毛利は何がしたかったんだろう。指揮系統がめちゃくちゃだな
- 412 :人間七七四年:2009/10/29(木) 23:46:46 ID:OZ63pb+U
- 三成が出てきたからついた奴らも多いだろうけどな。
人望ないと言われてるけど毛利輝元や島津義弘はだいぶ
心を寄せていたし。
- 413 :人間七七四年:2009/10/29(木) 23:52:17 ID:BW1k6QXu
- あの時点で家康が豊臣を攻撃するなんて言ったら単なる謀反だw
- 414 :人間七七四年:2009/10/29(木) 23:56:23 ID:QxbFhF5O
- >>411
上杉もそうだが、天下云々なんてことは最初から考えてなくて、地域での勢力拡大、
つまり瀬戸内海制海権の掌握と北九州の奪還、あたりを目標にしていたっぽい。
毛利家にとって誤算だったのは、関ヶ原の決戦が1日で終わった事よりも、
その後家康があっという間に畿内を沈静化させてしまったことだろう。
毛利が大阪城を退いたのは、家康に畿内の沈静化を丸投げしてそれに手間取っている間に、
当初の戦略目標を攻略し、既成事実化するためだった、と考えると自然だと思う。
- 415 :人間七七四年:2009/10/30(金) 00:37:19 ID:IAURxqOF
- >>414 勢力拡大いうのも解るが、それだったら、輝元、秀元どちらかが理由をつけて本国に残ると思うのだが… 関ヶ原、畿内制圧が長引いたとしても、家康が勝てば、毛利は家康と一線交える根性もなかったかな… 結局は減封か
- 416 :人間七七四年:2009/10/30(金) 00:53:25 ID:PcM/kFvS
- >>415
その辺は時間との勝負じゃない?
毛利がさっさと体制を固めてしまえば、家康もうかつに手を出す事は出来なかったでしょ。
時間勝負でも毛利は負けた、って事かと。
- 417 :人間七七四年:2009/10/30(金) 01:18:35 ID:3JGjiYnc
- >>402
秀信の家老の多くはは東軍につきたかったみたいだけどね
>>411
輝元はただ単に甘ちゃんだっただけだろ
- 418 :人間七七四年:2009/10/30(金) 01:23:46 ID:IAURxqOF
- >>416 なるほどね。伊達の考え方みたいなものかなぁ。 それにしても、豊臣家臣同士の争いに、喝を入れる人がいなかった時点で豊臣家は終わってるよな。
- 419 :人間七七四年:2009/10/30(金) 02:06:24 ID:49MawwIK
- >>417
老臣は徳川を敵に回すべきではないと東軍に付くよう進言。
側近は秀頼公に疎略あるべからずと西軍に付くよう進言。
家中としては二つに割れた状態だったけど、本人は西軍希望。
>>418
本来は前田が徳川を徳川が前田を牽制する筈だった。
利家が死んだ場合には利長が、家康が死んだ場合には秀忠がそうなるようにしていた。
利家死後直ぐに七将襲撃事件により三成が失脚、
家康暗殺未遂事件で前田・浅野が失脚。
喝を入れようにもそれが出来る人物がいなくなってしまった。
- 420 :人間七七四年:2009/10/30(金) 02:15:18 ID:h6J652iH
- 西軍を希望する意味がわからん
- 421 :人間七七四年:2009/10/30(金) 02:35:43 ID:49MawwIK
- 主観を交えなければ、利害・正当性・地理的条件・立場いずれから考えても、
必ず西軍・東軍どちらに付くとは言い難い状況。
- 422 :人間七七四年:2009/10/30(金) 02:39:47 ID:H9B4wsQ4
- >>412
鬼島津は元々は東軍につくつもりで出てきたんだぞw
鳥居元忠に断られて仕方なく西軍側にいただけだ。
しかも献策は悉く三成に退けられてるし、とても心を寄せてたなんてw
- 423 :人間七七四年:2009/10/30(金) 03:01:53 ID:IAURxqOF
- >>422 元忠に断られたからって、全く正反対側に味方するかな。 まぁ最後までどっちにつくか迷ってたということか。
- 424 :人間七七四年:2009/10/30(金) 03:34:18 ID:3JGjiYnc
- >>423
伏見城に入場できなけりゃ西軍真っ只中の近畿で東軍の旗なんか上げられるかよ
西軍につくしか選択肢は無い
やる気なく行動していて場所や環境が揃えば
折を見計らって東軍になるしかないでしょ
1万を越える軍勢の秀秋でさえそうやって行動したのだから
- 425 :人間七七四年:2009/10/30(金) 03:43:31 ID:49MawwIK
- 義弘が伏見留守居を家康から申し付けられたのは会津討伐前で、飽く迄豊臣公儀の命令。
「いずれの道にても公儀候条、御下知次第に仕り候て然るべき候わん由仰せらる事に候」
とあるように公儀の命令だから拒否できないという消極的な姿勢。
また義弘は景勝に対して7月15日に
「秀頼様の為に毛利・宇喜多・小西・大谷・石田らが上杉に味方すると聞いた。自分も同じである」
と書状を送っており、積極的な姿勢が見て取れる。
島津が夜襲を提案したけれど、島左近が反対して退けられたというのは
江戸後期に成立した「西藩野史」と「東照宮実紀」にあるが、信憑性は低い。
- 426 :人間七七四年:2009/10/30(金) 04:34:50 ID:IAURxqOF
- 後から考えると、元忠が入城拒否したおかげで、忠吉負傷等、徳川も関ヶ原で痛い目にあってるよな。 元忠め、いらんことしよって、って家康も思ったんだろうかw
- 427 :人間七七四年:2009/10/30(金) 06:53:24 ID:XtUc2pNt
- 万が一、城を枕に一緒に討ち死になんて事になっても困るからなぁ
其処んところは複雑だろ
- 428 :人間七七四年:2009/10/30(金) 09:48:09 ID:QWZWPASH
- >>426
個人的に同じ立場なら俺も断る
絶望的状況で外様を入れたら何時、裏切られるか
実際に一番外様に近い甲賀衆の裏切りで伏見城は落ちている
因みに島津が西軍になった理由の内、最大のものは大坂の妻子
書状でしっかり理由に上げている
- 429 :人間七七四年:2009/10/30(金) 10:55:14 ID:PcM/kFvS
- だな。元忠に断られたのが最大の理由なんて関ヶ原の後に出てきた言い訳に過ぎんよ。
- 430 :人間七七四年:2009/10/30(金) 11:19:04 ID:YOIMs3hc
- その点伏見城の攻防戦が始まる前に城を出た木下勝俊は良心的だな
- 431 :人間七七四年:2009/10/30(金) 15:13:58 ID:h6J652iH
- 鍋島みたいに普通に西軍の真っ只中から九州に帰国して東軍に寝返ってるやつもいるから
義弘だって帰国できるだろ そんで薩摩の本体で九州の西軍を留守城を席巻すれば望みどおり東軍で参加できるじゃん
家康にしても黒田や加藤なんかより島津に任せるほうが安心だろ
- 432 :人間七七四年:2009/10/30(金) 17:31:22 ID:YOIMs3hc
- 朝鮮征伐と庄内の乱があったってのにか。つーか鍋島は伊勢美濃国境で傍観じゃねーか。
西軍敗戦→大坂に撤退→家康に謝罪→筑後平定命令を出される→帰国
- 433 :人間七七四年:2009/10/30(金) 17:35:13 ID:x03prVtG
- 島津義久は国衆の利権を奪えず、その発言力を否定しきれないまま。
つまり近世大名への脱皮を図れないでいたので、指南役を務めた細川幽斎や三成は
げんなり。三成は「もう指南しねえぞ。勝手に滅べ」と恫喝する。
逆に義弘は三成に同調して改革を進めようとしていて、国衆の言いなりになる兄に
嘆息していた。
>>426
家康は謀反はさほど大きくならないと見ていたので、小早川や島津に伏見入城を命じたけど、
想像以上に敵が大規模になってしまったので、鳥居が島津らや大坂城から逃げてきた徳川勢まで
怪しんで拒否しちゃうのもしょうがないところはある。状況が変わっちゃったんだし。
- 434 :人間七七四年:2009/10/30(金) 18:32:30 ID:2M40fWyA
- 関ヶ原における石田三成の指揮って悪くないよな?
- 435 :人間七七四年:2009/10/30(金) 19:10:53 ID:PcM/kFvS
- >>434
9月15日決戦について?
それならあの日の客観状況をどう取るかによる。
最近言われているように、小早川が既に前日の時点で東軍に属していたのが明確であったとすれば、
三成のやったとこは一か八かの特攻作戦に過ぎない。
- 436 :人間七七四年:2009/10/30(金) 19:43:22 ID:kkMEQyUP
- 島津のやった事は、関ヶ原の時に1500騎で出陣して、東西どっち付くか日和って
最後に全滅しかけた阿呆だろ?
大局になんの影響も与えてない空気だよな(笑)
- 437 :人間七七四年:2009/10/30(金) 19:52:55 ID:XtUc2pNt
- 印象は残したから空気とは言いがたい
- 438 :人間七七四年:2009/10/30(金) 19:56:38 ID:PcM/kFvS
- 本当に空気と言うのは長宗我部あたりだな。
本人達すら何しにきたのか解ってなかっただろう。
- 439 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:01:13 ID:h6J652iH
- アホすぎるだろw
長束とか自害する気概があるなら戦えよw
- 440 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:04:22 ID:XtUc2pNt
- 下り口を塞がれちゃってるやん
長宗我部は元々東軍に行きたかった人だし
- 441 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:06:43 ID:YOIMs3hc
- たかだか1500程度の兵しか率いない長束に突っ込めとかアホなの?
- 442 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:11:48 ID:PcM/kFvS
- 明らかな負け戦で特攻かけるなんて、先ず家臣団のほうが拒否する。
- 443 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:27:14 ID:h6J652iH
- 関ヶ原の頃になると元戦国大名の毛利、上杉すらも無傷で降伏しちゃうくらいだもんな
所詮、サラリーマン大名に武門の意地なんて期待するほうが間違ってるか
- 444 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:33:10 ID:XtUc2pNt
- 負けると分かってんのに戦って家を絶やすなんて馬鹿な真似そうそう出来る物じゃ無い
- 445 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:44:28 ID:y0vc0sE7
- 長曽我部盛親とか趨勢が決したら
あの後何とか東軍へ寝返る行動(吉川広家と行動を共にするとか)
でもして家康の覚えを良くすればいいのに逃げ帰ってるもんなあ
- 446 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:47:04 ID:hrhsGKSa
- 実際には島津は三千
そうなると島津は家久、義弘が分裂していたというより家中全体で
二股膏薬していたというのが正しい
- 447 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:49:39 ID:YOIMs3hc
- >>445
ありゃ津野親忠を久武の讒言信じて殺したのが一番拙かったな。
- 448 :人間七七四年:2009/10/30(金) 20:56:45 ID:h6J652iH
- ぶっちゃけ、輝元の行動や態度がよく叩かれるけど
東西大半の大名の行動が輝元並に意味不明でヘタレじゃないか
- 449 :人間七七四年:2009/10/30(金) 21:00:15 ID:XtUc2pNt
- 立場ハッキリさせてる奴のが少ないからな
- 450 :人間七七四年:2009/10/30(金) 21:03:22 ID:PcM/kFvS
- 関ヶ原で「天下」というものを視野に入れていたのは、家康と三成しかいなかっただろうからな。
なので関ヶ原の諸侯の行動を「天下争奪戦」と言う視点で見ようとすると、意味不明に写るのだろう。
- 451 :人間七七四年:2009/10/30(金) 21:16:40 ID:YOIMs3hc
- >>448
いやいや、どっちが勝っても家が残るように汲々としてただろ。
- 452 :人間七七四年:2009/10/30(金) 21:19:50 ID:h6J652iH
- 家康、三成以外にも大谷、宇喜多、黒田、藤堂くらいははっきりと理解してる
小西行長はかなり微妙だけど実は官僚派ってだけで天下云々はよくわかってないだろ 立場が逆ならこいつも加藤、福島と同じ扱い
になってたに違いないw
- 453 :人間七七四年:2009/10/30(金) 21:23:07 ID:rSHyKxhj
- >>443
その2家は当主は代替わりしてるから無理も無い
それも前当主はまさに戦国を代表する武将、比較したらかわいそう
- 454 :人間七七四年:2009/10/30(金) 21:29:57 ID:kkMEQyUP
- >>452
家康は解るが三成が理解していたとは到底考えられないだろ
単なる阿呆だろ(笑)
- 455 :人間七七四年:2009/10/31(土) 10:12:54 ID:5um/KTa9
- >>454
三成はアホじゃなかった
兵士達からも人気があり、三成の軍団は強かったと歴史書にも書いてあるだろ
負けた方はアホという素人的、知ったかぶりの発言はやめたまえ
- 456 :人間七七四年:2009/10/31(土) 10:19:02 ID:yXZKuRDa
- 石田が島津の奇襲作戦を採用しなかったのは野戦による決戦で雌雄を決したかったから。
勝てると踏んでた。関ヶ原で戦う意味を一番わかってたのは三成だろ。なにしろ自分が演出したんだから。
- 457 :人間七七四年:2009/10/31(土) 11:37:24 ID:d23qoxt1
- >>454はただの三成アンチか家康マンセーだろ。
- 458 :人間七七四年:2009/10/31(土) 12:39:45 ID:h5Z4nUVo
- あほじゃないだろうけどさ
なんで冷静に三成を見れないの
- 459 :人間七七四年:2009/10/31(土) 14:45:19 ID:/9btvzn3
- >>446
義弘は国許にしつこいくらい援軍要請しているよ。
義久には無視されたので、忠恒のほうに何度もお願いしてる。
義弘は三成の失脚と同志である伊集院の粛清で島津家中での発言力が低下していたから、
西軍に荷担することで再度の浮上を狙ったのであって、二股とかではない。
- 460 :人間七七四年:2009/10/31(土) 18:16:23 ID:pa9SA2qI
- >>459
義弘が増援を要請したのは事実だが、それにたいして家久が冷淡だったかは疑問
何故なら伏見で250人、大垣に入った時点で800人だった島津は本戦には3000に増えている
この増員は家久の関与無しではありえない数
- 461 :人間七七四年:2009/10/31(土) 18:27:23 ID:4MYAaN2u
- いくつかのレスに島津3000とあるが 3000って根拠は?
- 462 :人間七七四年:2009/10/31(土) 18:29:12 ID:pa9SA2qI
- 各種合戦記ならびに吉川広家書状
- 463 :人間七七四年:2009/10/31(土) 18:33:43 ID:4MYAaN2u
- その書状での他大名の兵力はどうなん?
- 464 :人間七七四年:2009/10/31(土) 18:37:47 ID:pa9SA2qI
- 記述なし
- 465 :人間七七四年:2009/10/31(土) 21:09:20 ID:d23qoxt1
- 家久って忠恒だよね?
あくまで書状の残りだが、義弘は義久へ一回だけ、忠恒には七回援軍
要請している。義久の方の手応えがいまひとつだったからだろう。
九月にやってきた援軍は二百九十人で、うち二百二十人は義弘家臣らしい。
忠恒への書状では再三「今回の行動は秀頼様のため、島津家のためで
あって、義弘自身の利益のためじゃない」と釈明してるから、忠恒も
さほど親父を理解してやってなかったんじゃないか。
- 466 :人間七七四年:2009/10/31(土) 21:19:24 ID:pa9SA2qI
- >>465
290(正確には287)人というのは9月5日に到着した分と見るべきかと
五月雨式に上洛したのも個人としてというより、島津の後方能力がヘボだから
一度に大人数を送れなかったのかもしれない
- 467 :人間七七四年:2009/10/31(土) 22:23:41 ID:khIS3A0w
- 島津のような時代おくれの土豪集団の大名が、急に大軍を送れと言っても不可能だ。
- 468 :人間七七四年:2009/11/01(日) 00:07:45 ID:hVsC2QaR
- 島津は何故傍観してたんだろうか
1、伏見での戦功を無視されたからひねくれた
2、夜襲の献策を無視されてひねくれた
3、少ない手勢で最大の戦果を挙げるために戦力投入のタイミングを見計らってたらいつの間にか味方が負けてた
- 469 :人間七七四年:2009/11/01(日) 00:28:13 ID:3shH7n2b
- そりゃあ主張が認められなかったうえに
数が少ないんだから様子見になるのも無理は無いだろう
自分の考えどおりの戦いなら力も出せようが
それとなんだかんだでどうやら保有戦力の多少で意見が左右されるんだとか
- 470 :人間七七四年:2009/11/01(日) 00:50:57 ID:w8+y54TU
- 前にも書いたが、島津の奇襲作戦が受け入れられなかったという
「西藩野史」「東照宮実紀」にある逸話はかなり疑わしい。
また、島津は元々二番備若しくは脇備であり、当初戦闘に加わらないのは当然。
当初は三成の陣と連絡を取り合っており、鉄砲衆も派遣している。
ただ、戦闘要請を入れられた時には既に小早川が旗色を鮮明にしており、大勢は決してしまった。
島津としては早々に身の安全を確保しなければならない状態だった。
- 471 :人間七七四年:2009/11/01(日) 01:02:58 ID:/R5EfYEx
- まあ兵3000は居なかっただろうな
いればもっと戦線前方に布陣されているよ
- 472 :人間七七四年:2009/11/01(日) 02:23:13 ID:h1Hvkz2Z
- 加藤ら七将は戦後も仲良かったの?
なんか福島は孤立していったとか聞くけど
- 473 :人間七七四年:2009/11/01(日) 02:58:49 ID:vrMqtAbb
- >>472
黒田長政と細川忠興は関ヶ原合戦以降は不仲で有名。
また、諸史料によってメンバーは異なるけど、あの三成襲撃は
蔚山城の攻防をめぐるなかで表面化した問題なので、七人のなかでも
黒田、蜂須賀、あとは加藤がとくにメインだった模様。
- 474 :人間七七四年:2009/11/01(日) 04:32:24 ID:Koexbz4S
- 葵見てたら東軍好きになるわ
逐一福島黒田細川池田藤堂京極山内云々と名前挙げるのがいい
- 475 :人間七七四年:2009/11/01(日) 09:18:56 ID:3tip8xsA
- 島津は通説と異なり、ガチで井伊本隊と松平忠吉と戦っている
傍観というのは島津でなく、小西行長
もっとも彼の場合は元々、後詰だったようである
配陣も実際はぐぐっと前に出ている
- 476 :人間七七四年:2009/11/01(日) 09:51:50 ID:0IjVxVTc
- >>474
福島黒田藤堂に合言葉を伝えるとこのコントがおもしろかったw
主人公が徳川家なのに関ヶ原は実質三成が主人公だけどそこがいい
SAKONと豊久の死には泣かされたわ
東軍は小早川の裏切りよりも関ヶ原以外でも皆で勝ったという感じがよかったわ
- 477 :人間七七四年:2009/11/01(日) 13:24:21 ID:q+mO83hB
- >>476
合言葉何話だったっけ
- 478 :人間七七四年:2009/11/01(日) 13:30:29 ID:9htErwF1
- >>477
えいえいおー
- 479 :人間七七四年:2009/11/01(日) 14:04:19 ID:7JEyIacZ
- >>477
山か山 崖か崖
- 480 :人間七七四年:2009/11/01(日) 17:13:32 ID:0IjVxVTc
- >>477
タイトルはたしか天下分け目だったような気がする
- 481 :人間七七四年:2009/11/02(月) 00:29:55 ID:idM2biwS
- >>476
頭が悪いので実はあのシーンの意味が分からない
- 482 :人間七七四年:2009/11/02(月) 02:38:42 ID:C2zcnvtR
- 三成が、家康の挑発に乗らないで、関ヶ原がなければ、家康が死んで豊臣家の世が続き、徳川は執権的な地位で収まったんだろうか? そう考えると、三成は豊臣家を潰しただけなのかな。
- 483 :人間七七四年:2009/11/02(月) 02:47:39 ID:neBq6kUA
- どう考えても上杉の次は毛利、宇喜多と順番に難癖付けて臣従させるか滅亡させるだろ
- 484 :人間七七四年:2009/11/02(月) 08:27:28 ID:x+dRKh7Y
- >>481
合言葉を伝える兵が最後につられて自分で合言葉を答えてしまったんだと思う
- 485 :人間七七四年:2009/11/02(月) 11:48:19 ID:kUCwjn3l
- >>483
鎌倉幕府の北条氏みたいだな。
最後は宮将軍でもかつぐのかな?
- 486 :人間七七四年:2009/11/02(月) 20:58:40 ID:idM2biwS
- >>484
兵「合言葉は山に山 財に財」
福島「山に山 財に財」
兵「合言葉は山に山 財に財」
黒田「山に山 財に財」
兵「合言葉は山に山」
藤堂「財に財」
兵「合言葉は」
京極「山に山」
兵「財に財」
何で後ろ2人は合言葉知ってたの?
- 487 :人間七七四年:2009/11/03(火) 20:54:35 ID:iq5iVL6P
- エイエイオウオウ
エイトウエイトウ
- 488 :人間七七四年:2009/11/04(水) 21:54:50 ID:pxo/NLoi
- 合言葉といえば黒田長政
- 489 :人間七七四年:2009/11/04(水) 22:16:55 ID:4+LAKOdl
- 特報!!押尾学は必ず刑務所に放り込む!! ジャ−ナリズム.
公開日:2009/11/03 00:00 .
http://maglog.jp/nabesho/Article817677.html
.
この数日、ブログを休んだのは他ならぬ押尾学殺人事件を、国会(衆議院、参議院法務委員会)で追求させるための
“資料集めと原稿作り”に取り掛かっていたからです。.
押尾本人を国会に呼ぶわけではありませんが、押尾を取り調べた麻布警察署の不可解な動き、司法解剖もせず、
女性の死因に「事件性はない。タレントも絡んでいない」と8月3日、午前10時に発表して置きながら、その後、
押尾学を出頭させ逮捕している。.
女性の携帯を「探せばあるだろう」などと遺族を突き放し、4日に日本テレビのスタッフが六本木ヒルズ入り口の
『植え込み』から発見。遺族に確認後、麻布署に知らせたにもかかわらず、麻布署はそれを隠蔽し、10日もたった
14日にさも麻布署が発見したごとき姿をテレビ放映させた。ここに何が隠されているのか?等々。.
筆者の下にはまた新しい驚くべき情報が二つ飛び込んできています。それは後日掲載します。.
この記事を他ジャンルの板に張り付け願う!
- 490 :人間七七四年:2009/11/04(水) 22:47:19 ID:4S5fDQUF
- 合戦って、敵の大将の首を取ったら勝ちなんでしょ?関ヶ原の場合、西軍全部が島津みたいに家康の本陣に突っ込めば、被害は大きいけど必ず勝てると思うけど…
- 491 :人間七七四年:2009/11/04(水) 23:00:28 ID:L1uxwgcX
- 史上稀に見る完敗の西軍ですら
その場では三成捕まってないだろ
しかも別に島津は家康めがけて突撃してない
逃げ遅れたけど、東軍の西軍主力への追い討ちが始まると
その軍勢と後ろで控えてる軍勢との間に空いたスペースを使って
斜め前(南東)に抜けただけ
三成やらと同じ方向に逃げたら余計危ないからな
それでも壊滅だ、義弘は命からがら逃げたけど
- 492 :人間七七四年:2009/11/04(水) 23:02:10 ID:z3zV7Z9K
- > 合戦って、敵の大将の首を取ったら勝ちなんでしょ?
そもそもここが間違い
- 493 :人間七七四年:2009/11/04(水) 23:29:45 ID:4S5fDQUF
- >>492 でも、桶狭間の場合、織田軍より兵が多い今川軍が、義元の首取られたら早々に逃げ帰ったんでしょ?
- 494 :人間七七四年:2009/11/04(水) 23:49:57 ID:ejFH1E3I
- こいつはバカなんだろうか
- 495 :人間七七四年:2009/11/04(水) 23:58:50 ID:4S5fDQUF
- >>494 バカに解りやすく説明できる?
- 496 :人間七七四年:2009/11/05(木) 00:03:46 ID:2vIi92h6
- 小山評定で山内一豊が堀尾忠氏の提案を盗んだ、
ということの真偽は別として。
堀尾→出雲
山内→土佐
だが、どちらがありがたいと思う?
司馬遼太郎の小説では「盗んだ山内は土佐一国を得た」
と書かれていたが、当時の交通事情やら土地の豊かさとか
考えたら、俺は土佐よりも山陰で領地貰った方が
ありがたいと思うんだが。
- 497 :人間七七四年:2009/11/05(木) 00:04:14 ID:/mDhESEX
- 西軍全部が突っ込んできたら
東軍全部がそこに応戦する
- 498 :人間七七四年:2009/11/05(木) 00:14:47 ID:gPgPEbh6
- >>496
交通の要衝掛川5万1000石から(未検地とはいえ)9万8000石の土佐では左遷に近い物があると思う
検地で21万石になったけど、土佐を治めるのに苦労してるし
- 499 :人間七七四年:2009/11/05(木) 00:24:44 ID:W0UIxQ7Y
- >>496
まあ当時の感覚で考えれば出雲のほうがお得なのは間違いないかと。
土佐は「僻地中の僻地」って認識だったし。
- 500 :人間七七四年:2009/11/05(木) 00:43:03 ID:HoWtS61L
- >>497 良いIDだな
- 501 :人間七七四年:2009/11/05(木) 00:59:38 ID:beSs9GwM
- >>497
そのIDで突っ込んだとか卑猥です
- 502 :人間七七四年:2009/11/06(金) 15:25:22 ID:DXpP4Wan
- 有名どころだけでも構わないけど、西軍勝利の場合の西軍諸大名への恩賞や西軍加盟の条件となった恩賞が
わかるサイト、文献ってない?
- 503 :人間七七四年:2009/11/06(金) 15:40:45 ID:CukRqtZt
- >>502
西軍勝利の仮想戦記でも読め
- 504 :人間七七四年:2009/11/06(金) 23:00:08 ID:tMfKk9i2
- 意外と期間が短いもの
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1221356567/
115 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2009/11/03(火) 16:54:16 0
関ヶ原の戦い
五時間ぐらいで決着
- 505 :人間七七四年:2009/11/06(金) 23:08:24 ID:Dfk9PAe4
- 三成が短期決戦で挑もうとしたけど
裏目に出たんだろうな
- 506 :人間七七四年:2009/11/06(金) 23:19:09 ID:DXpP4Wan
- 短期決戦もなにもあのまま大垣に居れば孤立無援になり各個殲滅されるだけだろ
とる策は大垣から佐和山へ戦線を下げて戦力を結集するか史実のように決戦に挑むかの2択しかない
- 507 :人間七七四年:2009/11/07(土) 00:17:42 ID:I8F0oID5
- >>483
これって必ずそう反論する人いるけど
毛利や宇喜多も関ヶ原の時より前にいろいろと工作を受けているんだよな
毛利は領地問題、宇喜多は家臣問題と家康に介入されている
これが原因で毛利や宇喜多が西軍を結成したのかもしれないけど
ただ介入されても滅亡されなかったんだから大丈夫じゃね
それに臣従するなら形だけすればいいわけだし
- 508 :人間七七四年:2009/11/07(土) 00:32:05 ID:rPr+7fWD
- >>504
5時間と言うと、丁度運動会くらいの時間だな。
- 509 :人間七七四年:2009/11/07(土) 00:46:23 ID:W9/41sJh
- むしろ毛利、宇喜多なんかに臣従されたらうかつに豊臣に手をだせないだろ
- 510 :人間七七四年:2009/11/07(土) 01:02:42 ID:mxLwuH5H
- 五大老全員本領安堵で臣従させても意味なくね
結局はどっかから所領取って徳川や親徳川の所領にしないとまた戦国時代になるし
- 511 :人間七七四年:2009/11/07(土) 01:06:07 ID:rPr+7fWD
- >>510
そんな事は無い。波風立たずに徳川体制に移行したほうが、家康にとって
理想的だったに決まってるよ。
体制が確立してしまえばあとはどうとでもできるんだし。
- 512 :人間七七四年:2009/11/07(土) 01:07:46 ID:lx8bvPtM
- 関ヶ原なしで毛利を潰すとはさすがに無理だろ
輝元と家康は義兄弟ともいえるものだし、何より一族で200万石を越える家を潰すとなれば
勝手に関ヶ原レベルの戦になる
- 513 :人間七七四年:2009/11/07(土) 01:11:53 ID:W9/41sJh
- 五大老家がすべて前田状態なるわけか
実際加賀藩は100万石で残ったけど別に何の障害にもならなかったな ってことは案外毛利、上杉、宇喜多が残っても
- 514 :人間七七四年:2009/11/07(土) 01:12:23 ID:rPr+7fWD
- >>512
> 勝手に関ヶ原レベルの戦になる
体制が確立したあとなら、「小田原征伐」レベルでしょ。
- 515 :人間七七四年:2009/11/07(土) 01:15:04 ID:Tq7B5BiZ
- 家康が、豊臣家を潰す前に死んだら、秀忠も天下を狙ったかな?
- 516 :人間七七四年:2009/11/07(土) 01:43:25 ID:x3MQTQL1
- そういえば最初に秀吉との約束をやぶったのが実は三成っていうのは本当なの?
- 517 :人間七七四年:2009/11/07(土) 05:05:45 ID:d2IU1h21
- 島津への加増の話なら三成が最初に言い出したのとは違うと思うが
婚姻問題より前に特例を認めちゃったのは確か
- 518 :人間七七四年:2009/11/07(土) 23:17:56 ID:W9/41sJh
- 秀忠では無理 代替わりした若造ばっかだっかから家康のやりたい放題だったんだよ
毛利、上杉、前田、宇喜多、蒲生、佐竹、長曹我部、小早川、鍋島 有力な外様の当主が毛利上杉除いてみんな10代20代って時点でw
大ベテランに俺たちとかわらんくらいの新人では勝てるわけ無い とりわけ政治では年齢は重用
- 519 :人間七七四年:2009/11/07(土) 23:19:06 ID:W9/41sJh
- しかも毛利は言わずもがな、上杉景勝だって相当無能だろ?
- 520 :人間七七四年:2009/11/08(日) 00:23:43 ID:8GFLvMJs
- 実際利家生きてた頃は家康より人望あったしな
- 521 :人間七七四年:2009/11/08(日) 00:31:14 ID:uOLnxrNB
- ぶっちゃけ利家だって何の武功も、優れた能力もないけど年齢と秀吉同じ時代を生きたってだけでそんだけ大きな存在に成れるんだ
政治では年齢は大きい。
- 522 :人間七七四年:2009/11/08(日) 00:31:15 ID:01dUalmp
- 人望ってw
- 523 :人間七七四年:2009/11/08(日) 00:35:57 ID:8GFLvMJs
- >>522
「御位も国数も大納言様(利家)は下なれども、お城にて人々用ひ(人々の尊信)は、五雙倍にも大納言様つよく候。
これは第一御武辺者なり。
さてまた太閤様(秀吉)御前よき故にても候由、お城にても道中にても、内府(家康)より人々あがまへ、我らまでも心いさみ申す」
- 524 :人間七七四年:2009/11/08(日) 00:39:50 ID:398p5Pzp
- 家康の婚姻策で利家と対立したとき利家の下に集まった大名の数や石高は
家康の下に集まった連中よりかなり多かったからな
- 525 :人間七七四年:2009/11/08(日) 01:09:46 ID:NAOia/RW
- 前田佐竹は三十路
- 526 :人間七七四年:2009/11/08(日) 01:12:27 ID:dLHWyj2B
- でもなー結局利家は何もできなさそう
家康もチャンスが巡らない限り何もしないだろうから
戦はおきずにそのまんま利家が豊臣政権の実権を握るんだろうけど
利家が死んでから前田家ダメだしな
秀頼が成長するまで生きてればいいが
- 527 :人間七七四年:2009/11/08(日) 02:20:21 ID:aNlIZMN4
- 実際、本能寺以降は織田家中の繰り上がり当選の連続だっただけだからな。
徳川は織田家と同盟していた大名だから旧織田家臣とは本来ランクが一つ上。
こいつが幅をきかせるのも必然と言える。
- 528 :人間七七四年:2009/11/08(日) 03:30:19 ID:398p5Pzp
- >>527
そんなランキング持ち出したって意味ない
第一そんなん言い出したら足利将軍や織田家の主筋にあたる斯波氏やら
織田や徳川より家格の上の名家なんていくらでもある
秀吉も利家も織田家臣だったけどちゃんとした国持大名でもあったわけだし
- 529 :人間七七四年:2009/11/08(日) 09:46:54 ID:oVbTcZCE
- >>524
でも結局利家側から詫びを入れる結果になったからなあ
それが実力というものだよ
- 530 :人間七七四年:2009/11/08(日) 09:49:45 ID:6tsywArL
- 非を認めて向島に退去したのは家康だが?
なんか勝手に都合の良いように解釈してる馬鹿多いな
- 531 :人間七七四年:2009/11/08(日) 09:51:39 ID:ewrFM9U+
- >>529
何いってんのコイツ
- 532 :人間七七四年:2009/11/08(日) 10:55:50 ID:aNlIZMN4
- >>528
お前が持ち出したランキングには意味はないわ。
名家がどうとかいう話は一切してねえし。
秀吉も利家も戦国の中にあって武で覇を唱えた織田家の中心にいたからに他ならない。
- 533 :人間七七四年:2009/11/08(日) 17:48:10 ID:jFo9QPxB
- その後の実績を全く考えずに「織田家臣」という一つの括りだけで判断するとかアホすぎる。
秀吉が天下を取ったのは、織田家の家臣であった事も理由の一つだが、
その後の事績は彼の政戦略に依るものであって、秀吉の実力。
他人から認められる実績や功績、人望なんてものは、当初の立場で決まるような物じゃない。
- 534 :人間七七四年:2009/11/08(日) 18:01:19 ID:K0sB4ehC
- 織田家の家臣団の中で上位にあったからこそあそこまで出来たわけでしょう
信長死後は家中の権力闘争だし
- 535 :人間七七四年:2009/11/08(日) 18:12:57 ID:jFo9QPxB
- >>534
だから、それは理由の一つ。
そもそも他国と戦争状態の真っ只中で実質的当主と名目上の当主の両方が
内紛によって死亡した訳で、この時点で織田家は絶望的な状況だ。
その後の包囲網の打破や大勢力の討伐・吸収などは秀吉の実力に依る物だ。
っていうか、あの状況で織田家重臣なら誰でも天下取れたと思ってる?
- 536 :人間七七四年:2009/11/08(日) 18:52:17 ID:K6ZQwoKp
- >>532
織田と同盟といっても従属的な関係だったのに何を
- 537 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:00:39 ID:AHoAMuW8
- 家康厨頭おかしいのが多すぎる
信康殺害も信康の才能を恐れた信長に命じられて渋々従ったとか思ってるんだろうか
- 538 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:01:14 ID:01dUalmp
- >>536
何をといわれても何を?
従属だろうがなんだろうが同盟関係だったのは確かだが?
- 539 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:03:03 ID:N3vQ0zkv
- 家康厨はIDころころ変えてるのか
- 540 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:04:44 ID:yYnR+9jC
- >>537
> 家康厨頭おかしいのが多すぎる
> 信康殺害も信康の才能を恐れた信長に命じられて渋々従ったとか思ってるんだろうか
才能を恐れた云々はともかく、信康の切腹後徳川家中に、粛清など反対勢力への
弾圧が見られないところから、信康切腹はやはり、当時既に上級権力だった信長からの
何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
- 541 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:05:41 ID:ALSKbOEM
- ID変えまくって荒らしてんのか
利家に人望がないとか家康は信長と対等の立場だったから秀吉より立場が上とかもうね
- 542 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:07:16 ID:K6ZQwoKp
- >>540
?
単に家康と信康の対立
家康がいちいち信長に家中の問題のお伺いを立てて
信長が家康の思い通りにしろという許可を得て殺しただけですが
- 543 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:07:44 ID:yYnR+9jC
- ID変えまくっているアンチ家康厨が、他人も自分と同じ事をしているに違いないと信じているようで。
- 544 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:09:38 ID:ALSKbOEM
- >>540
いやいや
どこの学説だよw
- 545 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:12:04 ID:jFo9QPxB
- >>540
> 何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
誰の説?2〜3人で良いから挙げてみてよ。
っていうか、そもそも信長が直接殺すように指示した記録も無いのに、
信長自身に利益があるようにはとても思えない命令をしたとする根拠は何?
- 546 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:14:21 ID:AHoAMuW8
- >>540
>何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
これなんの出典もなく語ってるけどお前の脳内だけの説だよね
こんな論説唱えてる学者誰もいないよ
信康殺害は単なる家康と信康の対立
信長は信康の殺害なんて関与してない
- 547 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:23:11 ID:3OOxt4xj
- > 何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
とか出典もなく自分の捏造をさも学会や世間一般で主流のような言い方をしてるけど恥ずかしくないの?
- 548 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:26:49 ID:01dUalmp
- 家康が信康と対立して殺したってのも、定着した学説でもなんでもないだろ。
まともな学者なら「原因は良くわからない」って態度だと思うが。
- 549 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:27:55 ID:N3vQ0zkv
- > 原因は良くわからない
pgr
- 550 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:29:44 ID:DVFygOaK
- >まともな学者なら「原因は良くわからない」って態度だと思うが。
これはひどい
- 551 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:33:12 ID:AHoAMuW8
- ID:yYnR+9jC=ID:01dUalmpか
もっと勉強してきなさい
- 552 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:35:33 ID:01dUalmp
- 「よくわからない」は書き方が悪かったな。「原因を断定しない」とするべきだった。
>>551
お前がID変えてるからって一緒にしないでくれ。
- 553 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:41:55 ID:9eqOlNeC
- 馬鹿すぎる
- 554 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:49:33 ID:W1TcZw1X
- 「良くわかんないから断定は出来ないけど」
なんて前提で自身の論説を発表する学者なんて皆無なんだが
- 555 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:51:30 ID:N3vQ0zkv
- 現代になっても徳川史観に踊らされてる馬鹿居るんだな
良く分からんとか言う池沼は相手にしないでNGIDにするべき
- 556 :人間七七四年:2009/11/08(日) 19:55:00 ID:a09m4GaP
- 信長死後、その事業継承を勝ち取った秀吉が天下取るのは必然
なんで家康と信長の話でケンカになるのか意味不明だな
>>554
不明なことは不明と言うよ
この件に関しては多説あるけど確定的な学説は無いよ
- 557 :人間七七四年:2009/11/08(日) 20:05:05 ID:DVFygOaK
- >>556
そりゃ本能寺の変みたいな不確定要素が多い事象には色んな説があって
それぞれを支持してる学者も多種多様だけど
信康殺害の件に関して信長が関与した説を唱えてるのは皆無
家康と信康の不仲説、岡崎派(信康派)と浜松派(家康派)の対立説等徳川家中の問題だったという説が主流
>>540を見れば明らかに「外部からの圧力で殺害した」という徳川史観バリバリの過去の通説だった物を挙げて
それに対する反論なんだから
徳川家中での問題で殺害されたという説が現在では支持されてるのは確定事項なわけで
- 558 :人間七七四年:2009/11/08(日) 20:11:46 ID:K6ZQwoKp
- >>556
いや、そんなに多説無いだろ
派閥の内部抗争があった、いや単に信康自身が家康の不評を買った等細かな部分では色々な論説はあるけど
おおまかな流れは現在すでに確定してる
未だに信長が関与してるとか言い出すのは不勉強な人間か
花の慶次みたいな漫画や光栄ゲームの影響じゃね?
天道でも未だに信康殺害を信長が指示するイベント発生するし
- 559 :人間七七四年:2009/11/08(日) 20:20:45 ID:9eqOlNeC
- >>556
信長の圧力で殺した設なんか唱えてる学者は今は居ないよ
40年前に死んでるし
- 560 :人間七七四年:2009/11/08(日) 20:20:46 ID:tLTt6n7z
- >>556
信長が関与してる説をあげてる学者を教えてクレよ
- 561 :人間七七四年:2009/11/08(日) 20:22:30 ID:tLTt6n7z
- >>556
というかその多説の内何個か挙げてみてくれよ
実際そんなに多くないだろ
- 562 :人間七七四年:2009/11/08(日) 20:23:43 ID:a09m4GaP
- 今までの正史に対する反論として近年家康側から信康処分を申し立てた説が
多く取上げられるけどそれが確定的とも言い切れはしないな
まだまだ研究が必要なことでしょ
- 563 :人間七七四年:2009/11/08(日) 20:26:14 ID:tLTt6n7z
- >>562
いやだから信長の圧力だったという説を支持してる学者を教えてくれよ
そんな学者皆無なんだから、現在の主流はすでに家康自身の判断って事だろ
- 564 :人間七七四年:2009/11/08(日) 22:40:25 ID:aNlIZMN4
- 何か盛り上がってるwww
- 565 :人間七七四年:2009/11/08(日) 22:51:44 ID:RzOTZF7+
- なぜか関ヶ原スレで
- 566 :人間七七四年:2009/11/08(日) 23:03:25 ID:a09m4GaP
- 俺の所為かw
別にどちらの説にも与したつもりもないんだがw
- 567 :人間七七四年:2009/11/08(日) 23:23:57 ID:ALSKbOEM
- >>566
別にどっちの説を支持、不支持でもかまわんが
信長の圧力説の可能性を否定しない時点で一次史料の読めない素人としか
> 弾圧が見られないところから、信康切腹はやはり、当時既に上級権力だった信長からの
> 何らかの圧力によるもの、と言う見方が今は強いよ?
こんな馬鹿もいるし
- 568 :人間七七四年:2009/11/08(日) 23:27:59 ID:aNlIZMN4
- 結局何を言いたいのかわからない
- 569 :人間七七四年:2009/11/08(日) 23:47:59 ID:H/ZxxLdh
- >>566
学会で通説の信長の指示による殺害を支持してる学者を挙げてくれよまじで
信康の件に関しては新説支持が大多数でもはや信長関与の研究してる学者なんて皆無だと思うんだが
- 570 :人間七七四年:2009/11/08(日) 23:52:00 ID:G2XVa7nq
- 家康支持者にソース挙げてくれといってソースが上がったためしがない
- 571 :人間七七四年:2009/11/09(月) 07:35:57 ID:nCs0vkLs
- 信康が生きてようが秀忠と同じだろ
そもそも信州攻略を命じたのは家康だし、徳川主力が無くても勝てる!と踏んで関ヶ原へ向かったのも家康本人の意思。
- 572 :人間七七四年:2009/11/09(月) 08:15:29 ID:EJsvcDqf
- 信州攻略を命じたのは確かに家康だけど
西軍の対応見て即座に美濃に入るように伝令送ってる
天候のせいで秀忠にその命令変更が届いたのは遅れたけど
つまり秀忠本隊もアテにしてたという
- 573 :人間七七四年:2009/11/09(月) 08:21:54 ID:nCs0vkLs
- アテにしたなら徳川本隊を待ったり、加賀に戻った前田利長を飛騨や信州経由でこさせれるのはどうだ?
どちらかだけでも2、3万の兵力が加わるわけだ 東軍にとっていそぐ必要はない。
ただ、そうすると大津攻略部隊と田辺攻略部隊が来るだろうが立花宗茂や毛利元康以外はどれも1万石程度の寄せ集め
大坂の毛利本隊が動くとは思えんから、西軍には有力な援軍は立花、毛利の5、6千しかいない
- 574 :人間七七四年:2009/11/09(月) 08:26:04 ID:nCs0vkLs
- さらに、既に小早川の東軍参加は確定事項な上、関ヶ原盆地の要衝である松尾山城は実質東軍の支配下
大津、田辺の部隊が先に到着して西軍が赤坂方面に進軍したところで、小早川背後を脅かすことになる
- 575 :人間七七四年:2009/11/09(月) 08:32:02 ID:iozTODdb
- >>571
> 信康が生きてようが秀忠と同じだろ
一体何時誰がそんな話出したんだよ?
元々スレチな話題なんだから、普通に別な話振れば良いのに、
こんな強引に話をそらそうとするのがあまりに滑稽なんだがw
- 576 :人間七七四年:2009/11/09(月) 08:58:27 ID:EJsvcDqf
- 俺は言ったか言わないかの真贋はともかく
秀康がおったならと言う家康の言った逸話の事かと思ってた
実際関ヶ原は半日で勝負が付くなんて誰も想定してなかったしなぁ
上杉しかり伊達しかり如水しかり
んで吉川や小早川が寝返りを約束してたとしても、朽木脇坂赤座小川みたいに
東軍の旗色が悪くなったらいつ西軍に寝返るかわからんって事もあるしなぁ
- 577 :人間七七四年:2009/11/09(月) 09:21:49 ID:QY5CDJyK
- >>576
そんな話じゃ無い。
直ぐ上のレス見りゃ分かる。
以上。
- 578 :人間七七四年:2009/11/09(月) 11:29:09 ID:BA13HZpM
- 極端な家康嫌いの人は、信康切腹は家康の主導だった説と
酒井忠次家の冷遇は信康事件の意趣返し説の双方を採用して
家康の非情さと執念深さを批難するから始末に負えない。
- 579 :人間七七四年:2009/11/09(月) 16:54:12 ID:ZPHmJG4q
- また蒸し返し?
- 580 :人間七七四年:2009/11/09(月) 19:36:34 ID:3Hig2+UY
- 有名な戦国大名は皆非情さと執念深さを兼ね備えてるものでそんなもん貶し文句だと思う人間は
戦国時代をわかってないんだろう
- 581 :人間七七四年:2009/11/09(月) 19:56:09 ID:seITqUvD
- 信康切腹に織田から圧力が無かった説が確定的ってことは無いだろ
この事件を扱ってるサイトや本は、従来の説と併せて無かった説を載せてるのが大多数だろ
それほど無かった説が確定的ならば、最近の出版物でそのことを明記してるものを挙げてほしいわ
- 582 :人間七七四年:2009/11/09(月) 20:23:23 ID:BYsuGNwB
- 家康
「うちの息子の信康が反抗期で困っているんですよ。不良の勝頼なんてのとつるんでいるらしいし」
信長
「そんなやつ、さっさと殺せよ」
家康
「がーん」
- 583 :人間七七四年:2009/11/10(火) 20:34:24 ID:JRW2rGsg
- TBSの1981年の「関ヶ原」で、徳川家康を熱演された森繁さんに、黙祷。
- 584 :人間七七四年:2009/11/10(火) 20:49:07 ID:fOE9NII9
- test
- 585 :人間七七四年:2009/11/10(火) 20:50:49 ID:fOE9NII9
- 規制解除
志村喬氏の徳川家康も良かった。
いつごろか忘れた。
- 586 :人間七七四年:2009/11/11(水) 06:08:45 ID:uXD+grQO
- 志村喬の殿様と志村けんの殿様ではえらい違いだのう
- 587 :人間七七四年:2009/11/11(水) 12:55:28 ID:BtrnNlcc
- 関ヶ原スレで信康論じるバカがいる
- 588 :人間七七四年:2009/11/11(水) 13:03:22 ID:oRsdsvum
- >>540みたいな馬鹿が居るのにも驚きだけどな
- 589 :人間七七四年:2009/11/11(水) 13:08:45 ID:8N2Vo0En
- >>588
馬鹿発見
- 590 :人間七七四年:2009/11/11(水) 13:11:59 ID:oRsdsvum
- えっ・・・
信長の圧力があったとする見方が強いって・・・・・
- 591 :人間七七四年:2009/11/11(水) 13:15:13 ID:8N2Vo0En
- >>590
他所でやれと言われていることがわからない、こうやって説明しないと理解も出来ない馬鹿発見
- 592 :人間七七四年:2009/11/11(水) 13:54:39 ID:oRsdsvum
- 信康以前に
知識のない馬鹿がレスするって問題だと思うんだが
- 593 :人間七七四年:2009/11/11(水) 14:14:35 ID:oRsdsvum
- というか
○○という見方が強い
って脳内の妄想をあたかも学会やら知識層では常識みたいなミスリードを誘う書き方とか問題あるし
これは信康云々じゃなくて板のどこでもこういう輩は問題だと言いたいわけ
- 594 :人間七七四年:2009/11/11(水) 14:26:23 ID:8N2Vo0En
-
い い か ら よ そ で や れ
- 595 :人間七七四年:2009/11/11(水) 19:35:31 ID:XuDPPsrW
- >>592
知識の有無よりも、自分の妄想をさも定説のように言ったり、
歴史上の人物や事象などについて、中傷ありきの偏った考え方で
書き込んだりする手合いの方が問題ありかなと思う。
>>576
吉川や小早川については旗幟不鮮明という感じだしね。
黒田長政も吉川広家の動向に関してはかなり気を揉んでいたようだし、
信憑性はともかくとしても
「長政、吉川とか大丈夫なんだよな!?」→「今更そんなこと知るか、こっちは
それどころじゃない!」というエピソードは、両者が置かれてた状況をよく
表現していると思う。
- 596 :人間七七四年:2009/11/11(水) 22:07:54 ID:OWPG9X5r
- >>595
その通りだと思う。信康の話題については何か異様な雰囲気だったな
これ以上やりたい人はこちらでどうぞ
【信長の命令?】信康自刃の真相【家康の意志?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196319097/
- 597 :人間七七四年:2009/11/11(水) 22:25:02 ID:OAEXh/3K
- 関ヶ原での毛利家って、普通言われているように、大阪退去の時点まで主戦派と講和派で
分裂していたのだろうか?
それとも最近一部で言われているように、9月15日の決戦の時点で既に、毛利家中では西軍から
離脱するという一定の合意がなされていて、安国寺あたりは既に梯子を外されていた形だったんだろうか?
- 598 :人間七七四年:2009/11/12(木) 01:14:56 ID:w4IoDPa8
- 関ヶ原本戦には不参加だけどバリバリ東軍かと思われていた加藤清正でさえ
周りが島津以外は留守状態で普通なら直ぐに宇土城攻めするはずたけど
しばらくは日和見だったからな
毛利みたいな大きな家では意思統一なぞできるわけもなかろう
- 599 :人間七七四年:2009/11/12(木) 12:15:21 ID:aaiHDpPS
- 関が原後、島津の討伐計画もあったんだぜ
- 600 :人間七七四年:2009/11/12(木) 13:21:05 ID:/MTj0o5M
- >>599
毛利が汚名返上する絶好の機会
- 601 :人間七七四年:2009/11/16(月) 22:00:20 ID:myy6Pbeg
- 「関ヶ原は徳川家康と石田三成の戦い、と言うのは間違いである。
西軍の総大将はあくまで毛利輝元であった。
そのため、どのみち輝元は総大将としての責任を取る必要があり、本来は取り潰される運命にあった。
しかし生き残った。
そこに、吉川広家の奔走の意味がある。
そしてそれを助けたのが、黒田や福島といった者達であった。
そのように見るのが、歴史家の考え方と言うべきであろう。」
本郷 和人(東京大学大学院准教授)
- 602 :人間七七四年:2009/11/17(火) 04:39:39 ID:r2Dw1ycZ
- >>601
毛利ね
私は関係ありませんでしたでは、すまないのは当然
- 603 :人間七七四年:2009/11/18(水) 08:27:03 ID:HfW6PQ2w
- 不戦を誓うなら 初めから伏見攻めとか伊勢攻めもしなきゃよかったのに
どうせ毛利を咎められる西軍の大名なんていないんだから毛利4万が初めから大坂城から動かなければ
でもそうはしなかったってことは状況次第で西にも東にもって考えで関ヶ原に布陣してたんだよな
- 604 :人間七七四年:2009/11/18(水) 10:57:36 ID:DDtKlVdl
- なんでか知らんけど中立を保ってれば罰せられないと思ってる人が異様に多いよね
戦国時代でそんな甘い話が通用するわけないだろ
- 605 :人間七七四年:2009/11/18(水) 10:58:26 ID:IW3yLYFN
- それ今でも通用しねーし
- 606 :人間七七四年:2009/11/18(水) 16:07:25 ID:PwgQPLOc
- そもそも毛利の何処が中立だよ
中立って示したいなら途中から伏見攻めも参加せず即帰国しろよ
不戦って様子見だろ?小早川裏切りがなければ普通に攻撃してるだろ 負けたから不戦だったって言ってるだけだろ
- 607 :人間七七四年:2009/11/18(水) 17:25:18 ID:HfW6PQ2w
- 鍋島は父の直茂の急使により西軍参加を中止して伊勢をうろうろ 小早川も同様に近江をうろうろ
小早川は東軍に裏切るつもりだから関ヶ原への進軍もわかるが 吉川広家等は不戦なんだから、ざわざ関ヶ原へ進出する必要がない
- 608 :人間七七四年:2009/11/18(水) 19:04:29 ID:NWoCGNum
- 鍋島は長島城兵の押さえとして留まっていただけで交代要員がくれば大垣に進出するつもりだった
関ヶ原で裏切って西軍の襲いかかっていたら領地倍増だったのに
チャンスを逃した鍋島はバカ
- 609 :人間七七四年:2009/11/18(水) 19:43:58 ID:5WwQJqrg
- 秀吉信者は哀れ
- 610 :人間七七四年:2009/11/18(水) 22:56:25 ID:XXoQ5f3F
- >>606
帰国したら困るのは三成たちじゃない
吉川広家はすでに9/14に内応の承諾を得ているから
小早川が攻撃しても家康が死なないかぎり攻撃しないと思う
- 611 :人間七七四年:2009/11/19(木) 09:07:50 ID:0Jj1gQ79
- わざわざ関ヶ原まで進出したのは やはり東軍不利となれば襲いかかる つもりだったからだろう
- 612 :人間七七四年:2009/11/20(金) 02:12:07 ID:Pq0KCPro
- だろうな、内応すると言っときながら安濃津城に攻めかかって
西軍で一番戦死者出すほど働く奴だからな
- 613 :人間七七四年:2009/11/20(金) 02:34:01 ID:B3QAcWyn
- しかし吉川って三十万石を棒に振ったんだよな。
ただの裏切り者とは違う。
- 614 :人間七七四年:2009/11/20(金) 03:05:22 ID:1l2mm3HS
- 西軍を裏切っただけで毛利家に対して裏切ったわけじゃないからな
- 615 :人間七七四年:2009/11/21(土) 00:37:56 ID:v31DF8wi
- >>612
昔から吉川はその手で信用させるんじゃんw
- 616 :人間七七四年:2009/11/21(土) 03:15:25 ID:+TAUvNFq
- 家康のすごいところは毛利家の盲点を衝いたことだよな
吉川家を毛利家の家臣としてでなくひとつの独立大名として扱うことにより
いままで吉川家と小早川家の毛利家に対する曖昧な主従関係(毛利家に仕えているのか豊臣家に仕えているか)
をはっきりさせ、関ヶ原の密約を毛利家の手柄でなく吉川家の手柄にしている
- 617 :人間七七四年:2009/11/21(土) 03:17:27 ID:wRuCMhhg
- 毛利家の特異さであり、毛利を拡大した原動力でもあり、そしていびつさでもあるな。
- 618 :人間七七四年:2009/11/21(土) 09:54:40 ID:pMTGZrVa
- 密約の目的って、関ヶ原決戦で不戦して西軍を大敗させること?
そうじゃなかったら安濃津で奮戦して西軍を信用させる とかまったく無意味じゃないか
- 619 :人間七七四年:2009/11/21(土) 12:17:23 ID:KBlDYD1Z
- >>616
家康の前に秀吉が小早川を毛利の家臣としてでなく
独立大名として扱った先例があるやん
- 620 :人間七七四年:2009/11/21(土) 13:38:18 ID:+TAUvNFq
- >>619
確かその時隆景は秀吉から貰うのでなくいったん輝元に領地を与えてもらって
それから改めて輝元から貰うような形で領地をもらっている
あくまで毛利家の家臣としての立場を貫こうとしている
- 621 :人間七七四年:2009/11/21(土) 13:42:55 ID:v31DF8wi
- >>618
先方務めたじゃん。
仮に吉川以外が南宮山の先方だったら毛利軍が戦闘に参加しちゃうじゃないか
- 622 :人間七七四年:2009/11/21(土) 14:05:18 ID:KRWZJ1nQ
- 輝元が密約の事実を聞かされたのは西軍敗戦後だろ
ってことは輝元自身は不戦でもなんでもないんだからそのうち出陣か援軍を派遣するともりだったんだよな
- 623 :人間七七四年:2009/11/21(土) 14:08:50 ID:wRuCMhhg
- >>622
もっと前の段階で秀元たちも含めて聞かされていたと思うぞ?
蚊帳の外に置かれたのは安国寺くらいだろう。
- 624 :人間七七四年:2009/11/21(土) 14:15:25 ID:KRWZJ1nQ
- 不戦が毛利家の総意なら、伏見や伊勢での戦いにも参加してなくね?
吉川単独だからここいちばんで進路を塞ぐって強行手段を使ったんだろ
- 625 :人間七七四年:2009/11/21(土) 14:43:12 ID:pMTGZrVa
- 三成たちの独断がなければ長期間し輝元もくる筈だっただろ
大垣軍議には安国寺すらでていない
- 626 :人間七七四年:2009/11/21(土) 16:01:11 ID:6GIQ6SwE
- 輝元は大阪に入る前まではやる気満々だったんだよなあ
- 627 :人間七七四年:2009/11/21(土) 16:24:19 ID:JQ3pz/cR
- 家康に対して父子の思いだなんて媚びへつらっていたり、
三成に対して全く頭が上がらなかったりと、相当気の弱い奴だったんだろうな。
それが安国寺にそそのかされて、俺の時代がきちゃったかな?なんて勘違いしちゃったんだろうねぇ。
- 628 :人間七七四年:2009/11/21(土) 16:50:34 ID:KRWZJ1nQ
- そこまで追い詰められた状況でもないのに
小早川に側面晒して決戦という大博打うったせいで、 決戦での敗北さえなければ普通に大津経由で輝元は出陣しただろ
- 629 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:03:12 ID:wRuCMhhg
- 9月14日の時点で、小早川が東軍についた、と言う事の影響をどう取るかによるんじゃないかね?
> そこまで追い詰められた状況でもないのに
やはり西軍の中の、大部隊が寝返ったと言う事なわけで、三成としては
西軍が雪崩のように崩壊するのを防ぐためにも、ある程度大きな戦果を必要としたと思えるが。
- 630 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:18:22 ID:EFLHudje
- 14日に家康着陣と秀秋の松尾山占拠が重なっている
後者の以前からの不明瞭な行動を見れば、両者が内通しているのは間違いなし
この状況では伊勢方面に続いて、中山道の連絡線も断絶してしまう
そうなればもはや負けは必定、ならば関ヶ原で決戦する外無し、というのが西軍の判断と思われる
- 631 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:36:51 ID:KRWZJ1nQ
- 内通の事実よりも、不明瞭な大部隊に側面を晒し、主力を壊滅させるような布陣を敷き、決戦に挑むってのがどうもおかしい
なんだかんだ言って、三成の作戦全体への発言力は強かったんだから やはり三成の失策だろ
- 632 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:41:10 ID:+TAUvNFq
- >>627
父子の思いじゃなくて兄弟の思いのはず
あと三成に対して全く頭が上がらなかったりというよりか
豊臣家と外交するには三成を通さないといけないから必然的に気を遣わないといけない
島津も確か似たような立場だったと思う
- 633 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:48:44 ID:EFLHudje
- >>631
吉川の内応は知られていなかったから、家康が直ぐに関ヶ原に来るとは考えていなかったんでしょう
本来はその間に小早川を何とかするつもりだったんじゃない
- 634 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:49:21 ID:wRuCMhhg
- 眼前に、総大将も含めた敵の大軍がいて、それで一戦もすることなく撤退すれば、
「敵を恐れた」って事に間違いなくされる。
そうなったらただでさえ結束力の弱い西軍は、あっという間に崩壊するだろうし、
少なくとも三成の「指導力」が完全に消滅する。
- 635 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:50:01 ID:JQ3pz/cR
- >>632
間違えた。父子じゃなくて父兄な。
兄弟ってのは家康からだ。
主家である豊家に「外交」って何だよw
三成に対して頭が上がらなかったってのは起請文前書案の加筆訂正なんかの事ね。
- 636 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:52:34 ID:KRWZJ1nQ
- 西軍が集結していて、敵前逃亡すれば敵を恐れたといわれるだろうが、そうではない
突出しすぎた部隊を引かせて本隊に合流 すくなくとも主力を壊滅させるよりはマシ
- 637 :人間七七四年:2009/11/21(土) 17:58:57 ID:wRuCMhhg
- >>636
兵を引けば「西軍」以上に、将としての「石田三成」の評価ががた落ちになって、西軍を指導する
主導権を失っただろうね。奉行派から毛利などの武将たちに、その権力が完全に移行しただろう。
ただでさえ三成が西軍を主導する根拠は、法的には何も存在しないわけだしね。
関ヶ原の決戦が行われたのは、三成が「西軍内の」その主導権を守る意味も強いと思う。
- 638 :人間七七四年:2009/11/21(土) 18:01:45 ID:EFLHudje
- 関ヶ原より先にも後退しようとすると移動中に追撃を受けて、その場で壊乱すると思われる
- 639 :人間七七四年:2009/11/21(土) 18:06:06 ID:kgiw7Isc
- 島津に「夜襲かけといてね」と依頼しておいて
その隙に関ヶ原へ転進なんてのはどう?
- 640 :人間七七四年:2009/11/21(土) 18:35:54 ID:JXZeRhIR
- 多く見積もっても3000いけば良い方くらいの兵しか無い島津を突っ込ませて自分達はスタコラサッサと逃げます、ってんじゃあそれこそ島津ブチ切れるだろ。
- 641 :人間七七四年:2009/11/21(土) 18:47:07 ID:wRuCMhhg
- だいたい三成は、その奉行時代から(一定の影響力はあっても)恩賞権を手にしていたわけではない以上、
西軍の武将の、生殺与奪まで含むような命令権は手にしえなかった。
家康の場合は、関ヶ原以前から恩賞権を行使していた以上、家康が勝てばそれによって、
たとえ討死しても残った者に恩賞を与えられる事は確実であり、それこそが家康の
指導力の源泉となった。
- 642 :人間七七四年:2009/11/21(土) 18:52:31 ID:KRWZJ1nQ
- 知行宛行権か
そりゃあ実質的にこの時点の豊臣家の当主は家康だからな
- 643 :人間七七四年:2009/11/21(土) 21:14:35 ID:+TAUvNFq
- >>635
その主家である豊家の毛利家や島津家なんかの外交を担当をしたのが三成て意味なんだけど
- 644 :人間七七四年:2009/11/21(土) 21:24:40 ID:kgiw7Isc
- 関ヶ原合戦図屏風が載っている本を見ていて気付いたのだが、
福島正則以外の武将は人物名のみ書かれているのに、なぜか
福島正則のところだけ、「先駆」と但し書きがある。
屏風は本来井伊の活躍を後世に残すために作られたものだから、
井伊と福島の先陣争いは、屏風より後の時代の創作じゃねえ。
- 645 :人間七七四年:2009/11/21(土) 22:38:36 ID:35ZZzRce
- 先陣争いするもなにも、ただの抜け駆け(軍規違反)なんだからそう表記するだろ
- 646 :人間七七四年:2009/11/21(土) 23:21:55 ID:JQ3pz/cR
- >>643
だから毛利・島津が豊家とやりとりする事を「外交」とは言わないんだよw
- 647 :人間七七四年:2009/11/22(日) 11:34:48 ID:iaiqQpLn
- 小早川はともかく、安国寺って独立大名扱い?
所領も毛利家とは離れたとこにあるし、毛利家臣でありながら処刑されてる。 でも毛利家臣なんだよなあ???
- 648 :人間七七四年:2009/11/22(日) 11:59:22 ID:HI5SoZ4G
- >>647
江戸時代の八代藩と同じ。両属。
- 649 :人間七七四年:2009/11/22(日) 12:48:16 ID:G5Oi7usH
- 既に小早川が東軍参加した時点でほぼ勝負はついていた
しかし毛利秀元の決断一つで小早川が日よっている間なら
西軍にも勝機があったかもしれない
- 650 :人間七七四年:2009/11/22(日) 12:55:24 ID:p3PkMTPF
- 西軍は三成ら奉行衆と、毛利を始めとした武将たちとの間に、主導権争いがあった節もある。
あれじゃ家康に指揮権がほぼ統一されていた東軍に勝つのは無理だ。
- 651 :人間七七四年:2009/11/22(日) 12:58:15 ID:iaiqQpLn
- でも、大老の宇喜多秀家ですら殆ど三成の言いなりじゃん
- 652 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:06:58 ID:p3PkMTPF
- 秀家は奉行衆に最も近い大名だからなあ。
- 653 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:11:16 ID:iaiqQpLn
- 近くても大老は大老 でも実質は小西や大谷と共に三成の組下のようなもんだろ
- 654 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:13:44 ID:p3PkMTPF
- 組下どころか、関ヶ原初期は特に、むしろ秀家が勝手にずんずん進んで行って、
三成たちはそれに引きずりまわされてた感じだが。
- 655 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:20:34 ID:OH4Pu7Ac
- 直家だったら平和裏に西軍勝利に導いただろうな。
- 656 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:22:40 ID:ygyf3uLP
- 動員力=発言力だから18000もいるとそうなるわな
- 657 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:24:43 ID:G5Oi7usH
- 西軍が大垣城を出たのは小早川が東軍だから仕方ない。
大垣城にこもったままなら小早川ははっきり東軍参加して大谷隊壊滅
その状況で南宮山が西軍に止まるのは難しい
毛利は垂井で決戦が行われた場合は東軍参加が規定路線だったらしいし
やっぱり秀元も東軍に内通していた可能性は高いな
- 658 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:34:14 ID:iaiqQpLn
- 毛利本家が内通してるなら、全軍大坂待機か帰国でいいじゃん なんで関ヶ原まで行ったんだよ
あとわからんのは、西軍主力が来る前に大谷隊潰せば大垣は完全に孤立させられるのに、なんで小早川はしなかったんだ?
- 659 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:42:18 ID:G5Oi7usH
- 脇坂らの動向がはっきりしない以上小早川も単独で大谷隊を攻撃できないだろ
毛利本家が内通しているんじゃなくて南宮山の毛利軍自体が最初から
日よっていた可能性がある。宇喜多らと大垣城にいったんは入ったはずなのに
早々と山の上に上っているし
- 660 :人間七七四年:2009/11/22(日) 13:59:30 ID:iaiqQpLn
- 脇坂等4隊は謎
小川、赤座は内通もしてないのに動かず 内通していた脇坂、朽木、小早川もなぜかこの2隊を攻撃してない
てか小早川は、小早川の進路に配置した筈の4隊をスルーしたってことは 脇坂、朽木、小早川は互いに連絡を取り合ってるってことだよな?
なんであんなに近くにいて大谷は脇坂等の動向をまったく気づいてないんだ・・・・・・??????
- 661 :人間七七四年:2009/11/22(日) 14:17:40 ID:G5Oi7usH
- 西軍は正面軍3万5千のみで東軍9万と野戦でどうやって持久戦に持ち込むか
しかあの時点での勝機はない。関が原でなく別の場所で山岳地帯でゲリラ戦を
行うとかどうだろう。
- 662 :人間七七四年:2009/11/22(日) 14:52:35 ID:FBteMuNO
- >>660
そいつらも14日に内通している
- 663 :人間七七四年:2009/11/22(日) 14:53:20 ID:iaiqQpLn
- 小早川もそれは知っていたのか?
- 664 :人間七七四年:2009/11/22(日) 14:56:25 ID:FBteMuNO
- 家康の方から使者が来ているから知っているでしょう
- 665 :人間七七四年:2009/11/22(日) 14:58:04 ID:p3PkMTPF
- >>663
そりゃあそうでしょ。
でないと大谷隊だけに攻めかかるなんてマネはできない。
最低でもその四隊に対する牽制の兵を裂かないと。
- 666 :人間七七四年:2009/11/22(日) 14:58:07 ID:iaiqQpLn
- 大谷は4隊の動向を察知できなかったのか!
- 667 :人間七七四年:2009/11/22(日) 14:59:11 ID:FBteMuNO
- そういう事になる
- 668 :人間七七四年:2009/11/22(日) 15:03:19 ID:iaiqQpLn
- あんなに近くにいて、しかも4隊は大谷の与力だろ
ってことは小早川が万一西軍についても4隊が東軍に寝返って進路を塞ぐ可能性も
- 669 :人間七七四年:2009/11/22(日) 15:06:29 ID:iaiqQpLn
- すまん、可能性じゃなくて
小早川には脇坂、朽木の東軍参加の情報が入ってるから 小早川が西軍に付いた場合は、既に東軍である
4隊を攻撃するんだな?
- 670 :人間七七四年:2009/11/22(日) 15:11:32 ID:p3PkMTPF
- >>669
言いたい事はわかるが状況としてあまりにもありえない
- 671 :人間七七四年:2009/11/22(日) 15:12:48 ID:FBteMuNO
- さあ、小早川の内応が不確定要素になるという事は、他の内応衆も同じ風に考えないといけないからねぇ
- 672 :人間七七四年:2009/11/22(日) 15:38:53 ID:iaiqQpLn
- 確かに
ただ小川、赤座は密約は結んでなかったのになんで攻撃されなかったんだ
- 673 :人間七七四年:2009/11/22(日) 16:40:45 ID:HI5SoZ4G
- >>658
大谷率いる北陸勢は一万。
小早川勢は正確には八千。
(小早川勢一万五千六百七十五人説は旧参謀本部の妄想、。
江戸時代の福岡藩表高を三人役で計算しただけ)
まともに戦ったら小早川が不利。
- 674 :人間七七四年:2009/11/22(日) 16:46:54 ID:wrFiNKma
- 小早川が事前に調略したんだろう。
- 675 :人間七七四年:2009/11/22(日) 16:51:23 ID:FBteMuNO
- >>673
一応、三人役は島津の関ヶ原以前に上杉攻め時の書状で「他の大名は三人役だけど、自分たちは伏見城の在番だから一人役」
という内容の書状が根拠
勿論、仮に定めたのは事実
後、内応勢を除くと大谷は5000弱
- 676 :人間七七四年:2009/11/22(日) 16:53:23 ID:iaiqQpLn
- 4隊の内応がない限り小早川を抑えられたってことか
- 677 :人間七七四年:2009/11/22(日) 16:58:08 ID:FBteMuNO
- 西軍としてはそれでも不安だったというか、できれば再度こちらに引き繋ごうと考えて
主力を関ヶ原に転進させたという考え方もできる
例の関白云々の書状もその一環と言える
- 678 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:05:11 ID:iaiqQpLn
- 桶狭間の織田家ほど追い詰められてたわけでもないのに
壊滅覚悟で小早川に側面さらして特攻ってのが危険すぎる 4万もいれば普通何日かは耐えられるだろ
- 679 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:09:46 ID:ygyf3uLP
- 小早川勢が15000というのが長いこと信じられてきたのは、
西軍贔屓の小早川さえ裏切らなければという願望のせいでもあるな。
- 680 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:15:04 ID:iaiqQpLn
- 小早川秀秋 15600としても
西軍8万4千 東軍8万8千だから 全軍参戦しても負けてる
- 681 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:15:25 ID:HI5SoZ4G
- >>675
黒田が徳川から福岡に移された時の朱印状が三十六万石。
大谷は七月に三奉行連署の知行宛がい状で、越前に十二万石加増されて
十七万石になっている。もちろん二か月で完全戦力化は無理だが、五万石の
ままでは無い。
小川も七万石の三人役で計算されているが、実際に小川が出した兵力は
十二万五千石相当。
- 682 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:18:11 ID:FBteMuNO
- >>678
当初の想定では南宮山に毛利がいるから、関ヶ原にはそう簡単に来れないと考えたんでしょう
- 683 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:25:46 ID:32QPwJrm
- 大谷が関ヶ原前に松尾山騒動で小早川を叩きつぶすとかいうif史はないのかな。
というかそれぐらいしないとあそこで持久出来んよな
もっとも大津勢と田辺勢が来ても徳川本体も到着だから東軍有利は覆らないか。
毛利本隊出てくればあるいは・・・ってか
- 684 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:28:29 ID:HI5SoZ4G
- 大谷も別に無能な人間ではないので、詳細にみていくと
藤堂、京極、小早川を相手に十分互角に渡り合える戦力は用意している。
そういう意味で、大谷は堅実な名将である。脇坂以下の四隊の連鎖反応的
寝返りが無ければ、大谷は勝利していた。
- 685 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:45:48 ID:iaiqQpLn
- その組下の内応を見抜けなかったのが痛い
- 686 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:46:21 ID:bEoqRBVD
- 大谷隊の戦力は一部三成から借り受けてたんじゃなかったっけ?
- 687 :人間七七四年:2009/11/22(日) 17:47:54 ID:HI5SoZ4G
- >>686
島の息子
- 688 :人間七七四年:2009/11/22(日) 22:14:18 ID:0ENWH/24
- >>649
秀元がどう決断したところで、吉川広家が動かなければどうしようもないだろうなあ。
>>657
>毛利は垂井で云々
出典は何?
- 689 :人間七七四年:2009/11/23(月) 00:14:12 ID:Jd9cE9OG
- 毛利本家が内通してたら進路妨害の意味がないだろ
本家へばれないために安濃津や伏見で奮戦したんだから 本家も同意済だったらそんな無駄なことしない
- 690 :人間七七四年:2009/11/23(月) 00:34:02 ID:jgdlniVm
- >>689
妨害したのは安国寺や長束に対して。
- 691 :人間七七四年:2009/11/23(月) 00:38:24 ID:vUn/CUkf
- 長束は妨害されていない。
実際は戦っていた。
らしい。
- 692 :人間七七四年:2009/11/23(月) 00:43:11 ID:+DDb3rb9
- え?
- 693 :人間七七四年:2009/11/23(月) 00:46:09 ID:5S0mREKn
- 長束の兵数であんな所で一隊だけ戦ってたらあっさり敗走してそうなもんだがなあ。
- 694 :人間七七四年:2009/11/23(月) 00:47:04 ID:vUn/CUkf
- >>693
相手も池田だけしか動いていなかったみたい。
- 695 :人間七七四年:2009/11/23(月) 03:12:55 ID:X2ObGKnd
- 小競り合い程度だったんだろうな
- 696 :人間七七四年:2009/11/23(月) 09:08:31 ID:Jd9cE9OG
- 長束が戦ってたならせめて安国寺も戦ってやれよ・・・
- 697 :人間七七四年:2009/11/23(月) 09:13:12 ID:cQIFy6Oq
- 偶発的な戦闘行為レベルだろ。
全面戦闘に入れば、安国寺隊も参加したと思うが。
- 698 :人間七七四年:2009/11/23(月) 09:48:52 ID:Jd9cE9OG
- 偶発的に毛利秀元と池田や浅野との戦闘が起こった場合、吉川はどうする
- 699 :人間七七四年:2009/11/23(月) 11:47:08 ID:BXrIcR8L
- >>698
位置的に偶発的なことも起こらないだろ
- 700 :人間七七四年:2009/11/23(月) 12:24:13 ID:+DDb3rb9
- 長束だって位置的におかしいだろ
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